■節子への挽歌2034:社会からの健全な脱落ぶり
節子
一昨日、大阪でいずみホールの支配人の篠原さんにお会いしました。
いずみホールは住友生命ご自慢のコンサートホールで、以前からお話はいろいろとお聞きしていました。
節子が元気だったら、一度は行きたかったところですが、残念ながらお話をお聞きしたころには、節子は既に体調を崩していました。
ですからまだ行ったことはありません。
今回も、ぜひ一度、来てくださいといわれましたが、たぶんお伺いすることはないでしょう。
コンサートは、私よりも節子が好きでした。
節子と出会ったころは、むしろ私のほうが好きでしたが、いつの間にか節子のほうがアートフルな生活になってしまいました。
私は、次第に仕事人間になり(いわゆる「仕事人間」ではありませんでしたが)、音楽会も美術展も足が遠のきました。
学生のころは毎週のように通っていた博物館や美術館も、節子の誘いがなければ行かなくなってしまいました。
会社を辞めてから、節子と行動をともにしようと思って、節子の誘いにはできるだけ同行しましたが、昔のような感動は覚えなくなりました。
結婚して変わったことは、他にもいろいろとありますが、これもその一つです。
一度だけ私から節子を誘ったことがあります。
たしかベルリン交響楽団がサントリーホールで「運命」を演奏した時でした。
感動的な演奏でした。
その時に、偶然に演奏の合間に、知り合いの牛窪一牛さんご夫妻に会いました。
お2人も聴きにこられていたのです。
牛窪さんとは仕事で数回会っただけでしたが、それとは別に、日本経営品質賞のもとになったマルコム・ボリドリッジ賞を通じて、気持ちの上でつながりがありました。
ボリドリッジ賞の論文を、「ハーバード・ビジネス・レビュー」で最初に翻訳紹介させてもらったのは私ですが、日本経営品質賞の導入に取り組んでいた牛窪さんは、私がボリドリッジ賞には「価値議論」が欠けていると批判的だったのを知っていてくれたのです。
私は、当時から安直な経営の制度化には違和感があり、そうした動きからはいつも脱落していました。
いまもなお脱落しつづけていますが。
話もどんどんおかしな方向に脱落していますね。
さらに脱落すると、その時、牛窪さんから、いつか経営品質賞に関してお話したいと言われました。
しかし、その後、牛窪さんに会うことはありませんでした。
牛窪さんが急逝されたのです。
私には衝撃的でした。
たぶんボルドリッジ賞に関して、議論ができるただ一人の人と思っていましたから。
牛窪さんの訃報を聞いてから、ボルドリッジ賞にも日本経営品質賞にも、私は全く関心を失いました。
こうやって、私は社会から脱落し、節子の世界へと落ち込んでいったわけです。
篠原さんや他のみなさんと一緒に、ちょっと贅沢なホテルでのランチを食べながら、昔はこういう世界に生きていたんだなととても懐かしい思いがしてしまいました。
懐かしさを感ずるほど、私は健全に社会から脱落し続けているようです。
節子がいなくても、なんとか脱落し続けられるようです。
節子もきっと安心していることでしょう。
来世では、いずみホールに節子と一緒に行きたいと思います。
篠原さんが支配人でいてくれるといいのですが。
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