■節子への挽歌2004:ちょっと落ち着きません
節子
今日は明らかに精神状態がよくありません。
午前中に、初めて湯島にやってきた人の相談にのっていたのですが、どうも反発してしまいます。
Pax intrantibus, Salus exeuntibus.には程遠いです。
自分が少しいらいらしているのが、よくわかります。
午後から3つの集まりがあるのですが、そのうちの2つがいささか心を悩ましています。
それが影響しているのでしょうか。
困ったものです。
まあ、その後に予定されている最後の集まりでは、きっと心がやすまるでしょうが、それまで持つでしょうか。
少し心配です。
人の心はいつも安定しているわけではありません。
時に荒ぶり、時に沈み込み、時に黙します。
それを受け止めてくれる存在があればいいのですが、うまく受け止めてもらえないと、さらに深みにはまります。
そして、関係のない誰かに当たってしまう。
この半年、どうも私はそうした状況にあるようです。
思い切った気分転換が必要かもしれません。
考えてみると、節子がいなくなってから、私の生活はとても単調になっています。
節子がいつも心配していたように、忘我の時間を過ごせる趣味があるわけでもありません。
もっと悪いことに、中途半端に退屈しないほどの課題をいつも抱えています。
声をかければ、喜んで会ってくれる友人も少なくありません。
娘たちが、生活面を支えてくれています。
これ以上、何が必要だという状況にあるのです。
だからどうしても単調になりやすいのです。
節子は、それをいつも心配していました。
何かを急にやりたくなって、それをなんとかやり遂げてしまうと、いつもそこでむなしくなります。
自分を追い立てるように、無理な課題を立ててしまうからかもしれません。
達成すると疲れきってしまうわけです。
そうならないように、完結型にではなく、宿題がたくさん発生する仕組みにしているのですが、それが裏目に出ることもあります。
そうした私の性癖を、節子は知っていました。
だから、そこから生まれるいらいらは何でも引き受けてくれたわけです。
心底、私を知っている人が隣にいると、なぜか安心です。
その人がいないのであれば、ここは少し気分転換に自然の中にひたるのがいいかもしれません、
来週は予定を入れるのはやめましょう。
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