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2013年3月

2013/03/31

■節子への挽歌2037:痛みの中で痛みを痛む

最近、あまり体調がよくない状況が続いていましたが、だいぶ復調してきました。
もう大丈夫でしょう。
いろんな人にお気遣いのメールをいただきました。
私のように、何でも書いてしまうと、いろんな人に余計なお気遣いをさせてしまうのですが、そのおかげで、私自身は大きな元気をもらってしまっているわけです。
わがままな、身勝手な性格です。

大阪大学大学院准教授の篠原雅武の『全-生活論 転形期の公共空間』という本があります。
篠原さんは、「痛みが生じるのは、私たちの生きている状況が脆くて、壊れやすくなっているからで、壊れそうなところに「生じる」のが「痛み」なのです」といいます。
最近の私の体調不良は、身体的な不調もありますが、たぶんに「痛み」に通ずるものです。
友人知人の痛みを勝手に引き受けてしまったり、政治状況や経済状況に心身が不整合を起こしたり、あるいは自らの卑しさに気づいて心身が萎えたりしているわけです。
とりわけこの1年は、社会の住みにくさを実感して、それが体調にもつながっているように思います。

篠原さんは、こう書いています。

「痛み」は個人的なものであり、その原因を自己責任で除去すべきものと言ってしまうと、そういった個人を超えた要因が隠蔽されてしまうのではないでしょうか。ですから、「痛み」はただ個人的なものではなく、私たちをとりまきながらも自立している領域の失調、歪みのせいで生じさせられる実在性をもつものと考えた方がいいのではないかと思います。
そう考えるならば、目の前にいる他者が顔を歪ませてうずくまっている時や、諸々の事件報道(イジメや虐待)を目にした時、自分の「痛み」ではなくても、つまりはその当事者ではなくても、想像力によって、他者の「痛み」を感知し、それを生じさせている世の歪み、失調を考えることができるようになるかもしれません。
篠原さんとは思考の順序が正反対なのですが、私もそう思います。
私の場合は、節子との別れの体験のなかで、他者の痛みをそれなりに心身全体で感知できるようになりました。
それは言葉では説明できないものですが、伝わってくるのです。
その感受性が広がっていくと、社会の壊れや失調、歪みが生み出す痛みが心身に入りやすくなってきます。
そしてそれに同調して、気が萎えていると心身が不安定になり、体調を狂わせてしまうわけです。

そこから抜けでる力を与えてくれるのは、これもまた、社会のようです。
スパイラルが少しだけですが、上向きました。
節子は、いつもスパイラルを上向きにさせてくれる存在でしたが、いまはたくさんの友人知人のやさしさが、その役割を果たしてくれているようです。
今日も4人の人から届いたさりげないメールが、私の意識を少し変えさせてくれたような気がします。
痛みも社会から来るように、前に進む力も、社会からやってくるようです。

人は社会に支えられて生きている。
つくづくそう思います。

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■節子への挽歌2036:過去を語ることの大切さ

節子
昨夜、「小さな村の物語 イタリア」の143回目をテレビで観ました。
その内容に関しては時評編にも書きましたが、それを観ながら、私たち夫婦にはほんとうに「生活」があったのだろうかとちょっと心配になってしまいました。
今から考えると、私たちはゆっくりしていたようで、あまりゆっくりしていなかったような気がします。
確かに2人で話し合う時間は多かったですし、一緒に旅行にもよくいきました。
しかし、このテレビに出てくる夫婦を観ているとどこか違うのです。
それは毎回感ずることでもありました。
いったい何が違うのか。

今日、時評編を書きながら、違いが少しわかったような気がしました。
それは、私たちはあまり「過去を語りあう時間」がなかったことです。
私たちの話は、いつも、過去ではなく未来であり、少なくとも現在でした。
過去はいつかゆっくりと振り返り楽しめる時が来る。
節子も私も、そう思っていたのです。
そのための写真もビデオも、そして思い出もたくさん残していました。

しかし節子が逝ってしまったために、私たちには過去を語る時間がなくなってしまったのです。
2人で懐かしむためにあったであろう、さまざまな苦労やつらさ、喜びや楽しさ、そういうものがすべて無意味になってしまったのです。
語り合う節子がいなくなれば、写真もビデオも、思い出も、すべて無意味な存在であるばかりか、そこに「いのち」を与えることもできません。
写真もビデオも、見る気にもなれません。
不思議なことです。

「生きる意味」を問い続けたフランクルは、「過去」こそが大事だといっています。

過去というのはすべてのことを永遠にしまっていく金庫なのです、とフランクルは言います。

過去は、その人の人生を豊かにするかけがえのない財産というわけです。
しかし、節子がいない今となっては、そのかけがえのない財産も、「宝の持ち腐れ」かもしれません。

私たちの「生活」はあったのかという、最初の問いに戻れば、生活とは、そうした大事にためてきた「過去という財産」を楽しむことなのではないかと、この番組を見ながら、いつも思うのです。
前だけ向いて進むというのが、私の生き方でしたが、そろそろ後ろを向きたいと思った時に、その相方がいないことの寂しさを改めてこの番組を観ながら感じます。
私には、これからも前を向いた生き方しか、できないのかもしれません。

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■「良いことをしたら忘れ、悪いことをしたら覚えておけ」

私の好きなテレビ番組の「小さな村の物語 イタリア」の143回は、ナポリの南の山の中にある、ピアッジーネという村の話でした。
登場人物の一人は、村役場の職員のカルメーロ・ペトローネさんです。
「村の人たちのために働くのは気分がいい」と話していました。
その仕事振りも、とてもあったかさを感じるものです。
日本では地方分権とか、相変わらずのお上依存の思考が染み付いていますが、カルメーロさんの仕事振りには本来の「住民自治」の文化を感じます。
それは、日本からどんどんなくなってきているものです。

そのカルメーロさんが、大事にしている言葉があります。
お父さんから聞いたお祖父さんの言葉です。
「良いことをしたら忘れ、悪いことをしたら覚えておけ」。
この言葉は、ペトローネ家に伝わっている文化なのでしょう。

生活者の言葉には哲学者より深い含蓄があると、この番組のプロデューサーの田口さんはエッセイに書いていましたが、全く同感です。
「良いことをしたら忘れ、悪いことをしたら覚えておけ」。
実は、これは私の信条の一つでもあります。
私も、ずっとそう心していますが、これはなかなかできないことです。
良いことは繰り返してもいいですが、悪いことは繰り返してはいけません。
それに良いことをしたという意識が残っていると、人は卑しくなります。
恥ずかしいながら、いまも時に、私はその卑しさに気づくことがあります。
良いことは「した」のではなく「させてもらった」と思うようにしていますが、当の本人の言動で心が逆なでられてしまうことがあります。
要するに、「良いことをした」という卑しさがどこかに残っているわけです。
いつになっても、その卑しさから抜け出られません。

「良いこと」は、他者や自然にとってだけ「良い」のではありません。
必ずといっていいと思いますが、「良いこと」は、何よりもまず、「自分にとって良い」ことなのです。
良いことをしていると、なによりもまず、自分が一番幸せになれます。
それはよくわかっているのですが、なかなかそれに徹しられないのです。

日本ではこの数十年、なにかとても大切なことが捨てられてきたような気がしますが、私たちが捨ててきたものが、この「小さな村の物語 イタリア」の番組では、いつも気づかされます。
お薦めの番組です。

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2013/03/29

■節子への挽歌2035:自分の魂の復活

節子
少し前に幽霊の話を書きましたが、昨夜、夜中に目が覚めた時に、突然、宮沢賢治のことを思い出しました。
宮沢賢治も幽霊に出会っているのです。
それも一度ならずです。
最愛の妹のトシ子の幽霊(この表現は適切ではないと思いますが)に会ったことも友人に何回か語っています。

幽霊ではありませんが、「荒城の月」の作詞者として有名な土井晩翠夫妻も、2人の子どもを亡くした後、当時有名だった小林寿子という霊媒師を介して、子どもたちと何回も話し合っています。
最初は懐疑的だった奥様も、こう話したとある本(「あの世はあった」)に書かれています。

小林夫人の御身体を拝借して出て来た霊は、私共の愛する娘と息子に毛頭相違ありませんでした。この時の思いは千万無量、到底筆舌にはつくすことが出来ません。今はこの世にない最愛の二児が霊界に生きていて、小林夫人の御身体を拝借すれば、何時でも話が出来るという事実を知った時の驚喜は無上無限、全く自分達夫婦の魂の復活でした。

改めてこの本を読み直して気になったのは、「何時でも話が出来るという事実を知った時の驚喜は無上無限、全く自分達夫婦の魂の復活でした」というところです。
子どもたちの復活ではなく、自らの魂の復活です。
死者に支えられて生きる魂。
死者と生者は、そこではクロスしています。

大宰府の加野さんのことを思い出しました。
加野さんも娘さんを亡くされた後、大日寺の庄崎師を通して毎月のように娘さんと会話しています。もうご高齢なのに、今もなお、魂のオーラを感ずるのは、そのせいかもしれません。

賢治はトシ子の身体を目にしています。
自分の部屋にまで招きいれたという話も残っています。
土井夫妻は、おそらく姿は見ていないでしょう。
現れ方は違いますが、私にはいずれも自らの心身の中に今もいる「愛する人」との出会いであり、会話なのだろうと思います。
生を支えているのは、長い歴史に残っている多くの死者なのです。
幽霊とか霊媒師というと、なにやら胡散臭さを感ずる人が多いでしょうが、実際に体験した人にとっては、そんなことはどうでもいいでしょう。
現に体験し、魂の復活さえできたのであれば、ただただそれを受け入れればいいだけの話です。

宮沢賢治の、不思議な物語が、なぜ今も人気なのか。
それはたぶん「絵空事」ではないからです。
心身を素直に開放すれば、世界の見え方は違ってきます。
賢治が生きていたのは、そういう世界だったのではないかと思います。
賢治もまた、トシ子とともに、彼岸と此岸を超えてしまった生き方をしていたのかもしれません。

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2013/03/28

■節子への挽歌2034:社会からの健全な脱落ぶり

節子
一昨日、大阪でいずみホールの支配人の篠原さんにお会いしました。
いずみホールは住友生命ご自慢のコンサートホールで、以前からお話はいろいろとお聞きしていました。
節子が元気だったら、一度は行きたかったところですが、残念ながらお話をお聞きしたころには、節子は既に体調を崩していました。
ですからまだ行ったことはありません。
今回も、ぜひ一度、来てくださいといわれましたが、たぶんお伺いすることはないでしょう。

コンサートは、私よりも節子が好きでした。
節子と出会ったころは、むしろ私のほうが好きでしたが、いつの間にか節子のほうがアートフルな生活になってしまいました。
私は、次第に仕事人間になり(いわゆる「仕事人間」ではありませんでしたが)、音楽会も美術展も足が遠のきました。
学生のころは毎週のように通っていた博物館や美術館も、節子の誘いがなければ行かなくなってしまいました。
会社を辞めてから、節子と行動をともにしようと思って、節子の誘いにはできるだけ同行しましたが、昔のような感動は覚えなくなりました。
結婚して変わったことは、他にもいろいろとありますが、これもその一つです。

一度だけ私から節子を誘ったことがあります。
たしかベルリン交響楽団がサントリーホールで「運命」を演奏した時でした。
感動的な演奏でした。
その時に、偶然に演奏の合間に、知り合いの牛窪一牛さんご夫妻に会いました。
お2人も聴きにこられていたのです。
牛窪さんとは仕事で数回会っただけでしたが、それとは別に、日本経営品質賞のもとになったマルコム・ボリドリッジ賞を通じて、気持ちの上でつながりがありました。
ボリドリッジ賞の論文を、「ハーバード・ビジネス・レビュー」で最初に翻訳紹介させてもらったのは私ですが、日本経営品質賞の導入に取り組んでいた牛窪さんは、私がボリドリッジ賞には「価値議論」が欠けていると批判的だったのを知っていてくれたのです。
私は、当時から安直な経営の制度化には違和感があり、そうした動きからはいつも脱落していました。
いまもなお脱落しつづけていますが。

話もどんどんおかしな方向に脱落していますね。
さらに脱落すると、その時、牛窪さんから、いつか経営品質賞に関してお話したいと言われました。
しかし、その後、牛窪さんに会うことはありませんでした。
牛窪さんが急逝されたのです。
私には衝撃的でした。
たぶんボルドリッジ賞に関して、議論ができるただ一人の人と思っていましたから。
牛窪さんの訃報を聞いてから、ボルドリッジ賞にも日本経営品質賞にも、私は全く関心を失いました。
こうやって、私は社会から脱落し、節子の世界へと落ち込んでいったわけです。

篠原さんや他のみなさんと一緒に、ちょっと贅沢なホテルでのランチを食べながら、昔はこういう世界に生きていたんだなととても懐かしい思いがしてしまいました。
懐かしさを感ずるほど、私は健全に社会から脱落し続けているようです。
節子がいなくても、なんとか脱落し続けられるようです。
節子もきっと安心していることでしょう。

来世では、いずみホールに節子と一緒に行きたいと思います。
篠原さんが支配人でいてくれるといいのですが。

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2013/03/27

■節子への挽歌2033:伴侶を亡くされた方からのメールに気づきました

節子
フェイスブックには思わぬ落し穴がありました。
せっかく送ってくれたメッセージが隔離されることがあるのです。
たまたまそのことを知って、調べてみたら、いくつかの私宛のメッセージが気づかないまま放置されていました。
そのひとつに、面識のないOGさんという方からのメッセージがありました。
一昨年の秋に受信していました。
こんな文面です。

何かを検索していて、佐藤さんのブログに至ったと思います。かなり読ませていただきましたが、ボリュームに圧倒されました。特に奥様に関する記述は、私の経験に極めて近いものがあり感動しました。私はS22年生れですが、妻は丁度3年前の10月に50歳で生涯を閉じました。奥様との関わり、病状などあまりに共通点が多く絶句した次第です。
このメッセージに気づかずに1年以上経過してしまっていたのです。
結果的には無視したことになってしまっていたわけです。
大変申し訳ないことをしてしまいました。
もし気づいたら、すぐにメールしたはずです。

50歳とは、節子よりも一回り早く旅立ったわけです。
節子以上に心残りであり、私以上に戸惑いは大きいでしょう。
1年も無視してしまう結果になったことを深く反省しました。
すぐにメールを出すとともに、フェイスブックでの友だちリクエストを出しました。
幸いに、すぐに戻ってきました。
いつかお会いですることもあるでしょう。

フェイスブックに限りませんが、ネットで自らをさらけだしていると、見ず知らずの人からのアクセスがあります。
その時にどう対応するかは、あまり思慮深くない私でも、少しは考えます。
しかし、伴侶を失った人への対応は、とても苦手です。
思いが入りすぎてしまうからです。
その一方で、みんな、私と違ってしっかりしているなと思うことが多いです。
私はもう6年目なのに、まだ同じところを彷徨しているような気がします。
涙が出ることは少なくなりましたが、まだ現実を受け容れられずにいます。
この挽歌に示されるように、なかなか自立できずにいるのです。
前が向けていないのかもしれません。

OGさんはどうでしょうか。
奥様を亡くされた方が湯島に来たことはありますが、なぜかうまくお互いに心を開けなかったのか、付き合いはなかなか続きません。
早くお会いしたいようで、したくないような、ちょっと複雑です。

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■一票の格差訴訟の判決への反応

一票の格差訴訟の判決が次々と出ています。
すべてが「違憲」もしくは「違憲状態」で、選挙結果そのものに関しても2つの判決が無効としています。
この「選挙無効判決」に関する報道では、「画期的」とか「非現実的」とかいう形容詞をつけての報道が多いのが、私には驚きです。
そもそも「違憲な制度だがそれにしたがった結果は違憲ではない」などということを「現実的」だと受け止めてきたこれまでのマスコミがおかしいのです。
それを「非現実的」と考えないほど、マスコミ関係者の考え方はゆがんでいます。

選挙制度に限らず、たとえばイラク派兵などに関しても、違憲判決はこれまでも政治家や政府によって無視されてきています。
もちろん権力追従型の日本のマスコミはそれを黙認してきました。
選挙制度に関しても、政治家が何も動かなかったのは、マスコミの報道姿勢に一因があったように思います。
何が「画期的」で、何が「非現実的」なのか。
現実の世界に生きていない人たちの論理は、私には理解しがたい気がします。

そもそもこの訴訟の意味は何でしょうか。
選挙結果を否定するところにあるわけではないでしょう。
ましてや選挙のやり直しを目指すものでもない。
その意味は、日本の選挙制度はきちんとした民意を代表する制度になっていないということです。
今日の朝日新聞にそうしたことを訴える一面広告が出ていますが、ゼロ増5減とか国会議員数の削減とかといった、そんな話ではないのです。
しかしそうした視点から選挙制度をきちんと考えようという報道はあまりありません。

私自身は、いまの社会状況においては、政党政治はもう機能を終了したと思っていますので、いまさら中選挙区制度でもないでしょうし、比例代表制でもないように思いますが、国会議員が国民の代表として信頼されるためには、やはりしっかりとした制度の見直しが必要だと思います。

この「違憲判決」が、これからどう進んでいくのか。
私自身が、司法への信頼を取り戻す契機になるといいのですが。

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2013/03/26

■節子への挽歌2032:大阪での空白時間


節子
大阪に来ています。
最近は大阪に来る機会も減りました。一人旅が好きでないこともありますが、特に東海道新幹線が苦手なのです。
以前は大阪に来ると目一杯予定をいれてたくさんの人に会いましたが、最近はその元気もありません。
今回も迷っているうちに、午後に空白の2時間ができてしまいました。
さてどうするか。
四天王寺にでも行こうかと思って、気がついたのですが、もしかしたら節子と一緒に大阪に来たことがないかもしれません。
私は一時期は毎週のように大阪に通っていましたが、考えてみると仕事以外で大阪に来た記憶がありません。
ですから、たぶん節子と一緒にきたことはないでしょう。
いつも一緒に行動していたようで、あんまりしていなかったのではないかという気がしてきました。

仕事で大阪に来ていたころ、時間ができると電話してよく会っていた友人も、何人かはもう鬼籍に入りました。
そうでなくとも、会社を引退してからはなかなか会うのも難しくなりました。
今日も実は一昨日、友人にメールして、この2時間に会う予定だったのですが、その友人から昨日電話があり、約束した場所に来たのにどうしたのかというのです。
彼の早とちりで、1日間違っていたのです。
まあお互いに歳のせいか、こんなこともあります。

アイパッドでメールを確認したりFacebookを見ていたり、こんな記事を書いていたら、四天王寺に行く時間がなくなりました。
昔と違って行動量が半減しています。
それにまだあんまり体調がよくなく、どうもゆっくりしていたほうがよさそうです。
さてどうするか。

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2013/03/25

■節子への挽歌2031:最後に行きたいところ

節子
今日は桜冷えの寒い日でした。
春はそう簡単には来てくれないようです。

湯島の様々なサロンによく参加してくれていた菊井さんがしばらく顔を見せないなと少し気になっていましたが、先週、メールが来ました。

実は、暮れからガンで入院、年越しました。
昨年目標の一つであった、ポーランドはアウシュビッツを訪ねることができたの
は良かったのですが、7月に消化器の変調があり、検査を繰り返す中で、直腸ガンに侵されていることがわかりました。
いまは放射線治療や抗がん剤の副作用が残っていて、体力回復を待っている毎日です。
いずれ、再会し、お話できる日を楽しみにしています。
そういえば、最後に会ったのが、アウシュビッツに行ってきた後でした。
その時は時間がなくて、お話をお聞きできませんでした。
なぜ菊井さんがアウシュビッツに行きたかったのかも含めて、きちんとお話を聞きたいと思っていたことを思い出しました。
思い出しながら、人は最後にどこに行きたがるだろうと思って、ある後悔をまた思い出してしまいました。
節子が最後に行きたいといっていたのは、湯河原だったのです。
元気になったら行こうと話しているうちに、節子の病状が急変し、行く機会を失してしまいました。
そのことを思いだすと、いつも胸が痛みます。
あの時は、行こうと思えば行けたのです。
無理をしてでも、連れて行くべきだったと思いますが、当時は家族みんなが節子は治ると思い込んでいたのです。

最後の家族旅行は房総の花畑でした。
この時の節子はもう歩くのも辛かったのですが、節子は楽しんでくれました。
でも本当はあの時も湯河原と箱根に行きたかったのかもしれません。
節子は箱根が大好きでしたから。

私が最後に行きたいところはどこでしょうか。
まったく思いつきません。
節子がいなくなってからは、どこにも行きたいと思わなくなったのです。
いまの私にとって、行きたいところはただ一つ。
節子のところです。
菊井さんには怒られそうですが。

菊井さんが元気に湯島に顔を出すのを心待ちしています。

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■65歳定年制発想への違和感

今年4月から「改正高年齢者等雇用安定法」が施行され、実質的な「65歳定年制」が義務付けられることになりました。
私が会社に入った時には55歳定年が一般的でしたが、私自身は「定年」という発想が理解できず、早晩、なくなるだろうと思っていましたが、50年も経つのにまだなくなっていなかったのかと驚きです。
人間に定年を決めることにどうしてみんな疑問を持たないのかと不思議です。
まあそれはそれとして、やはりいくつかの点でおかしな発想だと思います。

3年ほど前でしょうか、経済産業省もつながりのあるある研究会で、このテーマが取り上げられました。
最初に聞かされたときには、耳を疑いました。
若者たちに十分に働く場を用意できない状況なのに、さらに高齢者たちが働く場に座り続けるのかという、怒りさえ感じました。
その委員会では、その種の発言をしましたが、たぶんその怒りは伝わらなかったでしょう。
反対する企業の人事部長の反応は、それがコストアップにつながるというものでした。
そういう問題ではないだろうと思いました。

テレビでは、日本の年功序列制度が、こうした議論を引き起こすという人もいます。
ヨーロッパ型の勤務形態だと、働きに応じた賃金体系なので、定年があまり意味を持たないというのです。
とても論理的で、わかりやすいです。
年齢ではなく働きに応じた処遇体系であれば、定年制度はまったく不要です。
それはそれで納得できる議論です。

しかし、私自身はこうした議論を聞いていていつも感ずるのは、「働くこと」と「稼ぐこと」が混同されているということです。
働くことと給料とはまったく別のことというのが、私の基本的な考え方です。
そして、人が生きるということは「働くこと」であり、定年などはあるはずもないと思っているのです。
日本では働くというと「雇用労働」だと思いがちですが、組織に依存して働くだけが「働き」ではありません。
自分で仕事を起こすこともあれば、仲間と一緒に「協同労働」で働くこともあるのです。
そうした自分が主役で働くのであれば、誰かが勝手に決める定年などあるはずもありません。
丁稚奉公から暖簾わけしてもらって自立していくという、日本にあった働き方では、定年はむしろ「自立的な働き」への出発点でした。

65歳まで働くのはいいでしょう。
しかし組織の働きの場は、できるだけ席を空けて、若い世代に譲っていってほしいものです。
それに組織で金銭を稼いできた経済的に恵まれている高齢者は、むしろお金を社会に放出して行く働き方に身を移してほしいです。
そうすれば、お金では得られない生きる喜びを体験できるはずです。

働くことは決して稼ぐことではないのです。
雇われ人の世界から抜けないと、誰かのために働かされ続けることになりかねません。
それに、企業は単に稼ぐ場ではなく、若者が働き方を学ぶ場でもあるのです。
それに多くの人が気づいて欲しいと思います。

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2013/03/24

■節子への挽歌2030:河津桜を節子に供えました

節子
ようやく「節子暦」に挽歌のナンバーが追いつきました。
今日は、節子が彼岸に行ってから2030日目です。
その2030年目の今日は、本来であれば、例年よりもかなり早目の桜の満開日ですが、とても寒い日になりました。
しかも、私自身もあまり調子がよくありません。
お花見どころではないのです。

最近、体調が優れないことをこのブログやフェイスブックで書いているせいか、心配してくれる人がいます。
先日も岐阜の佐々木さんがこれを飲むと元気になるといって高麗人参の錠剤を持ってきてくれました。
私のことを知っている佐々木さんは、ちゃんと飲まないのであれば持って帰るというので、飲まなければいけません。
翌日から毎朝きちんと飲んでいます。
それでも元気が出てきません。
困ったものです。

さてそんな状況で迎えた2030日目。
わが家の桜の花も全滅なので、節子にも供えてやれないなと思っていたら、敦賀の節子のお姉さんから河津桜が届きました。
河津桜を見に行ったのは、敦賀の姉夫婦と一緒でした。
そこでそれぞれ河津桜を同じお店で購入しました。
ですから、わが家と敦賀の河津桜は兄弟桜のようなものです。
今年は手入れが悪かったため、わが家の桜は咲きませんでしたが、敦賀の河津桜は大きく育って満開のようです。
梅切らぬ馬鹿、桜切る馬鹿と言われていますが、節子のために桜を切って送ってくれたのです。
仲の良い姉妹でした。

今年の私のお花見は、この河津桜だけになりそうです。

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■節子への挽歌2029:拝み屋さん

節子
昨日から時間の合間を見つけては、挽歌を書いています。
遅れを挽回して、「節子暦」に番号を合わせたいと思っているからです。
しかし、書き続けていると話題は似てきます。
今日もまた、「看取り先生の遺言」につながる話です。
この本に、とても興味のある話が出てきます。

東北には、お坊さんとは別に拝み屋さんという女性がいる。「仏おろし」を職業とする人たちである。恐山のイタコや沖縄のユタがよく知られているが、ご先祖の魂を降ろしてきて話をする、いわばシヤーマンたちである。
人が亡くなると、拝み屋さんが亡くなった人の魂を降ろしてきて、その場で死者とコミュニケーションをとる。遺族がどんなに悲嘆を抱えていても、その瞬間にグリーフケアは終わってしまうのである。
お盆にお寺さんにお経をあげてもらった後、こっそり拝み屋さんにご先祖様を降ろしてもらうこともあるそうです。
これは東北や沖縄にかぎった話ではありません。
たまたま東北や沖縄には、長い歴史の中で培われていた文化が残りやすかっただけの話です。
私の知り合いの福岡の加野さんは、いまも定期的に「拝み屋さん」のところに行って、娘さんとの交流を続けています。
私も、加野さんに誘われて一度、拝み屋さんに頼んで、節子の魂を降ろしてもらったことがあります
その時、レコーダーを持っていって録音したのですが、結局、その録音は聞いていません。
もう記録は消えてしまったかもしれません。
そのレコーダーそのものを使わなくなってしまってからもうかなりたちますので。

「拝み屋さん」は彼岸と此岸を往来できる人です。
私の周辺でも、拝み屋さんの話をすると笑う人は少なくありません。
私自身もまじめに話すことを躊躇してしまう気持ちがあります。
しかし、私自身は素直に拝み屋さんのことは受け入れています。
理解できないことを疑うのは、知識人の悪い癖です。
理解できないことあればこそ、真剣に受け止めなければいけません。
節子は、付き合いだしてから、私のあまりに「非常識」な話を半信半疑ながら受け入れてくれました。
節子には、安心して、素直に何でも話せました。
節子は、私以上に、「知識の人」ではありませんでしたから。
現実を受け入れるのは、知識によってではなく現実によってでなければいけません。

節子とは、しかし、「拝み屋さん」の話はしたことがありません。
「拝み屋さん」を通しての節子との交流を、節子は同受け止めたでしょうか。
やはり修の言っていた通りだと思ったかどうか。
少なくとも、彼岸に関しては、節子のほうが詳しくなっているでしょう。

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■節子への挽歌2028:あの世の存在

節子
作家の遠藤周作さんが「あの世」に関心を持っていたことは有名な話ですが、「看取り先生の遺言」にも紹介されていますが、グリーフケアで有名な高木慶子さんに「宗教家が、はっきりあの世があると言ってくれないからいけないんだ」と言ったという話が紹介されています。
岡部さんは、もし「あの世があると信じられるなら、日本人はおおむね死に際して不安感が強く出ない」だろうと考えていたようです。
たしかに、あの世の存在を確信していたら、死は転居でしかありません。
不安もあるでしょうが、期待もある。

最近は会っていませんが、「生きがいの創造」で有名になった飯田史彦さんによれば、来世もまた、同じクルーで人生が構成されるそうです。
飯田さんと私は前世で岩木山に登った仲のようですが、残念なのは、その記憶が必ずしも残らないようなのです。
彼には残っていても、私には残っていない。
来世で、節子に会っても、節子が私を忘れていることは、たぶんにあります。
まあ、私が忘れていることも同じようにありますが。

しかし、来世とあの世とは同じでしょうか。
たぶんまったく違うものでしょう。
「あの世」には一方向に流れる時間はなく、従って「前世」とか「来世」という概念はないはずです。
前世も来世も、そして現世も、織りたたむようにしてあるのが「あの世」なのです。
つまり、現世は「あの世」に包括されるわけです。
だから、いまも節子はここにいる。
そう思えば、遠藤さんが言うように、死への恐怖は少なくなるでしょう。
死は、この世を卒業して、大きな世界に行くことになります。
まさに旅立ちなのです。

なぜ「あの世」の存在が非合理な世界に閉じ込められているのか、私には理解できません。
「この世」があるのであれば、その外側に「あの世」が存在することは否定しようのないことだと私は思います。
もちろん、その存在は確認しようがない。
しかし、「この世」という概念は、必然的に「あの世」を想定しているように思えます。
だからといって、この世からいなくなることがそのままあの世に移ることではありません。

しかし、「この世」を此岸とし、「あの世」を彼岸とすれば、旅立ちの先は彼岸になります。
多くの臨死体験者が語るイメージも、水平をイメージする川と船です。
「岸」という言葉がイメージを実体化させたのか、体験が「岸」という言葉に帰結したのか。
たぶん後者ではないかと、私は思います。
黄泉の国やハディスの冥界は、地下というイメージがありますが、それは三次元でしか考えられなかった「知識人」が考えたからでしょう。
次元にこだわらなければ、空間からも自由になれます。
知識は、時に世界を狭めます。
私は「あの世」の存在を確信しています。

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2013/03/23

■節子への挽歌2027:なぜ節子は幽霊になって戻ってこないのでしょうか

節子
挽歌がたまっているので、岡部さんの「看取り先生の遺言」からの話を続けます。
今度は「幽霊」の話です。

東日本大震災の後、被災地では幽霊を見た人がたくさんいるそうです。
しかも、これまでは幽霊の存在など信じていなかったような人もたくさん幽霊に出会っているのだそうです。
岡部さんは、こう書いています。

今、被災地では幽霊がたくさん出ている。見た人はいっぱいいるのに、医者には言わないのである。もっとも、へたに言えば、異常でもないのに精神異常にされかねないから、言わないのだと思う。今回はあまりにも多すぎるから医療界にも伝わっている。
そうしたことに、被災者が何を感じ、何を欲して.いるかということの本質が出ているのではないかと岡部さんは言います。

幽霊は、この世とあの世をつなぐ媒体の一つです。
科学で合理化された今の時代は、そうした幽霊には居場所はなくなってしまいました。
「合理性というバリアを張っていた近代的都市の枠組みが、あの震災と津波で一瞬にして壊れてしまった」。
そして、それまで「合理の世界」から追い出されていた幽霊が、戻ってきたのではないか、と岡部さんは言います。
とても共感できますし、近代合理主義に辟易している私としては、幽霊に頑張ってもらいたいという思いもします。
幽霊の問題に関しての岡部さんの指摘はとても示唆に富むものですが、もしご関心があれば、ぜひ本を読んでみてください。

ところで、幽霊の「生きる意味」はなんでしょうか。
おかしな設問ですが、人に生きる意味が大切なのであれば、幽霊にもまた「出てくる(生きる)意味」があるはずです。
そして、その意味とは、幽霊に出会った人にとってのものか、幽霊となって出てきた人にとってのものか。
これは意味深い設問です。
こう表現を変えてもいいでしょう。
幽霊を求めているのは誰か、と。

岡部さんは、幽霊を見たという事実から始めなければ、被災者のケアにはならないと話しています。
だとすると、幽霊を求めているのは「見た人」であり、見た人にとって幽霊が必要だったのです。
しかし、俗説では、幽霊は成仏できない魂の現われと言われます。
岡部さんも、あるところで、お経を唱えるだけで幽霊は出なくなるというようなことも話しています。
だとすれば、幽霊を求めているのは幽霊の本体かもしれません。
しかし、たぶんそのいずれでもないでしょう。
幽霊は、残されたものと逝ってしまったものとの相互関係の中から生まれてくるのだろうと思います。
つまり、関係性を修復するためのものではないかと私は思っています。
世の中には「幽霊学」というのもあるそうですので、そうした研究の中で、もうこんなことは明らかになっているのかもしれません。

節子を見送った後、私は節子の幽霊に会えていません。
節子の幽霊が出てこないのは、私にも節子にも、幽霊が必要ないからとも言えるわけです。
あるいは、彼岸の節子と此岸の私の関係性は政情であり、修復は不要なのだといえます。

それは喜ぶべきかどうか。
夢の中の節子は、身体を持っていない場合が多いので(節子を実感する雰囲気の場合が多いのです)、たとえ足のない幽霊でもいいですから、節子に会いたいと思っています。

節子はもう私たちに伝えたいことはすべて伝えているのでしょうか。
節子はかなりアバウトの人だったので、もういいかと思っているのかもしれません。
しかし一度くらい出てきてもいいでしょう。
一度も出てこないとは、困ったものです。

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■節子への挽歌2026:お迎え

節子
前の挽歌でも書きましたが、最近、何回か紹介している岡部健医師の聞き取りを本にした「看取り先生の遺言」を読みました。
そこに出てくる話題のひとつが「お迎え」です。
彼岸からのお迎えということですが、私が子どものころは、高齢者がよく「そろそろお迎えがくる」とあっけらかんと話していたものです。
そうした発言には、むしろ「お迎え」を待ちのぞむといった姿勢がありました。
お迎え文化があれば、死は決して怖いものでもありませんし、終わりでもないのです。
そうした「お迎え文化」は、最近ではなくなったようです。

岡部さんはこう書いています。

お迎えは、ナチュラル・ダイイング・プロセス(自然死の過程)の、臨終に近づく過程で人間に起こる生理的現象ではないだろうか。
昭和30年代の高度経済成長期から以降、コミュニティがなくなり、伝承性が断ち切られ、病院で死ぬことが普通になると、「お迎え」なんて開いたことのない人が圧倒的多数になってしまった。すると、「実はおじいちゃんにお迎えが…」といった日常の中で交わされてきた言葉が、非合理的でいかがわしいものとして隠されるようになる。
しかし、遺族を対象にしたある調査では、4割以上の人が「お迎え」があったと認めているそうです。
岡部さんは、「お迎えをベースに、まず生の死を見つめること」が大切だと話しています。

節子の実母と私の実母とは、死に対してはかなり対照的でした。
節子の母(浄土真宗)は、そろそろお迎えが来るとかお迎えが来る前にとか、死に関してあっけらかんと話していました。
それに対して、私の母(曹洞宗)は、胃がんになってからでさえも、一度も「死」や「お迎え」の話を自分からはしませんでした。
そのためか、死を軽く語ることが不謹慎な雰囲気でした。
この違いは、節子とはよく話題にしたものです。

ところが、節子が病気になってからは、節子からはお迎えの話はまったく出てきませんでした。
私からも、「お迎え」という言葉は出てきませんでした。
あまりに「死」が身近すぎていたからかもしれませんが、死に関してもあまり話し合った記憶がないのです。
病気が見つかる前までは、よく話していたのですが。

「お迎え」に関して地道な調査に取り組まれているのが、カール・ベッカーさんだそうです。
お迎えに対する考え方が同じだったがゆえに、岡部医師とベッカーさんは交流を始め、岡部さんは旅立つ前に話す人として、ベッカーさんを選んだのだそうです。

お2人の対談は、さりげないものですが、強烈なメッセージ性を持っています。
生と死に対する、これほどの対談を私は読んだことがありません。
ベッカーさんが岡部さんに「まだそういう気配(お迎え)はないでしょうか」と訊くとp壁さんは笑いながら「もうちょっとだな」と応えます。
ベッカーさんは、「ちょっと聞いてみただけ。急がれなくていいから(笑)」と言葉を急いで重ねますが、このやり取りが、死を直前にした人とのやりとりなのです。
なんと平安なことか。

対談の6日後に、岡部健医師は息を引き取ります。
その半年前に、私は岡部さんと立ち話をする機会をもらいながら、そういう話をまったくしらずに、機会を活かせずに終わってしまいました。
でもその時の、「絆とみんないうが、それがいやで捨ててきたくせに」と吐き出すように話した岡部さんの言葉が、ずっと心身に刺さっています。
以来、私は「絆」という言葉を使うのを止めています。
それが私にとっての、唯一の岡部さんとのつながりです。

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■節子への挽歌2025:最後に話したい人

節子
昨日、社会教育的な映画制作をしている斎藤さんがやってきました。
前に菊井さんと一緒に湯島に来たことがあるのですが、今回は映画制作の話でやってきました。
いろいろとお話をお聞きしていると、共通の友人知人が見つかりました。
人間は、長い人生を送っているとつながりが生まれることがよくわかります。

それはそれとして、いま、その会社で「看取り」関係の映画を制作中とのことです。
「看取り」は社会の大きな問題になっていくでしょう。
しかし、実際に看取りをした人は、そう多くはないかもしれません。
私は父母と妻の3人を看取りました。
娘たちも同じです。
そういう意味で、私も娘も、死への恐怖や偏見は少ないと思いますが、最近の二世代家族化や病院死の増加の中で、死を実感する機会がない人も多いでしょう。

その看取りに関して、斎藤さんが面白い体験を話してくれました。
あるお寺で、死を迎える最後に、もし3人の人と話すことができるとしたら、誰にどの順序で呼びたいかというワークショップをやったことがあるそうです。
人によって、全く違っていたといいます。
節子は、どうだったでしょうか。
実際には、節子は私と娘2人に看取られましたが、もし自分で選択するとしたらどうだったか。
間違いなく、その3人だったでしょう。
もし一人だったら、それはもちろん私でしょう。
その確信はあります。
私の場合も全く同じです。

しかし、伴侶は必ずしも選ばれないかもしれません。
先日、紹介した岡部医師は、家族ではなく、カール・ベッカーを選びました。
彼岸に旅立つ5日前の、岡部さんとベッカーさんの短い対談は「看取り先生の遺言」(文芸春秋社)に収録されていますが、実にさわやかで、示唆に富んでいます。
その対談のそばに、奥様がいたのではないかと思いますが、伴侶や家族は生活共同者ですから、むしろ選ばれないのかもしれません。
伴侶を選ぶようでは、まだまだ一心同体にはなっていなかったのではないかという気もします。
にもかかわらず、私は最後にはまた節子と話したいと思います。
それは、まだまだ節子と話したいことがたくさんあったからです。
私たちは、お互いにかなり話し合った夫婦だと思いますが、話せば話すほど話したいことは増えていくものです。

とても残念なのは、節子がきちんと話ができるときに、ゆっくりと話す時間を持たなかったことです。
私もそうですが、娘たちもそうです。
節子がもし、私たちに何かを言い残すとしたら、何を言い残したでしょうか。
そのことが、時々、ちょっと気になることがあります。

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2013/03/21

■節子への挽歌2024:長寿信仰

挽歌2010で、岡部医師のことを紹介しました
その岡部さんの遺言としての聞き取りをまとめた「看取り先生の遺言」を読みました。
この種の本を読んだのは、節子を見送ってからは初めてです。
これまで「読む勇気」がなかったのです。
昨年、岡部さんとお会いした時には、すでに岡部さんは死を間近に確信していたのです。
実は、私は、その時に岡部さんに死相を感じていました。
でもたぶん、それは私の勘違いだろうと思っていました。
岡部さんのお話には、そんなことを微塵も感じさせないものがありましたし、講演の後、立ち話をした時も、その強い社会へのまなざしを強く感じたからです。
死を意識した人とは、とても思えませんでした。
しかし、その時には、もうこの遺言の聞き取り作業が進んでいたのです。
そのことを知って、読もうと思ったのです。

がんにことに関する詳しい部分は、さすがに冷静には読めませんでしたが、いくつか心やすらぐところがありました。
その一つが、「長寿信仰」への岡部さんの言葉です。

がんになって思うのだが、長寿信仰は患者さんを非常に苦しめるということだ。長生きがいいなんて誰が決めたのだろう。世界の長寿国になったことがなぜいいのだろう。日本人はいつからこれほどまで長寿を信仰するようになったんだろう。
人間、60を過ぎたら、あきらかに生命体としての生存意義が終わっているのだ。ひと昔前なら、それ以上の長生きははかない夢に過ぎなかっただろう。それが医療の進歩によって可能性が出てきたため、いつの間にか目標に置き換わってしまったのである。
人間はほどほどでいいのだ。運がよければ長生きしている人もいる、くらいでいいではないか。60歳まで生きたんだからよかったな、で旅立たせでくれてもいいだろう。
岡部さんは62歳で亡くなりました。
奇しくも節子も同じ62歳。
この岡部さんの文章を読むまで、私は節子があまりにも早く逝ってしまったと思っていました。
それが、私の心をいつも苛むのです。
でも岡部さんは、「60歳まで生きたんだからよかったな、で旅立たせでくれてもいいだろう」と言うのです。
少し気が楽になりました。
もちろん、私にとっては、早すぎたという思いは変わりませんが、でもどこかにほっとする、
少し救われた気持ちが生まれました。

長寿信仰に、私もすっかりと浸かっていました。
長生きするに超したことはありませんが、長ければ良いわけでもない。
私自身も、長生きしようなどという執着はなかったのに、いつの間にか長生きが良いことだという思いになっていました。
大切なのは「長さ」ではなく「自分らしい人生」です。
節子は、節子らしい人生を生きたことは間違いないような気がします。

この本は、遺言などと書かれていますが、岡部さんの生き生きした人生が伝わってきます。
なぜ昨年お会いした時に、もっとゆっくりと話さなかったのか、改めてそれが悔やまれます。
恥じ入るばかりです。

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■節子への挽歌2023:キルリアン効果

節子
前の挽歌を書いていて思いだしたのが「キルリアン効果」です。
記憶が少しあいまいだったので、帰宅後、昔読んだ本を探し出して、キルリアン効果のところを読み直しました。
記憶していた内容と少し違っていました。
記憶とはかくも改竄されるものなのだと思いしらされました。

対象物に高周波・高電圧を掛けて発生させたコロナ放電による発光現象を撮影した写真のことをキルリアン写真といいます。
1930年代にロシアの電子工学技術者のキルリアンが開発したものです。
私の記憶では、これは生命活動による発光現象で、生命が失われても残像効果がしばらく残ることを証明したと記憶していました。
たとえば、植物の葉をキルリアン写真の装置に乗せて写真を撮り、その後、葉を取り出して、その半分を切除して、もう一度、撮影すると、切除された葉の部分のところにも発光が撮影されるのです。
あるいは、事故で右手を失った人のキルリアン写真には、右手もぼんやりと写っている。
そこにあるべき、あるいは存在した生命が、取り除かれてもしばらくは存在した証しを残すというのです。
生命の存在の証しがしばらくは残る。
私が記憶していた「キルリアン効果」はそういうものだったのですが、見つけた本にはあまりそうした記述がありません。
私の記憶違いか、あるいは別の本で読んだのかもしれませんが、それらしき本は見つかりません。

でもまあ細かな詮索はやめましょう。
大きな意味での人間の記憶は正しいというのが私の考えなのです。

先の挽歌につなげて書けば、こういうことです。
節子は彼岸に旅立ってしまったものの、その存在の証しは、いまなお此岸に存在するのではないかということです。
前の挽歌で書いたように、いなくなった節子が、いまなお私の行動や考えに影響を与えているということは、キルリアン効果と関係しているのではないか。
そう思ったのです。

身体は多くの人の五感で確認できる物理的存在ですが、生命は今の科学では存在を確実には追跡しきれていません。
ですから、五感では確認できなくとも、存在を否定しなければいけない理由はないのです。
さらに、もしキルリアン効果があるのであれば、節子の写真を撮れるかもしれないのです。
もちろん写真に撮ったところで意味はありませんし、撮りたいとも思いませんが、彼岸とのつながりを確認できるかもしれない。

その後、キルリアン写真はどうなったのか。
ちょっと気になりだしました。
すっかり忘れていましたが、少し調べてみたいと思います。

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■節子への挽歌2022:勘違いを質す人の不在

節子
人はよく勘違いするものです。
それを質してくれる人がいないせいか、最近、勘違いの連続です。
たとえば、先週から記録映画「自殺者1万人を救う戦い」のDVDを広げる活動を始めました。
呼びかけた途端にワッと連絡が来ましたので喜んだのですが、1週間したら、パタッと止まってしまいました。
1週間で用意した130枚がなくなるかも知れないと思っていたのに、実際にはまだ40枚も残っています。
1時間も自殺をテーマにした映画をみるというのは、かなりの壁があるようです。
そんなことは素直に考えたらすぐわかることです。
しかし、その渦中に入ってしまうと、その感覚がなくなってしまいます。

一昨日、放射線汚染に関する集まりをやりました。
10人の参加者がありましたが、これもわっと集まるのではないかと思っていました。
しかし、いろいろと呼びかけて10人です。
この集まりは3回目ですが、生々しい話を聞けるのに、なぜみんな集まらないのだろうと思ってしまいます。
そう思うのは企画者の勘違いなのですが、一人で取り組んでいると、自分の行動を相対化できないことが多いのです。

この3年間、私も活動を再開してきましたが、そうした勘違いが少なくありません。
そして厭世観や人嫌いに陥ってしまうわけです。

人は、いなくなってから、その存在の意味がわかるものなのかもしれません。
いる時に考えている意味は、まああんまり本質的なものではないようです。
節子のありがたさは、いた時といなくなってからとでは違います。
価値は、不在になってから生まれてくるのかもしれません。
改めて、節子と一緒に暮らした40年が、私の人生だったのだと思います。
節子はいなくなりましたが、それでもまだ、時に私の行動や考えを質してくれています。
ただ私がそれに気づくのが、いつも少し遅すぎるのですが。
困ったものです。

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2013/03/20

■節子への挽歌2021:自然も単純に循環はしていない

節子
各地で桜が咲き出しました。
残念ながら、今年のわが家の2本の桜は全滅です。

節子は桜が好きでした。
ギリシアのスニオン岬に行った時にも、ここに桜を植えたらどうだろうと言っていました。
ギリシア大使館に手紙を書いたような気もします。

春になると桜が咲く。
毎年繰り返される、そんななんでもないこともうらやましく思うようになりました。
毎年、生を繰り返す植物は、今の私にはとてもうらやましい存在です。
春が来て、桜が咲いても、一緒に見に行く人もいない。
私にとっては、桜の意味が全く変わってしまったのです。
そして、それまでの四季をめぐる循環的な暮らしが、何か先に向かって一直線に進む直線的な暮らしになってしまったのです。
最初は、悲しみが繰り返される循環的な暮らしだと思っていましたが、どうもそうではない。
戻ることのない、一方向に進むだけになったのです。
時間感覚が大きく変わってしまったのです。

これはもしかしたら、伴侶を失ったからだけではなく、年齢のせいなのかもしれません。
しかし、節子との別れが、それを意識化させたことは間違いありません。
一見、繰り返されるように思えて、もしかしたら来年はこないかもしれない。
節子との別れを体験したことで、それが実感できるようになったのです。
伴侶との一緒の暮らしは、永遠と続くわけではない。
そして、自らの人生もまた、永遠に続くわけではない。
そのことは、頭ではわかっていても、心身は循環に慣れてしまっていたのです。
朝が来れば日が昇り、春が来れば桜が咲く。
いつも隣に節子はいる。
しかし、その太陽も桜も、同じではないのです。
そして、節子のように、もしかしたらいなくなるかもしれない。

レーチェル・カーソンは「沈黙の春」で、循環が断ち切られる恐怖を予告してくれました。
しかし、それを頭ではなく心身で受け止めて、生き方を変えた人はほとんどいないでしょう。
エコロジストを自称していた私も、そう生き方が変わったわけではありません。
いつの間にかわが家も自家用車を買い、洗剤を使うようになってしまいました。

しかし、伴侶を失うと、考えが変わります。
今日と同じ明日が来るという確信が消え去ります。
だから今日を大事にし、明日を大事にしなければいけないと思えるようになるのです。
それを強烈に教えてくれたのが節子です。
闘病の時も、そしていなくなってからも。

妻の死と地球環境をつなげるには、いかにも牽強付会のように感ずるかもしれません。
しかし、時間感覚が変わると、世界は違ってみえてきます。
自然は、循環などしていないのです。
たとえそう見えたとしても、

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■節子への挽歌2020:「とてもいい人生だった」

節子
昨日書いた、テレビの「世界ふれあい街歩き」で心に残った言葉があります。
6歳の時に釘で大理石に文字を刻む遊びをしたのがきっかけになって、以来72年間、大理石に文字を刻む仕事をしている人の言葉です。
その人は80歳近くなる今も、自分の小さなお店で仕事を続けています。
そして、「遊びが仕事になって、とてもいい人生だった」と話していました。
ちょうどお昼時でしたが、仲間らしい3人ほどの人と一緒に食事をしていました。
毎日、この風景が続いているのでしょう。
とても幸せそうな風景です。
私も、会社を辞めて、節子と一緒に活動し始めて以来、遊びと仕事が重なりました。
とてもいい人生が始まったのです。
節子はどうだったでしょうか。

節子は、病状が悪化し話せなくなってしまってからのある日、私に鉛筆と紙を求め、そこに「とてもいい人生だった」と書いたことがあります。
当時の私は、節子との別れをまったく受け入れることができずに、そうした遺言的な節子の言動を受け入れることができませんでした。
いまになって思えば、節子のそうしたメッセージを、きちんと受け止められずに、聞き流す感じになっていたかもしれません。
当時の私には、「過去形」で人生を語ることはできなかったし、受け入れがたかったのです。
しかし、節子には先が見えていたのでしょう。
だから過去形で語れたのです。
「いい人生です」とは言えなかった。
その時になぜ、私は「いまも、これからもいい人生だよ」と応えられなかったのか。
悔やまれてなりません。
その時のことは、思い出すだけで、胸が詰まります。
涙も出てきてしまいます。
そして、今なお、深い罪の意識に襲われます。
過去形で語る節子と現在形でしか語れなかった自分との溝に気づくと、私は本当に節子と一緒に生きていたのだろうかという思いも出てきます。
だからその時のことは、あまり思い出したくないのです。
節子が書き残した、その時のメモを見る勇気も、まだ出てきません。
逃げているのかもしれない。
そんな気もしますが、いつかきっと素直に見られるようになるでしょう。
もしその前に、私が逝くことになったら、娘に頼んで一緒に送ってもらおうと思います。

「とてもいい人生だった」。
残念ながら、いまはまだ、そう言えない自分がいます。
たぶん、本当は、とても「いい人生」なのでしょう。
節子に感謝しなければいけません。
ありがとう、節子。

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2013/03/19

■節子への挽歌2019:節子の遊び心

節子
娘たちと4人で、お彼岸のお墓参りに行ってきました。
順の連れ合いの峰行も、今日はお店がお休みなので、一緒です。

最近は、月に1回くらいしかお墓に行かなくなってしまいました。
毎週行こうと決意していたのですが、寒いとついついさぼってしまいます。
まあ節子もそうしたことに「理解」の深い人でしたから、許してくれるでしょう。

お墓では、いつも私が般若心経をあげさせてもらいます。
供花は、花屋さんで買ったものに、必ずわが家の庭の花を添えることにしています。
今は水仙が満開ですので、水仙を持っていきました。
こうしたことは、節子の文化です。
それが娘たちにきちんと伝わっていくことをうれしく思います。

わが家のお墓には、よくみるとおかしなものが存在します、
お墓のまわりに敷いてある砂利をよく見ると、お地蔵さんの上半身が見つかるでしょう。
以前は全身の地蔵菩薩で、お墓に乗っていたのですが、強風時に下に落ちて割れてしまったのです。
さてどうするか。
わが家の文化では、簡単には廃棄しません。
半分に割れた上半身のお地蔵さんを、さりげなく砂利石のなかに埋め込むことにしたわけです。
知らない人が気づくとぎょっとするかもしれません。
なにしろお地蔵さんが土中から生えてきているのですから。

こういうなんでもない仕掛けが、わが家の文化でした。
思いもしないところにフクロウの置物があったり、浴槽に入って目の前に小さな枯山水の庭のようなものがあったり、部屋のガラスや障子に枯れ葉が付いていたり、そんなマイクロインテリアが節子は好きでした。
私も、それが気に入っていました。
とても、です。

しかし、節子がいなくなってからは、そうした無意味なインテリアは次第になくなってきました。
今となっては、節子のそうした遊びがとても懐かしく思い出されます。
私の生活を豊かにしてくれていた節子に、いまさらながら感謝です。

さてお墓の半地蔵ですが、まあ気づく人はいないでしょう。
それはいいとしても、お墓の掃除をしてくれている人に、ごみと間違われなければいいのですが。

ちなみに、お寺では観音菩薩や如来がいいですが、お墓ではやはりお地蔵さんです。
お地蔵さんには、親しみを感じます。

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■TPPを考える視座3:太平洋かアジアかの違い

TPPを考える視座として、もうひとつ気になるのは、テレビでのTPP解説によく出てくる、太平洋を真ん中に置いた地図です。
その地図を見ると、多くの国が参加しているなかで、日本も参加しないわけにはいかないとメッセージが迫ってきます。
ほとんどの国が参加している普遍的なシステムのように見えてきますから、参加して当然と思いたくなります。
しかし、地図をアジア中心に変えれば、図柄は大きく変わります。
ど真ん中の中国はTPPの埒外に置かれていますから、TPPはサブシステムでしかないことが可視化されます。
物事の見せ方によって、印象は全く別のものになります。

なぜ私たちに見慣れたアジアの地図ではなく、太平洋の地図を使うのか。
これは、悪意があるわけではなく、TPPを説明するためには当然のことなのですが、だからこそ視界を規定していく効果があるわけです。
こうしたことは、たくさんあります。
しかし、私たちはほとんどの場合、それを意識したことはないでしょう。
こうした、無意識のうちに行動を方向づけられることを「ナッジ」といいますが、私たちは、知らず知らずのうちに、判断や行動を外部から規制されているのかもしれません。

話を戻して、TPPの話ですが、これは大きくは、中国と共に生きるかアメリカと共に生きるかの選択肢かもしれません。
そのことからわかることは、これは「ブロック経済化」の話ではないかということです。
つまり「世界に開く行為」ではなく「世界を閉ざす行為」ということです。
その視点がまったくないのが、気になっています。

ちなみに、中国は大きすぎて、よくわからない国です。
それに日本では、中国関係の情報は報道者の「悪意」を感ずるほど、マイナス情報が多いので、中国への信頼は低いように思います。
これもまた、私たちは実に巧妙に意識づけられているような気がしてなりません。
同じことは、北朝鮮にも言えるのですが。

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■TPPを考える視座2:生活の視点から考えることの大切さ

TPP参加の是非をめぐる議論のほとんどが、「経済」や「産業」の視点から行われているように思います。
最近の経済や産業は、システムとして論じられることが多く、生業を基本とした経済とは似て非なるものになってしまったために、そこでの視野には「人々の生活」が欠落しています。
主役であるはずの人間が、どうもそこには見えません。

サブシステンス経済という言葉があります。
このブログやホームページでも何回か使っていますが、私自身まだ消化しきれていない言葉です。

私はイリイチの本でこの言葉を知りましたが、翻訳者である玉野井さんは「地域の民衆が生活の自立・自存を確立するうえの物質的精神的基盤というほどの意味」と訳しています。
人が生命として本来行っている「生命の維持や生存のための活動」といってもいいでしょうか。
このブログでも紹介した「アンペイド・ワークとは何か」の翻訳者の中村陽一さんは、サブシステンスを、単なる生命維持や生存にとどまらず、人々の営みの根底にあってその社会生活の基礎をなす物質的・精神的な基盤のことと考えます。
さらに視野を広げたのは、阪神・淡路大震災からサブシステンス社会へというメッセージをこめた西山志保さんの「ボランティア活動の論理」です。
彼女は同書の中で、サブシステンスを「身体性をそなえた人間が、自己存在を維持するために他者に働きかけ、支えあうという、生存維持の根源的関わり」と捉えます。
とても共感できる捉え方です。
いずれにしろ、資本に雇用された賃労働とは違って、生活そのものとのつながりを感じさせる活動です。
いささかややこしい話をしてしまいましたが、私自身は極めて簡単に、サブシステンスを「自らを生きるための活動」と捉えていますが、そうした視座から、最近の経済や産業を考えると、それらがサブシステンス、つまり私たちの生きる基盤を支えるどころか、壊す方向に動いているのではないかと思えてなりません。
つまり、最近の経済は、人間までをも無機質な要素にしてしまった、死の経済だと思えてならないのです。
そのわかりやすい例が、日本の農業です。
これに関しては、すでに1970年代に坂本慶一さん(「日本農業の再生」)がこう指摘しています。

「農」を排除した工業化社会は既に「死」の論理を内包しつつある。
「農」とは, 農業・農村・農業社を包括するとともに, 農業の本質である「生」の論理を意味している。
「生」は生存, 生命, 生活を包含する。
このメッセージは、私が会社を辞める一因にもなったものですが、残念ながら時代の流れは、ますます私が懸念した方向に向かっています。
TPPの議論を見ていて、それを改めて感じます。

長々と書いてしまいましたが、数字だけの資本のための経済ではなく、人間が主役のサブシステンスな経済へと、私たちは意識を変える必要があります。
経済成長が目的ではなく、みんながそれぞれに生きやすい社会を支えてくれる経済こそが、いま大切です。
TPPの問題も、そうした視座から見直してみると、新しい見え方がしてきます。
医療や福祉の世界での影響は、比較的わかりやすい分野です。
それをきちんとテレビは報道してほしいですが、しかしそれを観る時間がないほど、賃労働者は働かされています。
そして、そうした人たちが、TPP賛成に一票を投じているのが現実でしょう。
一番被害を受ける人たちが賛成するという、悪魔の方程式が、ここでも成り立っているのです。

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■TPPを考える視座1:自由貿易をどう考えるか

TPP参加交渉が規定の路線となってきました。
過半数の国民が、それに賛成のようです。
もともと「TPP」とは何かがわかっていない状況での世論調査は意味がありませんが、そうした数字が発表されると、それは実際の動きに大きな影響を与えます。
世論調査ほど、危険なものはありません。

テレビでのTPP報道を見ていると、賛成したくなる人は多いでしょう。
確かに、経済や産業の視座から考えると、合理的かもしれません。
それにそもそも、「自由貿易」は「良いこと」だと思っている人には、最初から肯定的な心情が存在します。
「自由」というマジックワードに、私たちはいつもだまされるのです。

下の文章を読んで、どう思われるでしょうか。

一方には、経済成長を重視し、そのために市場経済の自由化を進めようとする、経済的に恵まれている人びとの政党がある。彼らは政府による介入を嫌がり、なるべく政府の役割を小さくしようとするでしょう。他方では、産業化が進み、企業活動が活発になる中で、一向に生活が楽にならず、貧困にあえぎ、労働問題や都市問題に苦しめられている人たちがいる。彼らの政党は政府による所得の再配分を求めます。この対立関係こそが政党政治の原型でした。
これは杉田敦さんの「政治的思考」(岩波新書)の一説です。
この短い文章の中に、たくさんの示唆が含まれています。

このブログでも何回も書いていますが、経済成長と生活の豊かさはまったく別のものです。
さらにいえば、「生活の豊かさ」は、その社会の中でどういう位置に置かれているかで、穂と様々です。
当然のことながら、ゼロサム社会にあっては、誰かの豊かさは誰かの貧しさによって成立します。
自由貿易とは、経済的な格差を平準化させるものではなく、むしろ構造的に格差を固定化させるものです。
これについては、すでに多くの分析調査があります。
にもかかわらず、多くの人は静態的な論理モデルの経済学に教えにより、自由貿易肯定論者なのです。
自由貿易が、どれほど南北の格差を拡大し、貧困を発生させたか。
自由貿易の「自由」は、力あるものの自由以外の意味はありません。
そのことを忘れてはいけません。

自由貿易を推進させるTPPは、私にはそれだけで十分反対なのです。

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■節子への挽歌2018:人が多いほど幸せになれる

節子
今朝、食事をしながら、テレビの「世界ふれあい街歩き」を見ていました。
ローマの下町編でしたが、普通のレストランで2人のお年寄りがカンツォーネを歌っている場面がありました。
即興だと思いますが、最近ローマには観光客が多くなり、迷惑がっている人もいるが、私はうれしい。人が多いほど、幸せになれるから、と歌っていました。
とてもいい声でしたが、この言葉のほうに感ずるものがありました。

人が多いほど幸せになれる。
たぶん、正しくは違った表現だったと思いますが、その言葉が私には残りました。
たくさんの人に出会えるうれしさ、たくさんの人と話し合える喜び。
そういえば、最近、そういう体験が少なくなりました。
もしそういう機会が巡ってきても、それに背を向けることが多くなりました。

最近、人と出会う機会も少なくなりました。
以前なら毎週、10人を超す新しい出会いがありましたが、最近は新しい出会いはさほどありません。
湯島で人に会う機会も、以前ほど多くはありませんし、しかも最近は友人知人が多くなりました。
私自身が少し人嫌いになっていることもありますが、わざわざ誰かに合いに出かけていくこともほぼなくなりました。
もしかしたら、それが最近の私の気力の低下につながっているのかもしれません。

人は、悲しい事件やさびしい事件が起こると、なぜか内に閉じこもりたがります。
少なくとも、私の場合はそうでした。
外に出て行こうとしても出て行けない。
出て行けたとしても素直になれない。
そして、ますます気が萎えてくる。
幸せとは程遠い構図ですが、幸せから逃避しようという無意識の志向があるのかもしれません。
それはそれで仕方がないのですが、そういう生き方がつづくと、そこから抜け出ようと思ってもなかなか抜けられなくなるのです。

でも、やはり、「人が多いほど楽しい」ことは間違いありません。
春になりました。
そろそろ街に出るのもいいかもしれません。

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2013/03/16

■節子への挽歌2017:どっさりのあさり

節子
九州の蔵田さんから恒例の春の便りです。
蔵田さんが近くの海で採取したあさりをどっさり送ってきてくれたのです。
自然のあさりなので、いつもとても立派なのです。
それでも年々、とりにくくなっているようですが、あさり好きの私のために、蔵田さんはたぶん自分のところの分も残さずに、私に送ってきてくれたような気がします。
蔵田さんは、そういう人なのです。
私は、いま、ペイ・フォワード方式でDVDを広げる活動をはじめましたが、蔵田さんもまた、ペイ・フォワードな生き方をしてきているように思います。
そういう人は、私の周りには少なからずいます。

早速に蔵田さんに電話しました。
お元気そうでした。
それにしても、といつも思います。
なんとまあ私たちは心あたたかな人たちに囲まれていることか。
にもかかわらず、なぜに節子は先に逝ってしまったのか。
このあたたかな思いやりを私だけで受けてしまうのが、私はいつもとても無念なのです。
でもまあ、私がこんなに元気なのは、そうしたたくさんの人からのあたたかな思いやりのおかげなのでしょう。

蔵田さんが電話の向こうで、あさりをたくさん食べると風邪なんか治りますよ、と言ってくれました。
さて、明日は、あさりのフルコースです。
きっと元気になるでしょう。

あさりは早速にお裾分けさせてもらいました。

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■節子への挽歌2016:レネさんからの質問

「自殺者1万人を救う戦い」を制作したレネさんをNHKが取材していますが、レネさんからメールが来ました。
家庭での生活ぶりも取材したいと言ってきたそうです。
レネさんはちょっと戸惑っているようで、メールで私に質問してきました。

Do you think my wife would agree to filming in my house?

なんとも答えようがないのですが、それで思い出したことがあります。
25年前、私が会社を辞めた時ですが、友人のマスコミ関係者に、私が会社を辞めた後、どうなっていくかを追跡したら面白いのではないだろうかと話したのです。
当時はまだ今ほど、転職は多くありませんでしたし、私の場合は転職というよりも会社を辞めた後のことを何も決めていなかったので、面白いと思ったのです。
大企業の安定した生き方を止めてしまったら、どうなるか。
我ながら興味のあるテーマでした。
ところが、彼からのオファーは、家族を巻き込んでの追跡取材はどうかということでした。
彼の関心は、家族がどうなっていくかだったのです。

家族に相談したら、総反対でした。
会社を辞めることには異を唱えなかった節子も反対。
当時の節子にとっては、家庭の情景を外部に見せるなどということは、全くありえない話だったのです。
娘たちにいたっては、それ以上で、冗談はお父さんだけにしてよ、というわけです。
それで断らせてもらったのですが、友人からは腰がすわっていないと後々まで言われてしまいました。

あの時、もし、節子を説得して取材を受けていたらどうなっていたでしょうか。
間違いなく、家族の人生は変わっていたでしょう。
節子は病気になっていなかったかもしれません。
まあ、しかし、歴史に「もし」がないように、人生にも「もし」はないのです。

カメラこそ入っていませんが、この挽歌は私の人生を思い切り公開しています。
節子がいたら、こうはなっていなかったかもしれません。
娘からはなんでもかでも書くのは止めてよ、と言われています。
しかし、隠し立てするような人生を、私は送りたくはないのです。
でもまあ、あまり暴露すると節子もきっと怒るでしょう。
ほどほどにしないといけません。

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■節子への挽歌2015:昼寝のおかげで元気になりました

節子
風邪が治るようで治らない状況を相変わらず続けています。
昨日は、湯島で人と会っていたのですが、2人目の人の途中でなぜか急につらくなってきて、帰宅後、発熱してしまいました。
体力がなくなっていることがよくわかります。
挽歌も書く元気がなく、すぐに寝てしまいました。
今朝もあまり調子がよくなかったのですが、午後、久しぶりに昼寝をしました。
めずらしく2時間ほど快適な眠りを得ました。
おかげで何かすっきりして、風邪が治った気分です。

節子は、昼寝のできない人でした。
明るいと眠れないのです。
私は交通機関だと昼間でもよく眠れますが、なぜか自宅のベッドでは昼間はなかなか眠れません。
しかし、今日は疲労がたまっていたせいか、よく眠れました。
久しぶりに眠ったという爽快感がありました。
なにしろ毎朝、老犬のチビ太の鳴き声に起こされているものですから。

それにしても、今回はなかなか風邪が治りません。
たいした状況ではないのですが、なんとなく不調で、時々、微熱が出ます。
のどの痛みはなくなりましたが、良くなったかと思うとまたダウンする。
そんな連続なのです。
まあ娘に聞くと、最近はいつもそうだよというのですが、なにかすっきりしません。
その一因は、生活にメリハリがつけられないことかもしれません。
最近の私の生き方は、ともかくだらだらしています。
節子がいたころとは大違いです。

昼寝をして元気が出たような気分になって、いろいろやっていたら、夕方になって、またちょっとつらくなってきてしまいました。

生活態度をきちんと注意してくれる人がいないとだめなのかもしれません。
節子が最後まで心配していたように、どうも私は自立できていないようです。
実に困ったものです。

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2013/03/14

■節子への挽歌2014:花かご会のみなさんが風の中で作業していました

節子
昨日はすごい強風で、常磐線が運転を中止するほどでした。
その強風のなかを、花かご会の人たちが我孫子駅前花壇の手入れをしていました。
先日、友人さんからもらった幕張で来週開催されるフラワー&ガーデニングショーのチケットを届けました。
節子がいたら、率先して呼びかけるだろうと思ったからです。
みんな喜んでくれました。
花かご会のメンバーもだんだん歳を重ねてきていますが、こんなに風の強い日も頑張っているのに頭が下がります。
こうした地道な地元の活動が、私には欠けています。

それは、節子と私の生き方の違いでもありました。
私が節子に感謝していたことは、節子のおかげで、自分の生き方を相対化しやすかったことです。
それに、節子は素直に私の生き方の気になることを素直に指摘してくれました。
節子と2人で湯島にいると、一人だけではないたくさんの気づきもありました。
節子への対応を見ていると、初めて来た人も、その人柄がよくわかることもあります。
その人の、私への接し方も、相対化できるわけです。
そこで学んだことはたくさんあります。

花かご会のみなさんと知り合ったのも、節子のおかげです。
節子のおかげで、間違いなく、私の世界は広がったのです。
その私の最近の世界はどうでしょうか。
広がっているでしょうか。
それが少し心配です。

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■福島の放射線汚染の実情を立柳さんにお聞きする会のお誘い

湯島で定期的にやっている「技術カフェ」という集まりで、ウェザーマップ方式で全国のライブな放射線汚染度マップをみんなで作り上げていく仕組みができないかという話題がでました。
そこで、まずは実際に福島に行って、自分たちで汚染の実情を実感してこようということになりました。
マスコミ報道のデータから考えるのではなく、自分たちの実感から考えようということです。
しかし、どの線量測定機を買えばいいかも良くわからないので、この2年間近く、福島と東京を往来している生活の中で、実際にご自分で線量計を装着して、それを記録をしつづけている立柳聡さんに改めてお話を聞こうということになりました。

立柳さんの話は、すでに2回ほど、湯島でお聞きする集まりをしていますが、生々しくて毎回刺激を受けます。
せっかくであれば、できるだけ多くの人にも聞いてもらいたいと思い、技術カフェのメンバー以外にも声をかけさせてもらうことにしました。

放射線汚染度マップづくりプロジェクトというと、ちょっと腰が引けるかもしれませんが、福島の実情とそこに深く関わっている人の思いを聞くという気楽な感じで、もしよかったらご参加ください。
子育ての関係で、放射線の拡散を気にされている方も参考になると思います。
気楽な集まりですので、コーヒーを飲む気分でお越しください。
誰でも歓迎ですが、できれば参加される方は事前にご連絡いただけるとうれしいです。
また周辺にこのプロジェクトに関心を持ってもらえそうな人がいたら、お声がけしてください。

○日時:2013年3月19日 午後7~9時
○場所:湯島コンセプトワークショップ
http://homepage2.nifty.com/CWS/cws-map.pdf
○会費:500円

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■税理士への不信感

最近、極度に財務状況の悪い2つの企業の再建の相談に乗っています。
それぞれ両者の確定申告書を見せてもらって、ある判断をしたのですが、実態に触れていくとあまりに実態と違うので唖然としました。
いずれも、税理士が指導して税務報告している会社です。

そういえば、数年前、子育て支援の市民活動を長年やっている代表の人から、やはり経営上の相談を受けました。
その時も実情を聞いて唖然とし、すぐに長年、その活動を税務的に支援している会計事務所の税理士に会いました。
その方は、とても誠実な方だったのですが、お聞きすると助言はしていたが、最終的な決断は当方ではできないので、と説明されました。
その時には、別に不正なことがあったわけでもなく、問題は経営者側にあることがわかり、経営者とかなり議論したのですが、理解してもらえなかったの、手を引かせてもらいました。
長年、その活動を高く評価していた人だったのですが、いまの実態を知って、とても悲しい思いをしました。
税理士がきちんと厳しい指導をしてくれていたら、ととても残念です。

また昨年、ある有名なNPOの理事の方が相談に来ました。
そのNPOは著名な方が代表になっており、一時は行政からもかなりの助成金が出ていたはずです。
理事や関係者には私の知人も多かったのですが、かなりの債務を抱えてしまい、動きが取れなくなったのだそうです。
いまは、往時の代表者は跡形もなく(いわゆる有名人は責任をとらないことが多すぎます)、これまた唖然としましたが、このNPOにもきちんとした税理士がついていたはずです。
税理士がきちんとアドバイスをしていれば、そんなことはおきなかったはずです。
相談に来た理事の方は、私の知人なので、ささやかに復活を支援しています。

まあ、こういう話がいろいろとやってくるのです。
だから疲れるのです。

さて、税理士の話ですが、最近の2つの会社の事例は、明らかに税理士の不正行為です。
ひとつの会社の税理士とは電話で話しました。
そうしたら、こういわれました。
脱税になるような不正行為はしませんが、税が増える方向ですからいいでしょう。
絶句に違いですね。

友人の公認会計士から言われた言葉を思い出しました。
税理士は税務だけを考えているので、経営など何もわからないのですよ。

私の周りには、誠実で経営のこともしっかりわかっている税理士も少なくありません。
しかし、最近は、税理士への不信感が高まっています。
ちなみに、いま関わりだしている2つの会社の経営者の一人は人生を狂わせ、その余波を私も受けています。
もうひとつのほうもいささか危うい状況で、娘からは関わらないほうがいいと言われていますが、友人が困っていたら関わらないわけにはいきません。
2人も、とても善意の人だったと思いますが、そういう人をおかしくした税理士は、私には許せません。
誠実な税理士の方には申し訳ないですが、税理士協会のようなところできちんと倫理規定を作るべきではないでしょうか。

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2013/03/12

■節子への挽歌2013:庭が無残になりました

節子
春が来ました。
しかし残念ながら、わが家の河津桜は、今年は咲きませんでした。
これは完全に私の責任です。
河津桜は鉢植えにしているのですが、冬には家の裏に置いているため、水が不足していたのです。
そのせいで、つぼみが育たず、最初から葉桜になってしまいました。
それにしてもつぼみが一つもないのです。
桜だけではありません。
せっかく地植えにしたランタナも、今年の冬の厳しさでだめになったかもしれません。
節子の時代の花や木も大打撃です。
庭は無残な状況です。
やはり生き物は、心と手をかけないといけませんね。
節子がどれほど手入れをしていたかがよくわかります。
節子が大切にしていた、山野草も無残です。
まあ、しかしこれも仕方がありません。
節子がいなくなっても、何も変化がなければ、むしろ節子も悲しむでしょう。
変わればこそ、節子が生きていた証を感じられるからです。

しかし、いささか無残すぎます。
もう少しあったかくなったら、庭の手入れを始めようと思います。
毎年そう思いながら、いつも失敗していますが。

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■企業価値とはなんでしょうか

西武HDの再上場をめぐる同社と筆頭株主の投資ファンド、米サーベラスとの対立が泥沼化してきているようです。
今朝の朝日新聞によれば、サーベラスは「コーポレート・ガバナンスと内部統制を強化し、企業価値を向上させる」と説明しているそうです。
「企業価値」と言う言葉は、1980年代から90年代にかけて盛んに使われました。
しかし、その言葉には全く別の2つの意味が込められていました。
「キャッシュ・フローとしての企業価値」と「レゾン・デートルとしての企業価値」です。
平たく言えば、会社財産の売買価値と会社活動の社会的意義と言う違いです。
当時は、前者での企業価値が全盛でした。
私が、会社を辞める気になった理由の一つは、そういう風潮でした。
みんなお金に目がくらんでいたような気がします。
私自身も、多分にそうだったので、そこから逃げ出したかったわけです。

私は会社を辞めてから、いいかえれば1990年前後、企業関係者に講演する機会がある度に、そのことを強調しましたが、残念ながら焼け石に水でした。
私のホームページにも、そうした記事が残っているでしょうが、感心してくれる人はいましたが、誰もその方向での行動はしませんでした。

サーベラスが述べている「企業価値の向上策」を見れば、その意味する事が一目瞭然です。
儲からない事業はやめるということです。
つまり、経済学者や産業界で使われる「企業価値」とは、資本家にとっての儲けのことなのです。
そこには、生活者の視点での「社会価値」はありません。
昨今の企業の、それが実態かもしれません。
だから、企業は「社会貢献」とかCSRなどということに取り組んでいるわけです。
全くの本末転倒。

今の経済の本質が、こうした動きの中で、よく見えてきます。
原発やTPPの動きも、まさにこうした「価値」の視点から賛成論は組み立てられているように思います。
言葉にだまされないようにしないと、とんでもない結果を背負わされます。

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■節子への挽歌2012:人はただ「存在する」だけでだれかの役に立っている

節子
昨日、体験した地下鉄でのちょっとした事件のことを今日の時評編に書きました。
そこに、ある人の言葉を引用させてもらいました。
重ねて、ここでも書かせてもらいます。

隣席の女性は、佐藤さんの存在に救われたでしょうね。
誰かの力になるとは色々な形があると思う今日この頃です。
時評編を読んでもらえば、その意味がわかっていると思いますが、人はただ「存在する」だけでだれかの役に立っているのだということが、最近、よくわかってきました。
この挽歌ではよく書いていますが、「大きないのち」という視点で考えると、それは当然のことでしょう。
「大きないのち」にとっては、無駄な存在などないのです。
そこに気づけば、人は孤立などしないのです。
そこに気づけば、だれもに感謝の気持ちを持てるようになるでしょう。
それに気づけば、人は生きる自信をもてるようになるでしょう。
しかし、悲しいことに、多くの人はそれに気づかない。
そして、ある人が亡くなると、それに気づくのです。
誰かがいなくなることの、心の隙間は、そうならなければ気づけないのです。

人間はなんと鈍感なおろかな存在なのか。
最近、自らの愚鈍さを改めて思い知らされます。
もちろん、それは決して悪いだけとではありません。
愚鈍さの効用というものも、この歳になると少しわかるような気がします。

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■社会が荒れているようです

フェイスブックに書いたのですが、昨日、地下鉄で2つのトラブルを身近に体験しました。

私の横に座っていた女性にそばに立って盛んに小さな声で話しかけている女性がいました。
ところが隣席の女性は返事をしません。
もしかしたら独り言かと思っていたら、2駅ほど過ぎたところで、隣の女性が私に話しかけてきました。
「隣の人がずっと私のことを非難しているのですが、どうしたらいいでしょうか」と言うのです。全く知らない人だそうです。
たしかによく聞くとひどい言葉を浴びせています。
この人もきっと大変な状況なのでしょうから、まあだまって聞き流すのがいいのではと答えました。
しかし立っている女性は一向に話やめずに、エスカレートしてきます。
隣席の女性は不安そうだったので、私も話を続けることにしました。
そして私たちが話しつづけていたせいか、呪い続けていた女性は次の次の駅で降りていきました。
隣席の女性は、ホッとしたように握っていたスマートフォンを私に見せて、刺されるかもしれないのでずっと録音していましたと言って、録音を消去しました。
いずれの女性も30~40代。今の社会を象徴しているように思いました。
20年前であれば、立っている女性の話を聞いていたかもしれませんが、最近はどうもその気になれません。
彼女は、持って行き場のない怒りを内に溜め込みすぎてしまったのでしょう。
隣席の女性が、刺されるかもしれないと思ったのも、理由のないことではありません。
とてもとても不幸な時代になっているように思います。

その帰りの地下鉄でも、不穏な体験をしました。
この時も座っていたのですが、隣の隣が空きました。
大柄の男性が座ったのですが、狭いところにドンと座り、両側を力で押したようです。
私の隣席の男性もどっしりした男性でしたが、私のところにまでその余波が来ました。
音楽を聴いていた隣の男性はイヤフォンを外し、その隣の人に「譲り合ってすわれよ」と言いました。
いずれも屈強な男たちだったので、もしかしたら喧嘩が始まるかと思いましたが、隣の隣は黙っていたので、それで終わりました。
注意した隣の男性に拍手をこっそりと送りました。
彼はとても礼儀正しかったのです。
こういうことも、20年前であれば私もやっていましたが、今はやりません。
社会が悪いのか、私が悪いのか。
たぶん私が悪いのでしょう。反省しなければいけません。

このことをフェイスブックに書いたのですが、何人かの人がコメントを書いてくれました。
そのなかに、こんなコメントを書いてくれた人がいます。

隣席の女性は、佐藤さんの存在に救われたでしょうね。
誰かの力になるとは色々な形があると思う今日この頃です。
本当にそう思います。
つまり、すべての人は「存在する」だけで、十分、誰かの力になっているのです。
そのことを、実は伝えたかったのですが、この方は、それに気づいてくれました。
とてもうれしいです。
彼女は、OMUSUBIというグループの人です。
3月2日の集まりで初めて会いましたが、無縁化の流れを止めようと活動されているようです。

今日は、社会を見直す契機になった東日本大震災から2年目です。

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2013/03/10

■ペイ・フォワード方式で映画「自殺者1万人を救う戦い」を広げていきませんか

このブログでもご案内した3月2日の公開フォーラム「自殺の問題にどう取り組むか」で上映した映画「自殺者1万人を救う戦い」は、You Tube でも観られるようになりましたが、DVDがほしいという方も多いようですので、映画制作者のレネさんの協力を得て、まず100枚を希望者にお配りしようと思います。
ただ、せっかくなので、ちょっとお願いを加えることにさせてもらいました。

もう10年以上も前になりますが、『ペイ・フォワード』という映画がありました。
人から受けた好意をその相手に対して返す(ペイ・バック)のではなく、他の誰かに好意を向けることで善意を広げていく「ペイ・フォワード」。映画では「次へ渡せ」という言葉で翻訳されていました。 好意を受けた相手に返すのではなく、『次へ渡す』ことがペイ・フォワードです。

このDVDをお届けするのが、「好意」であるとは思ってはいませんが、このペイ・フォワードの考えを参考にさせてもらって、この映画を広げていけないかと考えました。
幸いに、映画制作者のレネさんにも賛同を得ました。
そこで、「ペイ・フォワード方式」で、この映画を広げていく活動を始めます。
もしよかったら、皆さんにもこの活動に参加してもらえればと思っています。

参加の方法は、簡単です。
お届けしたDVDを観て、もし共感してもらえたら、ご自分でDVDを複製(コピー)して、それを周りの人に差し上げてくれませんか。もし人が集まる場があれば、そこでみんなでこの映画を観てくれませんか。そして希望者があれば、このDVDを差し上げてくれませんか。
そして、ここに書いたことを、その人たちにも伝えてくれませんか。
そうやって、この映画を観てくれる人が広がり、自殺問題への関心が広がり、それぞれができることを始めたら、社会が少し変わるかもしれません。
誰も自殺に追いやられることのない社会に、一歩、近づくかもしれません。

日本ではいま、3万人前後の人が毎年、自殺に追いやられています。さらに、その背後には、その数百倍もの、自殺を考えたり試みたりした人がいるといわれています。日本は、いまや「自殺」を内部に抱え込んでしまった社会になってしまっているのです。
「自殺の問題」は決して、特別の人の特別の問題ではなく、私たちが生きている社会を象徴する問題なのです。そういう社会に生きている以上、私たちは「自殺の問題」から決して無縁ではありえません。

もしご賛同いただければ、お名前と送付先住所をメールで私(qzy00757@nifty.com)までご連絡ください。
レネさんのご協力も得て、DVDを100枚用意しましたので、先着100人まで、ご連絡いただいた方に送らせてもらいます。
希望がどっときたらどうなるか、いささか心配ですが、その時にはまた考えます。
DVDのコピーや発送作業などのお手伝いをいただける方がいたら、とてもうれしいです。
最初の100枚が、ペイ・フォワード方式で、数倍、数十倍に増えていくとうれしいです。

ちょっとした汗をかくことで、だれもがこの活動に参加してもらえます。
そして、もしできるならば、周りにいる、ちょっと気になる人にも、声をかけていただければ、さらにうれしいです。そうしたことが広がっていけば、自殺に追いやられる人がなくなる社会に近づくような気がします。
そして、何よりも、私たち一人ひとりが、気持ちよく暮らせる生き方に近づけるのではないかと思っています。

なお、この映画を話題にした、ラウンドテーブル・フォーラムも開催していく予定です。
これに関しても、一緒に取り組んでいる人を探しています。
できれば、定期的に、テーマを決めて、輪になっての話し合いです。
目標は、「誰も自殺に追いやられることのない、みんなが安心して暮らせる社会づくり」です。
関心のある方は、私にご連絡ください。

ちなみに、レネさんたちの制作した映画「自殺者1万人を救う戦い」の紹介サイトは次の通りです。
http://eumag.jp/spotlight/e1012/

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■節子への挽歌2011:「人間とは大きな命に繋がっているもんなんだ」

岡部さんのことをもう一度書きます。
岡部さんの言葉で、とても印象的な言葉があるからです。

「亘理荒浜の被災地に立った時に感じたのは「合理的にものを考えられる場所も、空間も、時間もない、まるで空襲で爆撃を受けた様な状況」だった。そこに自分の身を曝したら、「ああ、人間と言うのは大きな存在にぶら下がって生きているんだな。個人が集合すると人間になるんじゃないんだ。実は逆なんじゃないか」と思った。
この想いは考えて得たものではない。ふっと湧いてきた。「あそうか!」と体にストンと落ちてきた。あの場では、物を考えるはずの自我そのものが破綻していた。破綻した時に何が人間の心を支えられたのか、と言ったら、人間とは大きな命に繋がっているもんなんだ。俺が死ぬなんて事は、本当にちっぽけな事なんだ、という様な事が、リアルな感覚として自らの中から湧き出てきた。」(東北大学実践宗教額寄附講座ニュースレター第2号から引用)
「人間とは大きな命に繋がっているもんなんだ」。
岡部さんは、たくさんの看取りとあまりの荒廃の中での衝撃の中で、そのことがストンと心身に入ってきたといいます。
これまでも何回か書いてきましたが、大きな命の一部であると思えば、生きやすくなる。
死ぬことの意味も変わってくる。
いささか大仰に言えば、不死感を得られるのです。
心が支えられたと岡部さんは言います。

岡部さんの最後の日々は、息子さんによれば、それはそれは穏やかで日常的だったようです。
もしかしたら、岡部さんは「大きな命」を通して、あの世と往来していたのかもしれません。
できるならば、私も早く、そうなりたいと思っています。

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■節子への挽歌2010:臨床宗教師

節子
今日も穏やかで、あたたかな日です。ところがどうも風邪が治りません。
今日も大事をとって在宅です。

明日で東日本大震災から2年です。
その関係で、さまざまなイベントが各地で行われていますが、残念ながらどれにも参加できずにいます。
2年前に、たくさんのいのちが失われました。

今朝の「こころの時代」に、通大寺住職の金田諦応さんが出ていました。そして、昨年9月に亡くなられた医師の岡部健さんの生前の活動が少しだけ紹介されていました。
金田さんと岡部さんとは、昨年、少しだけ立ち話をさせてもらったことがあります。
その当時は、岡部さんのことをあまり知らなかったのですが、その後で、岡部さんの生き方や活動のことを知りました。
ちょうどその日は、私自身が今日と同じように風邪気味で、お2人とお話しする機会があったにもかかわらず、参加せずに帰宅してしまったのです。
今にして思えば、とても残念なことをしてしまったという気がします。

岡部さんは医師ですが、白衣など着ることのない、実に個性的な医師だったようです。
3.11大震災の後、以前から交流があった曹洞宗僧侶の金田さんと一緒に、被災地でカフェ・デ・モンクという活動を開始しました。
私は、その話をお2人からお聞きしたのです。
これに関しては以前、書いたことがあります。
そういう活動を通して、岡部さんは「臨床宗教師」という構想を育て、東北大学にその講座ができました。
そして今は、そこから数名の臨床宗教師が生まれだしています。

今朝のテレビでは、見覚えのある普段着の岡部さんが、今際の患者の横で、「あの世ってどんなかなあ」とあっけらかんと語っている様子が映し出されていました。
あの世って、医療に世界にはないんですよ、それは宗教の世界だ、だから死を迎える患者には、あの世を語れる臨床宗教師が必要なんです、というようなことをお話になっていました。
これは岡部さんの深い思いですが、金田さんにその思いを託されたのだそうです。
岡部さんは肺がんの専門医で、2000人以上のがん患者を看取ったそうですが、ご自身もがんだったのです。
私がお会いした時には、もうご自身はそれを知っていたはずです。

日本人はなぜか「宗教嫌い」の人が多いのですが、私にとっては、宗教心は人間らしく生きるための不可欠な要素だと思います。
教団とは無縁です。
岡部さんの臨床宗教師も、教団や宗派を超えたものです。
キリスト教でもイスラム教でも仏教でもいい。
教団に属さなくてもいいのだろうと思います。
死を体験すると、そうしたことの意味がわかります。

「あの世ってどんなかなあ」と患者と話す岡部さんの姿に、何かとても大きなものを感じました。

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2013/03/09

■節子への挽歌2009:2人で渡ればこわくない

節子
また風邪をこじらせたようです。
困ったものです。
気持ちが萎えだすと、免疫力が低下し、風邪菌の活躍が盛んになるのでしょう。
まあ、仕方がないことではあります。

最近、気の萎えることが少なくありません。
問題は、萎えても、それを修復するすべがないことです。
だれかに元気付けてもらいたいのですが、最近はどうも、だれもみな気が萎えているようで、人に会うとますます気が萎えることのほうが多いのです。
原因は、私の中にあるはずですので、どこかでそれを反転させなければいけません。

先日、この挽歌で気分を変えようと書いたら、早速、それを読んだSさんから温泉に入りに来ませんか、とメールが来ました。
娘は、行ってきたらいいというのですが、そのメールが届いた直後にまた、問題発生です。
それを放置して、出かけるわけにもいきません。
しかし、そうした中途半端さがよくないのでしょう。

節子がいなくなって一人になると、自分勝手に行動できますから、行動しやすいはずです。
しかし現実はそうではないのです。
なにか気になることがあると、動きにくくなります。
節子と一緒であれば、まあ、そんなことは瑣末なことだ、といえるのですが、それができない。
いわゆる「みんなで渡ればこわくない」の心理が、たとえ2人であっても働くようです。
そうやって、節子がいた時には、いろいろと無茶をしてきました。
結果がどうでしょうと、2人だと受け止められます。
どんなにめげるような結果になっても、それもまた人生と開き直れるのです。
しかし、一人になると、その軽やかさは確実になくなります。
一人で考えてしまうと、そうそう無茶もできなくなります。
人生はますます退屈になる。
そのくせ、時に、とんでもない誤りをおかすことになるわけです。

一人身は必ずしも軽やかさにつながるものではありません。
私の場合は、多分、節子がいなくなってから、動きがとても悪くなったような気がします。
不安や失敗を、分かち合える伴侶の存在は大切です。
最近、つくづくそう思います。

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2013/03/08

■節子への挽歌2008:平凡で平安な生活

節子
人生はいろいろありますが、私たちなどは実に平凡です。
バブルもなければ、どん底もなく、まあ、平安な人生でしょう。
妻に先立たれるという、夫としては、思ってもいない状況になったものの、平凡な人生であることは間違いありません。
たぶん、結婚した当時から今まで、慎ましやかに、生きてきています。
年収で考えると、1:5くらいの乱高下がありますが、なぜか生活水準はあまり変わっていません。
家族でエジプト旅行に行ったのは、唯一の贅沢かもしれませんが、まあたいした贅沢でもないでしょう。
25年も会社でがんばったのですから。

お金は使うものだと考えていますので、貯金はありませんが、なぜか自宅は持ち家で、ローンもありません。
まあ節子がやりくりしたのかもしれませんが、節子も私とさほど違わないほどの経済感覚の持ち主でした。
お金に依存することなく、質素に暮らしてきたことが、平安な理由かもしれません。
不思議なことに、お金が必要な時には、なぜかそこにあるのです。
まあたいした額ではないからかもしれませんが。

今付き合っている知人は、かなり乱高下の人生です。
一時は外車を乗り回し、贅沢をしていたようですが、今はその反対にあります。
彼と長電話をしました。
生活がかなり逼迫していて、自己破産してもおかしくないのです。
数年前に離婚もしました。
何とか彼の生活を立ち直らせたいと思って1年付き合ってきましたが、私もそろそろ限界に来ています。
それで、ついつい厳しい物言いになってしまいました。

たぶんかつては優雅な生活だったのでしょう。
私と会ったのは、もう10年ほど前ですから、当時は私のような地味な生活ではなかったのでしょう。
しかし、いまはどうでしょうか。

人生は、波風のあるドラマティックなほうが面白いかもしれません。
しかし、波風など全くない、地味な平凡な暮らしのほうが、豊かといえるかもしれません。
彼の人生は、お金に負けてしまったのかもしれません。
お金は魔物です。
何とかして、彼を立ち直らせたいと思っていますが、最近は私がつぶれそうです。
彼を元気付けたいのですが、萎えさせているかもしれません。

人生は平安なほうがいい。
つくづくそう思います。
節子がいなくなっても、なんとかこうして、地味で平安な人生が送れるのは、たぶん節子のおかげです。

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2013/03/07

■原発再稼動の是非を決められるのは誰か

脱原発への取り組みが反転しだしています。
原発再稼動の是非に関しては、賛否両論がありますが、いずれが絶対に正しいとはいえないでしょう。
技術には事故はつきものですし、いまや生活には欠かせない自動車にしても、あいかわらず事故は多く、毎日、自動車事故で数名の死者も出ています。
電力が不足すれば、それによってこうむる被害も大きいかもしれません。
経済的な理由や雇用の視点から、原発再稼動を歓迎する「生活者」がいることも事実です。
どんなものにも、メリットとデメリットがあるものです。

しかし、そこには大きな落とし穴があります。
メリットとデメリットを受ける人が違うという落とし穴です。

原発を再稼動させた時の利益は誰のものでしょうか。
もちろん、現在の社会で生きているすべての人が、何らかの利益を享受することは言うまでもありません。
福島原発で発電した電力は首都圏で使われているから、地元にはメリットがないというような議論もありますが、そんなことはありません。
地元は原発という産業を「誘致」したことで、多大な経済的メリットを受けてきています。
いまさらそんなことを住民たちに言ってほしくはありません。
立地を引き受けるところがなかったら、原発はできなかったのですから。

では事故が発生した時の損害は誰が受けるのでしょうか。
これもまたすべての人といえるでしょう。
事故発生地に近いほど、被害は大きいでしょうが、長い目で見たら、被害者は広範囲に広がっていくでしょう。
しかし、それだけではありません。

放射線汚染に関しては、時空間を限定できないことが問題なのです。
被害は国境を越え、世代を超えて、広がっていくことになります。
事故の元を解決すれば、事態はかなり抑えられます。
しかし、福島原発事故の経験からは、元を解決することはかなり難しいでしょう。
福島原発事故はいまなお収束などしておらず、いまだに放射線を発散しているわけです。
そして、その影響は、次世代にまで及びます。

そうしたことが明らかになったいま、原発再稼動の是非は、一国だけで決められるものではないように、私には思います。
私たちは北朝鮮の原発実験を非難していますが、私たちと彼らとどこが違うのか、私にはよく理解できません。

原発を稼動させることの、利害得失の非対称性をもっと私たちは認識すべきではないかと思います。
そして再稼動は一国の政治だけで決めるべきテーマではないことを認識すべきです。
にもかかわらず、一国どころか、その一国の一部の人たちで、再稼動への流れが加速されていることに、悲しさを感じます。
国民の多くが原発依存社会を望むのであれば、そうした社会にうまれたことを嘆くしかありません。

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■節子への挽歌2007:家族のドキュメンタリーは観られません

節子
3月11日が近づいたため、テレビでは一昨年の大震災にまつわる記録報道が増えています。
そこで話題になるのが、家族の絆や家族の支え合いの話です。
こうした番組を観るのは、とても辛いので、私は意識的にはほとんど観ませんが、どうしても目に入ってきます。
別れの悲しい話もあれば、一緒になって元気になっていく話もあります。
テレビのチャンネルを変えながら、どうしてみんなこういう番組が好きなのだろうと、思います。
取材されている当事者たちは、どんな気持ちなのだろうかと思うこともあります。

喜びも悲しさもシェアするほうがいい、とよく言われますし、私も体験上、そう思います。
しかし、これだけテレビや新聞で取り上げられるところを見ると、どうもそれだけの話ではなさそうです。
もしかしたら、視聴者や読者もまた、他者の悲しさや喜びを積極的にシェアしたがっているのではないかと、気づきました。

人は生来、喜怒哀楽をシェアする生き物なのかもしれません。
歌い、怒り、悲しみ、笑うこと。
そこでは、家族とか縁者とかは無縁なのかもしれません。
もちろん自分とつながりが深いほど、悲しさや喜びは大きいでしょう。
しかし、必ずしも、そうとはいえないような気もします。
まったく知らない人の悲しみに出会っても、自然と涙が出てくることもあれば、つながりの深い縁者でも、涙が出ないこともある。
そこには、その人とのつながりに深さとは別の基準があるような気がします。

他者の悲しさに出会って涙すると、心が洗われるような気になります。
そして、必ずといっていいのですが、その涙は、自分の悲しみにつながっているのです。
他者を悲しみながら、自分を悲しんでいる。
他者を悲しみながら、節子を悲しんでいる。
だからきっと、涙が心を明るくしてくれるのです。

そう思っていても、なかなか東北の家族の話はテレビでは観られないのです。

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■オリンピック招致騒ぎへの違和感

連日報道される「オリンピック招致活動」には、大きな違和感があります。
そもそも「招致」という発想がなじめません。
これだけの招致合戦になるということは、招致したら「大きなメリット」があるということでしょう。
そのメリットが、どうも経済的なメリットである点に違和感を持ってしまいます。
招致した場合の経済効果などという話を聞くと、とてもいやな気持ちになります。
オリンピックは、いまやショービジネスであり、アスリートたちはその商売材料のように見えてなりません。
私のスポーツ嫌いは、ますます高まるばかりです。

そもそも私は、記録を0.1秒単位で競うことにも違和感を持ちます。
これはたぶん「工業化」の発想であって、「生命」の発想ではないと思うのです。
そのわずかな記録を目指して、ドーピングやスポーツ用具が開発されるのも、私には悲しさや滑稽さを感じます。
スポーツはもっとおおらかに競い合ってこそ、オリンピックの理念に合うように思うのです。

テレビで、首相が歌を歌い、メダリストのアスリートたちが招致を呼びかける姿を見ていると、ドイツのナチが国威高揚のためにオリンピックを利用したことを、どうしても思い出してしまいます。

多くの国民は、オリンピックを招致したがっているのでしょうか。
私だけが、そうした流れについていけていないのでしょうか。
なんだか自分だけが、落ちこぼれているような気もしないでもありませんが、やはり私は最近の華々しいオリンピック招致活動にはついていけません。
招致するにしても、もっと大切なことがあるだろうと、どうしても思ってしまうのです。

オリンピックを開催することで、経済的に儲けるのではない、もっと人間的な意味を生み出すところが、東京以外にはたくさんあるはずです。
そうした国でオリンピックを開催するように働きかけることこそ、日本の役割のような気もします。
小さな我欲だけで動く人たちが、どうしても受け入れられないのです。
金儲けのためのオリンピック招致には、私は共感できません。
アスリートたちにも、商売道具になるなよといいたいです。
金メダルをかじるメダリストの姿をつい思い出して、哀れささえ感じています。

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2013/03/06

■節子への挽歌2006:冬支度

節子
前項に書いたO教授からメールが来ました。

私も昨年9月に酔っ払って帰る最中、家内が見ている目の前で昏倒。
約10秒間あの世の手前に行きました。
そろそろ、冬支度を開始しようと思いました。
冬支度。
私たちの老後のイメージは、春でした。
陽射しのある縁側でのゆっくりした時間です。
Oさんは哲学者でもあるので、表現が豊かです。
冬支度というのも、納得できます。
冬支度して、春の縁側を待つ、というわけです。
今の私には「春の縁側」がないのですが、やはり冬支度は必要かもしれません。

Oさんとは出会ってからもう30年ほどでしょうか。
さほど深い付き合いはなかったのですが、彼が転職したのを契機に、時々、オフィスに来てくれました。
人の付き合いは、決して、長さでも深さではなく、相性なのかもしれません。
いや、相性と言うよりも、心身の波長でしょうか。
Oさんは、たぶん私の生き方に同調してくれたのです。
私が時に乱調して、自分の世界をはみ出そうとした時、彼はやめたほうがいいとやんわりと私に言いました。
全くその通りで、止めればよかったのですが、つい少しコミットしてしまい、見事に知人に利用されてしまった結果になってしまいました。
まあよくあることなので、私にはどうということはないのですが、Oさんはたぶんしんぱいしてくれていたのでしょう。

その先に来る春の陽射しを思い描くことのない冬支度は、どうも気が乗りませんが、節子に会うには、それもまた必要かもしれません。
久しく会っていないOさんに会いたくなりました。

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■節子への挽歌2005:「喪が明けた」のかもしれません

節子
春の気配が強くなってきました。
花の季節です。

庭の水仙が満開ですが、今年は寒かったせいか、河津桜もまだつぼみがありません。
鉢植えにしているので、水やりが不足していたかもしれません。
今年は庭の植木もかなりの打撃です。

先週はかなり根を詰めていたせいか、昨夜、少し体調不良を感じました。
今日は予定を変えさせてもらって在宅しましたが、うっかりとリビングで転寝をしてしまい、症状は悪化し、のどが痛いです。
困ったものです。

2日にやった集まりの反響がいまもあります。
当日、会場まで来たのに、遅れたため、みんな側になって話し合っていたので参加せずに帰ってしまった友人からのメールもありました。
この友人は、節子も知っている某大学の教授ですが、節子を見送った後、連絡が途絶えていました。
当日は、全員での話しあいの進行役だったので、彼が来たことにまったく気づきませんでした。
とても残念なことをしてしまいました。

そういえば、当日、久しぶりに参加してくれたある人は、私に会うなり、「どうやって生きているの」と訊いてきました。
どういう意味かわかりませんが、節子と一緒に、私も死んでしまったと思っている人もいるようです。
もちろん生物的な死ではなく、社会的な死ですが。
彼らにとって、私はまだ「喪中」だったのかもしれません。

伴侶を失った人と付き合うのは、おそらくあまり気乗りがしないことでしょう。
特に、伴侶を深く愛していることを知っている場合は、声のかけようもありません。
私なら、会うことさえも気が重いです。
しかし、そろそろ、そうした「喪が明けた」のかもしれません。
もう5年以上たちますから。

今年の8月に、節子の7回忌をすることを、今日、お寺さんに頼みました。
今回もこじんまりとやろうと思います。

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2013/03/05

■節子への挽歌2004:ちょっと落ち着きません

節子
今日は明らかに精神状態がよくありません。
午前中に、初めて湯島にやってきた人の相談にのっていたのですが、どうも反発してしまいます。
Pax intrantibus, Salus exeuntibus.には程遠いです。
自分が少しいらいらしているのが、よくわかります。
午後から3つの集まりがあるのですが、そのうちの2つがいささか心を悩ましています。
それが影響しているのでしょうか。
困ったものです。
まあ、その後に予定されている最後の集まりでは、きっと心がやすまるでしょうが、それまで持つでしょうか。
少し心配です。

人の心はいつも安定しているわけではありません。
時に荒ぶり、時に沈み込み、時に黙します。
それを受け止めてくれる存在があればいいのですが、うまく受け止めてもらえないと、さらに深みにはまります。
そして、関係のない誰かに当たってしまう。
この半年、どうも私はそうした状況にあるようです。
思い切った気分転換が必要かもしれません。

考えてみると、節子がいなくなってから、私の生活はとても単調になっています。
節子がいつも心配していたように、忘我の時間を過ごせる趣味があるわけでもありません。
もっと悪いことに、中途半端に退屈しないほどの課題をいつも抱えています。
声をかければ、喜んで会ってくれる友人も少なくありません。
娘たちが、生活面を支えてくれています。
これ以上、何が必要だという状況にあるのです。
だからどうしても単調になりやすいのです。
節子は、それをいつも心配していました。

何かを急にやりたくなって、それをなんとかやり遂げてしまうと、いつもそこでむなしくなります。
自分を追い立てるように、無理な課題を立ててしまうからかもしれません。
達成すると疲れきってしまうわけです。
そうならないように、完結型にではなく、宿題がたくさん発生する仕組みにしているのですが、それが裏目に出ることもあります。
そうした私の性癖を、節子は知っていました。
だから、そこから生まれるいらいらは何でも引き受けてくれたわけです。

心底、私を知っている人が隣にいると、なぜか安心です。
その人がいないのであれば、ここは少し気分転換に自然の中にひたるのがいいかもしれません、
来週は予定を入れるのはやめましょう。

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2013/03/04

■もう原発事故の怖さを忘れたのか

最近なかなか時評を書く気が起きません。
テレビのニュースもあまり見なくなりました。
理由は2つありますが、日本のテレビはあまりに殺傷事件や殺傷事故を事細かに報道しすぎます。
見ていて気持ちがよどみます。
テレビのそうした行為は私には、犯罪的にさえ感じます。
殺傷事件や殺傷事故をあんなに繰り返し、細かく報道する意味は何なのでしょうか。

しかしそれはまあ、テレビを見なければいいだけの話です。
もう一つの理由は、報道される政治や経済の話が、あまりに私にはばかげたものだからです。

私は1989年に会社を辞めました。
日本の社会がお金依存になり、生活が表層的に華美になっていくことに荷担したくなかったからです。
バブルがはじけて、少しはみんな意識を変えるかと思っていました。
しかし、結果的には何も変わらず、相変わらずの経済成長志向です。
経済成長すればみんなの生活が豊かになるなどという、私には全くばかげた考えは、いまなお健在です。
このブログで、そうしたことへの疑問を書くと、嫌がらせのコメントやメールがきます。
それはあまり気持ちのいいものではありません。

一昨年の原発事故で、今度こそ経済至上主義や科学万能主義は見直されるだろうと思っていました。
しかし、原発反対が叫ばれたのは1年だけでした。
世論調査などによれば、いまや多くの人は原発再稼動賛成です。
もっとも、こうした報道にはいささかの疑念はありますが、前回の衆議院選挙の結果を見れば、まんざら嘘でもなさそうです。
あれほどの原発事故を体験しながら、どうしてこんな短時間に、それを忘れてしまうことができるのでしょうか。
実に不思議です。
みんな本当に生きているのでしょうか。
なにやらゾンビの国に住んでいるように、恐ろしくなることもあります。

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■自殺の問題は、特別の人の話ではありません

一昨日、公開フォーラム「自殺の問題にどう取り組むか」を開催しました。
3週間前に開催を決めての、急な呼びかけでしたが、最近話題になりつつある、記録映画「自殺者1万人を救う戦い」の上映も合わせて行ったこともあり、55人の人が集まってくれました。
映画を制作したレネ・ダイグナンさんも参加してくれましたし、東尋坊で長年、人命救助活動に取り組んでいる茂さんと川越さんも参加してくれました。

主催は私も事務局を引き受けている「自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあい」だったのですが、むしろ今回はネットワークのメンバー以外に広く呼びかけを行いました。
しかし、やはり「自殺」という言葉にひっかかる人が多く、案内も読んでもらえなかったような気がします。
そこで直前に、映画を観に来ませんかという呼びかけに変えさせてもらいました。
ある人が、「自殺という重いテーマで躊躇していたが、思い切って参加することにしました」と申し込んできてくれました。

そのフォーラムの冒頭で、私は挨拶の中で、次のようなことを話させてもらいました。

日本では最近10年以上にわたって、ずっと年間3万人を超える人が自殺に追いやられています。昨年は3万人を下回ったといわれますが、いずれにしろ3万人前後の人が毎年自殺に追いやられている。しかもその後ろには、その数十倍、数百倍といわれる自殺未遂者や自殺を考えた人がいます。いまや日本は、「自殺」ということを内部に抱え込んだ社会になってしまっているといってもいい。あるいは、自殺の問題は今の社会のありようを象徴しているといってもいい。社会は、私たち一人ひとりの生き方でつくられている。だとしたら、その社会で生きている以上、自殺の問題は私たちの生き方と無縁であるはずはない。深くつながっているのです。
しかし、「自殺」という言葉の響きのせいか、多くの人は、自分とは別の世界のことだと思いたがっているように思います。こうして「自殺」をタイトルに入れた集まりを企画すると、いつもそのことを強く感じます。
しかし、自殺の問題は、決して特殊の人の、特別の話ではなく、社会そのものを象徴する問題です。私たちの隣にある問題です。

だから今回は幅広い人に呼びかけたのです。
自殺に特別に関心を持った人や、身近に自殺を体験しただけで、問題をいくら話し合っても、なかなか前に進まないような気がします。
そうした思いで4年間、ささやかな活動をしていますが、今回、少しですが、手応えを感じました。

このフォーラムを契機に、「自殺に追い込まれるような状況を生み出す社会をどうしたら変えていけるか」をテーマにした、さまざまな立場の人が参加するラウンドテーブル・フォーラムを開催できればと考えています。
テーマを設定して、参加者が丸く輪になって、意見をぶつけ合いながら、学びあい、それぞれの実践に取り組んでいくようなフォーラムです。
少人数でもいいので、じっくりと話し合う場を、誰かの呼びかけで、時々、開催できないか、そのために、そうしたことに関心を持った人たちで、その実行委員会を立ち上げられないか、と考えています。

一緒に取り組んでもいいという方がいたら、私(qzy00757@nifty.com)にご連絡ください。
ご一緒に取り組めれば、うれしいです。

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■節子への挽歌2003:「妻は私を信頼していますから」

節子
一昨日の集まりに、少し変わった人が参加してくれました。
アメリカ人のベロさんです。
昨年までカリフォルニア州に住んでいたそうです。
ところが、ある日、シャワーを浴びていたら、突然、「日本に行け」という天の声が聞こえてきたのです。
日本に行く理由に関してのお告げはなかったようですが、その後、日本のことを調べていて、日本の自殺の多さを知ったといいます。
そして、これこそが自分が日本に行く理由だとひらめき、家族ともども、昨年の8月に日本に移住し、6年間で、日本の自殺問題を改善しようとしているのだそうです。
この話をどう受け止めるかは、人それぞれでしょう。
節子なら、どうだったでしょうか。
私は、もちろん、すべてを信じます。
本人がそう言っているのですから、疑う理由などありません。

しかし、ちょっと気になって、ベロさんに質問しました。
奥さんは、よく一緒についてきましたね、と。
そうしたら、ベロさんは言いました。
妻は私のことを全面的に信頼していますから、と。

ベロさんは、たぶん、マレー系です。
白人ではありません。
天とつながっている南アジアのご出身でしょう。
奥さんも、そうに違いありません。

人にとって、なにが幸せかといえば、全面的に信頼できる人がいることだろうと思います。
もし私が「冤罪」に問われても、節子は完全に私を信じてくれたでしょう。
伴侶とは、そういうものです。
なにしろ人生のかなりの部分を重ね合わせて生きるわけですから、そうでなければやっていけないはずです。

しかし、残念ながら、そうではない夫婦は少なくありません。
苦楽を共にしないで、なにが夫婦だと、私は思いますが、まあ、夫婦といってもいろいろあるのでしょう。

ベロさんの「妻は全面的に私を信頼している」という言葉が、私にはとても気持ちよく響きました。
私も、誰かに同じような言葉を発したいと思います。
しかし、それがもう、かなわないことになってしまいました。
ベロさんが、とてもうらやましかったのです。

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■節子への挽歌2002:公開フォーラムの奇跡

節子
2日に開催した公開フォーラムは55人も集まり、盛会になりました。
やろうと思ってから、3週間しか時間がなかったのに、まさに奇跡です。
誰も信じてはくれないでしょうが、正確には20日間しかなかったのです。
実際にはもっとみじかいというべきかもしれません。
案内のちらしができたのは開催日の5日前なのです。
自分でも驚いています。
終わった後の打ち上げにも、20人近い人が参加してくれ、それもなかなか終わらない感じでした。
東尋坊の茂さんも川越さんも、とても喜んでいました。
思い返せば、この活動の出発点は節子と一緒に、東尋坊の茂さんたちのところで、美味しいお餅をご馳走になったことかもしれません。
茂さんたちと会う時には、いつも節子が一緒です。

今回はもう一人、アイルランド人のレネさんが、全面的に協力してくれました。
レネさんも、実行委員会のメンバーだねと言ったほど、彼は一緒に汗を書いてくれました。
私が彼と会ったのは、開催日の10日前です。
レネさんも、こんなに短い時間がこんな集まりができたことに驚いていました。
レネさんの創った映画の最後に、衝撃的なレネさんの独白があります。
彼も隣人を亡くしているのです。
その独白が、私がレネさんに心につながった理由です。

人は、死に触れるとやさしくなれるような気がします。
しかし、なかには死に触れて、世界を閉ざす人もいないわけではありません。
いずれにしろ、親しい人の死は、人生に大きな影響を与えます。

愛もそうです。
誰かを深く愛すると、すべてのものを愛することができるようになります。
人だけではありません。
自然も人が作った物も、すべてです。
しかし、愛することで、世界を閉ざす人もいるようです。
愛も死も、同じものなのかもしれません。
いずれも関係性の問題ですから。

2日は、懐かしい人がたくさん来てくれました。
そういう人が、みんなで奇跡を起こしてくれたのです。
レネさんの隣人も、節子も、みんながきっと応援してくれたのでしょう。
そう考えたくなるほど、あまりにもうまくいきました。

ポケットに、小節子をもっていったおかげかもしれません。
節子 ありがとう。

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2013/03/02

■節子への挽歌2001:「いい人」

節子
自分で言うのは何ですが、しかし節子は賛成してくれるでしょうが、私は「いい人」です。
私と付き合う人は、多くの場合、不幸にではなく幸せになるはずです。
なぜなら、私は誰かと付き合う時は必ず、この人のために何ができるだろうかと考えるからです。
まあ、これは私の勝手な推察で、これまでに湯島に来た人の中で、3人の人が怒って帰ったことがありますので、私の勘違いかもしれません。

前にも書きましたが、湯島の私のオフィスのドアには開所の時から、「Pax intrantibus, Salus exeuntibus.」と書かれています。
有名な言葉なのでご存知の方も多いでしょうが、「訪れる人に安らぎを、去り行く人に幸せを」という意味のラテン語です。
これは私の目指すことですが、その一方で、私の信条は、自らに素直に、なのです。
ですから時にちょっとしたことで気分を逆撫でされると感情的に反発してしまうことがあるのです。
それで怒って帰ってしまうわけですが、帰るくらいですから、かなり怒っているでしょうね。「安らぎ」とは無縁です。実に困ったものです。

でも、そうした不幸にめぐり合わない限り、私はいつもやってきた人に何かできることはないかと考えます。
ずっと一緒に暮らしていた節子なら、それを証言してくれるでしょう。
だから、私は「いい人」なのです。

しかし、それは何も私に限った話ではないでしょう。
人は素直に生きていれば、本来、みんな「いい人」なのです。
アダム・スミスは主著「道徳感情論」を、次のような文章で書き出しています。

人間というものは、これをどんなに利己的なものと考えてみても、なおその性質の中には、他人の運命に気を配って、他人の幸福を見ることが気持ちがいい、ということ以外になんら得るところがないばあいでも、それらの人達の幸福が自分自身にとってなくてならないもののように感じさせる何らかの原理が存在することはあきらかである」
 (新訳も出ていますが、この書き出し部分に限っては旧訳のほうがわかりやすいです)

スミスは、こうした認識に基づき、レッセ・フェールや見えざる手を肯定したのです。
だが残念ながら、肝心の経済学者は、あまりに利己的な人種だったために、おかしな経済学がはびこっているような気がします。

「いい人」で生きることは、本来、とても生きやすいはずです。
しかし、昨今の社会状況は、必ずしもそうではないのかもしれません。
「いい人」が挫折してしまう事例は、私の周りでも少なくありません。
かく言う私も、最近いささか生きづらさを感じ出しています。

「他人の運命に気を配って、他人の幸福を見ることが気持ちがいい」とスミスは書いています。
まさにその通りなのですが、最近は他人の幸福よりも他人の不幸の話ばかりが耳目に入ってきます。
そればかりか、私の身近な周辺さえも、不幸が増えています。
そんななかにいると、私もだんだん「わるい人」になりそうです。
「いい人」である私を支えてくれていた節子がいないのが、最近少し不安になっています。

ちなみに、節子は、ほどほどに「いい人」でした。
私のことを、少し「行きすぎだ」と言っていましたから。
でも、私から見ると、やはり節子のほうが、私よりも「いい人」のような気がします。
その模範の人がいないのも、不安です。

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2013/03/01

■節子への挽歌2000:2000回を迎えました

節子
とうとう3月になってしまいました。
それに、この挽歌の番号も2000になりました。
実は、節子を見送ってから、今日で「2007」日目ですので、本来は挽歌も2007になっていなければいけません。
最近どうも挽歌を毎日きちんと書くことができずに、ずれが生じてしまっているのです。
3月に入る前に頑張って追いつこうと思っていたのですが、だめでした。

最近、私はかなりひどい状況にあります。
昨夜はあまり眠れませんでした。
疲れすぎやら、心配事やら、挙句の果てにはわが家のチビ太くんの介護やらで、極度の寝不足です。
その上、明日は急に決めてしまった集まりが表参道であります。
何とか目標の人数は集まりましたが、肝心の内容の検討がこれからです。
しかし、話し手も聴き手もすばらしい人が多いので、まあうまくいくでしょう。
あんまり準備すると逆にうまく行かなくなることも体験的に学んでいます。

明日の集まりは、時評編には書いていますが、「自殺の問題にどう取り組むか」という公開フォーラムです。
最初は小規模なラウンドテーブルセッションを考えていましたが、映画を上映することになり、会場を変えて、50人ほどの集まりにしました。
急に変えたので、人集めしなければならず、関心を持ってもらいそうな友人知人にメールしました。
直前だったので、多くの人はすでに予定が入っていてだめだったのですが、節子がいなくなってから交流が途絶えていた人からの思わぬ返信もありました。

気の重くなる返信もありましたが、気が晴れる返信もありました。
数年とはいえ、やはりさまざまなことが起こるのです。
節子もよく知っている人からも返信がありました。
そうした久しぶりの人からの返信を読んでいると、節子がいたころのことが思い出されます。
そして、節子がいなくなってしまった、この5年半が、何かあっという間の時間だったような気もします。

しかし、節子がいなくなってから、もう2007日たったわけです。
それが長いのか短いのか、なんともいえませんが、私にはほとんど空白の時間でしかありません。
この挽歌は、それが空白ではなかったことを示してくれるのかもしれません。
あまり内容がある挽歌だとは思いませんが、書き続けてきてよかったとつくづく思います。
この挽歌がなかったら、もしかしたら、私はこの5年半を思い出せないかもしれないからです。

明日の集まりが終われば、少しは余裕ができるでしょう。
早く追いついて、また毎日、静かに書き続けるようにしたいと思います。

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