■節子への挽歌1975:生きていくうえでの支え
節子
昨日は少し重い日でした。
3つの相談を受けてしまったからです。
私自身、いささか気が萎えている状況だったのですが、私よりも気の重い人がいるのであれば、受けなければいけません。
その一人と話していて、「生きていくうえでの支え」の必要性を話題にしました。
それがやや揺らいでいるように感じたので、あえてその方向に持っていったのです。
彼は、即座に「家族です」と答えました。
少し安堵しましたが、同時に、少し距離も感じました。
なぜなら、彼には「家族のため」という意識が感じられたからです。
「だれかのため」というのは、私にとっては、言葉だけの世界に思えるのです。
これまでも何回か書いたように、節子は、私にとっての「生きる意味」でした。
それは、節子のために生きると言うこととは違います。
共に生きることが、私にとっての生きることだったのです。
節子が生きることが、私の生きることであり、私が生きることが節子が生きることだったのです。
なにやらわかりにくい説明ですが、たとえばこう書けば伝わるでしょうか。
私は、ささやかな社会活動をしていますが、それは「社会のため」ではありません。
私が生きていくために、それが必要だと思うからです。
社会は私の外部にあるわけではありません。
私は社会であり、社会は私です。
私がいなければ社会は意味がなく、社会がなければ私は生きていないはずです。
「ホロニック」という概念がありますが、まさに私と社会はホロニカルな関係です。
だから私が変われば社会が変わり、社会が変われば私も変わるわけです。
節子と私もまた、そういう関係でしたから、喜怒哀楽もほぼ共有していました。
1人にして2人、2人にして1人。
2つの人生にして一つの人生、一つの人生にして2つの人生。
それがたぶん「人」という文字の形象の意味するところかもしれません。
生きていく支えは、そういう意味では、自分の中にあるともいえます。
言い換えれば、共に生きている人がいるかどうかです。
「ため」の存在ではなく「共」の存在です。
すべての苦楽をシェアできるかどうか、そこがポイントかもしれません。
私たちがそういう意味の関係になれたのは、やはり私が会社を辞めて、苦楽を共にしだしてからです。
生きる支えは、自分の外部にあるのではなく、自らの内部にある。
それをどう伝えるか、これは難題です。
体験すればわかるのですが、体験するためには、その関係がなければできないという、矛盾があるのです。
しかし、支えがあれば、どんな苦しさも超えられるような気がします。
それを彼にまだ伝えられないのが残念です。
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