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2013/03/21

■節子への挽歌2023:キルリアン効果

節子
前の挽歌を書いていて思いだしたのが「キルリアン効果」です。
記憶が少しあいまいだったので、帰宅後、昔読んだ本を探し出して、キルリアン効果のところを読み直しました。
記憶していた内容と少し違っていました。
記憶とはかくも改竄されるものなのだと思いしらされました。

対象物に高周波・高電圧を掛けて発生させたコロナ放電による発光現象を撮影した写真のことをキルリアン写真といいます。
1930年代にロシアの電子工学技術者のキルリアンが開発したものです。
私の記憶では、これは生命活動による発光現象で、生命が失われても残像効果がしばらく残ることを証明したと記憶していました。
たとえば、植物の葉をキルリアン写真の装置に乗せて写真を撮り、その後、葉を取り出して、その半分を切除して、もう一度、撮影すると、切除された葉の部分のところにも発光が撮影されるのです。
あるいは、事故で右手を失った人のキルリアン写真には、右手もぼんやりと写っている。
そこにあるべき、あるいは存在した生命が、取り除かれてもしばらくは存在した証しを残すというのです。
生命の存在の証しがしばらくは残る。
私が記憶していた「キルリアン効果」はそういうものだったのですが、見つけた本にはあまりそうした記述がありません。
私の記憶違いか、あるいは別の本で読んだのかもしれませんが、それらしき本は見つかりません。

でもまあ細かな詮索はやめましょう。
大きな意味での人間の記憶は正しいというのが私の考えなのです。

先の挽歌につなげて書けば、こういうことです。
節子は彼岸に旅立ってしまったものの、その存在の証しは、いまなお此岸に存在するのではないかということです。
前の挽歌で書いたように、いなくなった節子が、いまなお私の行動や考えに影響を与えているということは、キルリアン効果と関係しているのではないか。
そう思ったのです。

身体は多くの人の五感で確認できる物理的存在ですが、生命は今の科学では存在を確実には追跡しきれていません。
ですから、五感では確認できなくとも、存在を否定しなければいけない理由はないのです。
さらに、もしキルリアン効果があるのであれば、節子の写真を撮れるかもしれないのです。
もちろん写真に撮ったところで意味はありませんし、撮りたいとも思いませんが、彼岸とのつながりを確認できるかもしれない。

その後、キルリアン写真はどうなったのか。
ちょっと気になりだしました。
すっかり忘れていましたが、少し調べてみたいと思います。

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