■節子への挽歌2019:節子の遊び心
節子
娘たちと4人で、お彼岸のお墓参りに行ってきました。
順の連れ合いの峰行も、今日はお店がお休みなので、一緒です。
最近は、月に1回くらいしかお墓に行かなくなってしまいました。
毎週行こうと決意していたのですが、寒いとついついさぼってしまいます。
まあ節子もそうしたことに「理解」の深い人でしたから、許してくれるでしょう。
お墓では、いつも私が般若心経をあげさせてもらいます。
供花は、花屋さんで買ったものに、必ずわが家の庭の花を添えることにしています。
今は水仙が満開ですので、水仙を持っていきました。
こうしたことは、節子の文化です。
それが娘たちにきちんと伝わっていくことをうれしく思います。
わが家のお墓には、よくみるとおかしなものが存在します、
お墓のまわりに敷いてある砂利をよく見ると、お地蔵さんの上半身が見つかるでしょう。
以前は全身の地蔵菩薩で、お墓に乗っていたのですが、強風時に下に落ちて割れてしまったのです。
さてどうするか。
わが家の文化では、簡単には廃棄しません。
半分に割れた上半身のお地蔵さんを、さりげなく砂利石のなかに埋め込むことにしたわけです。
知らない人が気づくとぎょっとするかもしれません。
なにしろお地蔵さんが土中から生えてきているのですから。
こういうなんでもない仕掛けが、わが家の文化でした。
思いもしないところにフクロウの置物があったり、浴槽に入って目の前に小さな枯山水の庭のようなものがあったり、部屋のガラスや障子に枯れ葉が付いていたり、そんなマイクロインテリアが節子は好きでした。
私も、それが気に入っていました。
とても、です。
しかし、節子がいなくなってからは、そうした無意味なインテリアは次第になくなってきました。
今となっては、節子のそうした遊びがとても懐かしく思い出されます。
私の生活を豊かにしてくれていた節子に、いまさらながら感謝です。
さてお墓の半地蔵ですが、まあ気づく人はいないでしょう。
それはいいとしても、お墓の掃除をしてくれている人に、ごみと間違われなければいいのですが。
ちなみに、お寺では観音菩薩や如来がいいですが、お墓ではやはりお地蔵さんです。
お地蔵さんには、親しみを感じます。
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