■節子への挽歌2033:伴侶を亡くされた方からのメールに気づきました
節子
フェイスブックには思わぬ落し穴がありました。
せっかく送ってくれたメッセージが隔離されることがあるのです。
たまたまそのことを知って、調べてみたら、いくつかの私宛のメッセージが気づかないまま放置されていました。
そのひとつに、面識のないOGさんという方からのメッセージがありました。
一昨年の秋に受信していました。
こんな文面です。
何かを検索していて、佐藤さんのブログに至ったと思います。かなり読ませていただきましたが、ボリュームに圧倒されました。特に奥様に関する記述は、私の経験に極めて近いものがあり感動しました。私はS22年生れですが、妻は丁度3年前の10月に50歳で生涯を閉じました。奥様との関わり、病状などあまりに共通点が多く絶句した次第です。このメッセージに気づかずに1年以上経過してしまっていたのです。
結果的には無視したことになってしまっていたわけです。
大変申し訳ないことをしてしまいました。
もし気づいたら、すぐにメールしたはずです。
50歳とは、節子よりも一回り早く旅立ったわけです。
節子以上に心残りであり、私以上に戸惑いは大きいでしょう。
1年も無視してしまう結果になったことを深く反省しました。
すぐにメールを出すとともに、フェイスブックでの友だちリクエストを出しました。
幸いに、すぐに戻ってきました。
いつかお会いですることもあるでしょう。
フェイスブックに限りませんが、ネットで自らをさらけだしていると、見ず知らずの人からのアクセスがあります。
その時にどう対応するかは、あまり思慮深くない私でも、少しは考えます。
しかし、伴侶を失った人への対応は、とても苦手です。
思いが入りすぎてしまうからです。
その一方で、みんな、私と違ってしっかりしているなと思うことが多いです。
私はもう6年目なのに、まだ同じところを彷徨しているような気がします。
涙が出ることは少なくなりましたが、まだ現実を受け容れられずにいます。
この挽歌に示されるように、なかなか自立できずにいるのです。
前が向けていないのかもしれません。
OGさんはどうでしょうか。
奥様を亡くされた方が湯島に来たことはありますが、なぜかうまくお互いに心を開けなかったのか、付き合いはなかなか続きません。
早くお会いしたいようで、したくないような、ちょっと複雑です。
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