■節子への挽歌2005:「喪が明けた」のかもしれません
節子
春の気配が強くなってきました。
花の季節です。
庭の水仙が満開ですが、今年は寒かったせいか、河津桜もまだつぼみがありません。
鉢植えにしているので、水やりが不足していたかもしれません。
今年は庭の植木もかなりの打撃です。
先週はかなり根を詰めていたせいか、昨夜、少し体調不良を感じました。
今日は予定を変えさせてもらって在宅しましたが、うっかりとリビングで転寝をしてしまい、症状は悪化し、のどが痛いです。
困ったものです。
2日にやった集まりの反響がいまもあります。
当日、会場まで来たのに、遅れたため、みんな側になって話し合っていたので参加せずに帰ってしまった友人からのメールもありました。
この友人は、節子も知っている某大学の教授ですが、節子を見送った後、連絡が途絶えていました。
当日は、全員での話しあいの進行役だったので、彼が来たことにまったく気づきませんでした。
とても残念なことをしてしまいました。
そういえば、当日、久しぶりに参加してくれたある人は、私に会うなり、「どうやって生きているの」と訊いてきました。
どういう意味かわかりませんが、節子と一緒に、私も死んでしまったと思っている人もいるようです。
もちろん生物的な死ではなく、社会的な死ですが。
彼らにとって、私はまだ「喪中」だったのかもしれません。
伴侶を失った人と付き合うのは、おそらくあまり気乗りがしないことでしょう。
特に、伴侶を深く愛していることを知っている場合は、声のかけようもありません。
私なら、会うことさえも気が重いです。
しかし、そろそろ、そうした「喪が明けた」のかもしれません。
もう5年以上たちますから。
今年の8月に、節子の7回忌をすることを、今日、お寺さんに頼みました。
今回もこじんまりとやろうと思います。
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