■節子への挽歌2011:「人間とは大きな命に繋がっているもんなんだ」
岡部さんのことをもう一度書きます。
岡部さんの言葉で、とても印象的な言葉があるからです。
「亘理荒浜の被災地に立った時に感じたのは「合理的にものを考えられる場所も、空間も、時間もない、まるで空襲で爆撃を受けた様な状況」だった。そこに自分の身を曝したら、「ああ、人間と言うのは大きな存在にぶら下がって生きているんだな。個人が集合すると人間になるんじゃないんだ。実は逆なんじゃないか」と思った。「人間とは大きな命に繋がっているもんなんだ」。
この想いは考えて得たものではない。ふっと湧いてきた。「あそうか!」と体にストンと落ちてきた。あの場では、物を考えるはずの自我そのものが破綻していた。破綻した時に何が人間の心を支えられたのか、と言ったら、人間とは大きな命に繋がっているもんなんだ。俺が死ぬなんて事は、本当にちっぽけな事なんだ、という様な事が、リアルな感覚として自らの中から湧き出てきた。」(東北大学実践宗教額寄附講座ニュースレター第2号から引用)
岡部さんは、たくさんの看取りとあまりの荒廃の中での衝撃の中で、そのことがストンと心身に入ってきたといいます。
これまでも何回か書いてきましたが、大きな命の一部であると思えば、生きやすくなる。
死ぬことの意味も変わってくる。
いささか大仰に言えば、不死感を得られるのです。
心が支えられたと岡部さんは言います。
岡部さんの最後の日々は、息子さんによれば、それはそれは穏やかで日常的だったようです。
もしかしたら、岡部さんは「大きな命」を通して、あの世と往来していたのかもしれません。
できるならば、私も早く、そうなりたいと思っています。
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