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2013/03/24

■節子への挽歌2028:あの世の存在

節子
作家の遠藤周作さんが「あの世」に関心を持っていたことは有名な話ですが、「看取り先生の遺言」にも紹介されていますが、グリーフケアで有名な高木慶子さんに「宗教家が、はっきりあの世があると言ってくれないからいけないんだ」と言ったという話が紹介されています。
岡部さんは、もし「あの世があると信じられるなら、日本人はおおむね死に際して不安感が強く出ない」だろうと考えていたようです。
たしかに、あの世の存在を確信していたら、死は転居でしかありません。
不安もあるでしょうが、期待もある。

最近は会っていませんが、「生きがいの創造」で有名になった飯田史彦さんによれば、来世もまた、同じクルーで人生が構成されるそうです。
飯田さんと私は前世で岩木山に登った仲のようですが、残念なのは、その記憶が必ずしも残らないようなのです。
彼には残っていても、私には残っていない。
来世で、節子に会っても、節子が私を忘れていることは、たぶんにあります。
まあ、私が忘れていることも同じようにありますが。

しかし、来世とあの世とは同じでしょうか。
たぶんまったく違うものでしょう。
「あの世」には一方向に流れる時間はなく、従って「前世」とか「来世」という概念はないはずです。
前世も来世も、そして現世も、織りたたむようにしてあるのが「あの世」なのです。
つまり、現世は「あの世」に包括されるわけです。
だから、いまも節子はここにいる。
そう思えば、遠藤さんが言うように、死への恐怖は少なくなるでしょう。
死は、この世を卒業して、大きな世界に行くことになります。
まさに旅立ちなのです。

なぜ「あの世」の存在が非合理な世界に閉じ込められているのか、私には理解できません。
「この世」があるのであれば、その外側に「あの世」が存在することは否定しようのないことだと私は思います。
もちろん、その存在は確認しようがない。
しかし、「この世」という概念は、必然的に「あの世」を想定しているように思えます。
だからといって、この世からいなくなることがそのままあの世に移ることではありません。

しかし、「この世」を此岸とし、「あの世」を彼岸とすれば、旅立ちの先は彼岸になります。
多くの臨死体験者が語るイメージも、水平をイメージする川と船です。
「岸」という言葉がイメージを実体化させたのか、体験が「岸」という言葉に帰結したのか。
たぶん後者ではないかと、私は思います。
黄泉の国やハディスの冥界は、地下というイメージがありますが、それは三次元でしか考えられなかった「知識人」が考えたからでしょう。
次元にこだわらなければ、空間からも自由になれます。
知識は、時に世界を狭めます。
私は「あの世」の存在を確信しています。

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