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2013/03/23

■節子への挽歌2026:お迎え

節子
前の挽歌でも書きましたが、最近、何回か紹介している岡部健医師の聞き取りを本にした「看取り先生の遺言」を読みました。
そこに出てくる話題のひとつが「お迎え」です。
彼岸からのお迎えということですが、私が子どものころは、高齢者がよく「そろそろお迎えがくる」とあっけらかんと話していたものです。
そうした発言には、むしろ「お迎え」を待ちのぞむといった姿勢がありました。
お迎え文化があれば、死は決して怖いものでもありませんし、終わりでもないのです。
そうした「お迎え文化」は、最近ではなくなったようです。

岡部さんはこう書いています。

お迎えは、ナチュラル・ダイイング・プロセス(自然死の過程)の、臨終に近づく過程で人間に起こる生理的現象ではないだろうか。
昭和30年代の高度経済成長期から以降、コミュニティがなくなり、伝承性が断ち切られ、病院で死ぬことが普通になると、「お迎え」なんて開いたことのない人が圧倒的多数になってしまった。すると、「実はおじいちゃんにお迎えが…」といった日常の中で交わされてきた言葉が、非合理的でいかがわしいものとして隠されるようになる。
しかし、遺族を対象にしたある調査では、4割以上の人が「お迎え」があったと認めているそうです。
岡部さんは、「お迎えをベースに、まず生の死を見つめること」が大切だと話しています。

節子の実母と私の実母とは、死に対してはかなり対照的でした。
節子の母(浄土真宗)は、そろそろお迎えが来るとかお迎えが来る前にとか、死に関してあっけらかんと話していました。
それに対して、私の母(曹洞宗)は、胃がんになってからでさえも、一度も「死」や「お迎え」の話を自分からはしませんでした。
そのためか、死を軽く語ることが不謹慎な雰囲気でした。
この違いは、節子とはよく話題にしたものです。

ところが、節子が病気になってからは、節子からはお迎えの話はまったく出てきませんでした。
私からも、「お迎え」という言葉は出てきませんでした。
あまりに「死」が身近すぎていたからかもしれませんが、死に関してもあまり話し合った記憶がないのです。
病気が見つかる前までは、よく話していたのですが。

「お迎え」に関して地道な調査に取り組まれているのが、カール・ベッカーさんだそうです。
お迎えに対する考え方が同じだったがゆえに、岡部医師とベッカーさんは交流を始め、岡部さんは旅立つ前に話す人として、ベッカーさんを選んだのだそうです。

お2人の対談は、さりげないものですが、強烈なメッセージ性を持っています。
生と死に対する、これほどの対談を私は読んだことがありません。
ベッカーさんが岡部さんに「まだそういう気配(お迎え)はないでしょうか」と訊くとp壁さんは笑いながら「もうちょっとだな」と応えます。
ベッカーさんは、「ちょっと聞いてみただけ。急がれなくていいから(笑)」と言葉を急いで重ねますが、このやり取りが、死を直前にした人とのやりとりなのです。
なんと平安なことか。

対談の6日後に、岡部健医師は息を引き取ります。
その半年前に、私は岡部さんと立ち話をする機会をもらいながら、そういう話をまったくしらずに、機会を活かせずに終わってしまいました。
でもその時の、「絆とみんないうが、それがいやで捨ててきたくせに」と吐き出すように話した岡部さんの言葉が、ずっと心身に刺さっています。
以来、私は「絆」という言葉を使うのを止めています。
それが私にとっての、唯一の岡部さんとのつながりです。

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