■節子への挽歌1999:節子の手作り雛人形
わが家の雛人形は、節子の手作りです。
2人の娘それぞれに、手作りの木目込み人形を作ったのです。
節子は、基本的に手作りが好きでした。
もちろん私もそうなのです。
ユカには立ち雛、ジュンには座り雛です。
娘たちが大きくなってからは、もっとカジュアルな雛人形(これも節子の手作りが多かったですが)が飾られて、大きな人形は出てきませんでした。
それを、何を思ったか、ユカが今年は物置から出してきて、リビングに飾りました。
久しぶりに、節子の手作り人形の登場です。
節子も喜んでいることでしょう。
節子の手作り文化は今も残っています。
節子の位牌壇の真ん中に鎮座している大日如来も手作りです。
家族みんなで心を込めて作り上げた仏様ですから、節子は喜んでいるはずです。
わが家の壁にかかっている額の絵も多くは節子の作品です。
和室の床の間の掛け軸も節子です。
このことは逆に言えば、わが家には基本的に「値がつくお宝物」はないということです。
最近、貴金属を強引に買い取る事件が起こっていますが、幸か不幸かわが家にあるアクセサリーはこれまた節子の手作りが多く、お金には全くなりません。
捨てるに捨てられずに、いまもそのままになっています。
手作り文化がしっかりとあると、お金はかからずにいいものですが、いざとなったら換金できるものがないということです。
わが家は基本的にお金とは無縁なのです。
節子と私の、それが共通の意識でした。
もっとも節子には迷いもありました。
箱根の成宮美術館に行った時に、会場で突然、絵のオークションが行われたことがあります。
富士山の絵が売られていました。
特別出品で、将来、価格がつくと言われたようでした。
その言葉に乗って、節子はその絵を買いました。
値が上がるという言葉に気迷いしたのでしょうか。
その絵は、わが家で飾られたことがありません。
節子もさほど気にいってはいなかったのでしょう。
今はどこかにうずもれてしまっています。
時々、節子はそうした過ちをおかす人でした。
私は、それが好きでした。
雛人形を見ながら、富士山の絵のことを思い出しました。
もしかしたら、値が上がっているでしょうか。
いま私はかなり困っているので、探してみようかと思いましたが、まあもともと安い絵ですから、指しあたっての役には立たないでしょう。
それにそんな発想は、わが家にはふさわしくありませんし。
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