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2013/03/24

■節子への挽歌2029:拝み屋さん

節子
昨日から時間の合間を見つけては、挽歌を書いています。
遅れを挽回して、「節子暦」に番号を合わせたいと思っているからです。
しかし、書き続けていると話題は似てきます。
今日もまた、「看取り先生の遺言」につながる話です。
この本に、とても興味のある話が出てきます。

東北には、お坊さんとは別に拝み屋さんという女性がいる。「仏おろし」を職業とする人たちである。恐山のイタコや沖縄のユタがよく知られているが、ご先祖の魂を降ろしてきて話をする、いわばシヤーマンたちである。
人が亡くなると、拝み屋さんが亡くなった人の魂を降ろしてきて、その場で死者とコミュニケーションをとる。遺族がどんなに悲嘆を抱えていても、その瞬間にグリーフケアは終わってしまうのである。
お盆にお寺さんにお経をあげてもらった後、こっそり拝み屋さんにご先祖様を降ろしてもらうこともあるそうです。
これは東北や沖縄にかぎった話ではありません。
たまたま東北や沖縄には、長い歴史の中で培われていた文化が残りやすかっただけの話です。
私の知り合いの福岡の加野さんは、いまも定期的に「拝み屋さん」のところに行って、娘さんとの交流を続けています。
私も、加野さんに誘われて一度、拝み屋さんに頼んで、節子の魂を降ろしてもらったことがあります
その時、レコーダーを持っていって録音したのですが、結局、その録音は聞いていません。
もう記録は消えてしまったかもしれません。
そのレコーダーそのものを使わなくなってしまってからもうかなりたちますので。

「拝み屋さん」は彼岸と此岸を往来できる人です。
私の周辺でも、拝み屋さんの話をすると笑う人は少なくありません。
私自身もまじめに話すことを躊躇してしまう気持ちがあります。
しかし、私自身は素直に拝み屋さんのことは受け入れています。
理解できないことを疑うのは、知識人の悪い癖です。
理解できないことあればこそ、真剣に受け止めなければいけません。
節子は、付き合いだしてから、私のあまりに「非常識」な話を半信半疑ながら受け入れてくれました。
節子には、安心して、素直に何でも話せました。
節子は、私以上に、「知識の人」ではありませんでしたから。
現実を受け入れるのは、知識によってではなく現実によってでなければいけません。

節子とは、しかし、「拝み屋さん」の話はしたことがありません。
「拝み屋さん」を通しての節子との交流を、節子は同受け止めたでしょうか。
やはり修の言っていた通りだと思ったかどうか。
少なくとも、彼岸に関しては、節子のほうが詳しくなっているでしょう。

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