■節子への挽歌2006:冬支度
節子
前項に書いたO教授からメールが来ました。
私も昨年9月に酔っ払って帰る最中、家内が見ている目の前で昏倒。冬支度。
約10秒間あの世の手前に行きました。
そろそろ、冬支度を開始しようと思いました。
私たちの老後のイメージは、春でした。
陽射しのある縁側でのゆっくりした時間です。
Oさんは哲学者でもあるので、表現が豊かです。
冬支度というのも、納得できます。
冬支度して、春の縁側を待つ、というわけです。
今の私には「春の縁側」がないのですが、やはり冬支度は必要かもしれません。
Oさんとは出会ってからもう30年ほどでしょうか。
さほど深い付き合いはなかったのですが、彼が転職したのを契機に、時々、オフィスに来てくれました。
人の付き合いは、決して、長さでも深さではなく、相性なのかもしれません。
いや、相性と言うよりも、心身の波長でしょうか。
Oさんは、たぶん私の生き方に同調してくれたのです。
私が時に乱調して、自分の世界をはみ出そうとした時、彼はやめたほうがいいとやんわりと私に言いました。
全くその通りで、止めればよかったのですが、つい少しコミットしてしまい、見事に知人に利用されてしまった結果になってしまいました。
まあよくあることなので、私にはどうということはないのですが、Oさんはたぶんしんぱいしてくれていたのでしょう。
その先に来る春の陽射しを思い描くことのない冬支度は、どうも気が乗りませんが、節子に会うには、それもまた必要かもしれません。
久しく会っていないOさんに会いたくなりました。
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