■節子への挽歌2018:人が多いほど幸せになれる
節子
今朝、食事をしながら、テレビの「世界ふれあい街歩き」を見ていました。
ローマの下町編でしたが、普通のレストランで2人のお年寄りがカンツォーネを歌っている場面がありました。
即興だと思いますが、最近ローマには観光客が多くなり、迷惑がっている人もいるが、私はうれしい。人が多いほど、幸せになれるから、と歌っていました。
とてもいい声でしたが、この言葉のほうに感ずるものがありました。
人が多いほど幸せになれる。
たぶん、正しくは違った表現だったと思いますが、その言葉が私には残りました。
たくさんの人に出会えるうれしさ、たくさんの人と話し合える喜び。
そういえば、最近、そういう体験が少なくなりました。
もしそういう機会が巡ってきても、それに背を向けることが多くなりました。
最近、人と出会う機会も少なくなりました。
以前なら毎週、10人を超す新しい出会いがありましたが、最近は新しい出会いはさほどありません。
湯島で人に会う機会も、以前ほど多くはありませんし、しかも最近は友人知人が多くなりました。
私自身が少し人嫌いになっていることもありますが、わざわざ誰かに合いに出かけていくこともほぼなくなりました。
もしかしたら、それが最近の私の気力の低下につながっているのかもしれません。
人は、悲しい事件やさびしい事件が起こると、なぜか内に閉じこもりたがります。
少なくとも、私の場合はそうでした。
外に出て行こうとしても出て行けない。
出て行けたとしても素直になれない。
そして、ますます気が萎えてくる。
幸せとは程遠い構図ですが、幸せから逃避しようという無意識の志向があるのかもしれません。
それはそれで仕方がないのですが、そういう生き方がつづくと、そこから抜け出ようと思ってもなかなか抜けられなくなるのです。
でも、やはり、「人が多いほど楽しい」ことは間違いありません。
春になりました。
そろそろ街に出るのもいいかもしれません。
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