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2013/03/09

■節子への挽歌2009:2人で渡ればこわくない

節子
また風邪をこじらせたようです。
困ったものです。
気持ちが萎えだすと、免疫力が低下し、風邪菌の活躍が盛んになるのでしょう。
まあ、仕方がないことではあります。

最近、気の萎えることが少なくありません。
問題は、萎えても、それを修復するすべがないことです。
だれかに元気付けてもらいたいのですが、最近はどうも、だれもみな気が萎えているようで、人に会うとますます気が萎えることのほうが多いのです。
原因は、私の中にあるはずですので、どこかでそれを反転させなければいけません。

先日、この挽歌で気分を変えようと書いたら、早速、それを読んだSさんから温泉に入りに来ませんか、とメールが来ました。
娘は、行ってきたらいいというのですが、そのメールが届いた直後にまた、問題発生です。
それを放置して、出かけるわけにもいきません。
しかし、そうした中途半端さがよくないのでしょう。

節子がいなくなって一人になると、自分勝手に行動できますから、行動しやすいはずです。
しかし現実はそうではないのです。
なにか気になることがあると、動きにくくなります。
節子と一緒であれば、まあ、そんなことは瑣末なことだ、といえるのですが、それができない。
いわゆる「みんなで渡ればこわくない」の心理が、たとえ2人であっても働くようです。
そうやって、節子がいた時には、いろいろと無茶をしてきました。
結果がどうでしょうと、2人だと受け止められます。
どんなにめげるような結果になっても、それもまた人生と開き直れるのです。
しかし、一人になると、その軽やかさは確実になくなります。
一人で考えてしまうと、そうそう無茶もできなくなります。
人生はますます退屈になる。
そのくせ、時に、とんでもない誤りをおかすことになるわけです。

一人身は必ずしも軽やかさにつながるものではありません。
私の場合は、多分、節子がいなくなってから、動きがとても悪くなったような気がします。
不安や失敗を、分かち合える伴侶の存在は大切です。
最近、つくづくそう思います。

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妻への挽歌11」カテゴリの記事

コメント

今日Googleで『景気 原発』について検索してたら
たまたまこちらのブログに出会いました
過去の記事を読んでいて、私は筆者様から見たら
まだ人生の半分も過ごしていない世でいう若者ですが
あまり同世代と意識の面でズレを感じる事が多々あります
このブログを読み年の差などは論点に置かず共感出来る事
があり、初めてプライベートで認識の無い方のブログに
コメントをさせて頂きました!というより
コメントしたくて勢いで書いてしまいました
余談ですが私は10年前に我孫子で2年ほど働いてました

私はこの世界はきっと大きな根本的な部分であやまち
をおかして、ずっとここまで歴史を重ね、
過ちもスケールや時代が違うだけで過ちの質は同じ物を重ねて
来たのだと考えています
根拠は無いのですが感覚だけで言うと
神仏崇拝という他力本願をこじらせて
いつしか人が人の中に神仏的存在や指導者を作った事
そして指導者も民衆に崇められた事により
自己陶酔による過ちを生み出してしまった事
これが人の最大の間違えの始まりなのではないかと私は考えています
突然のコメント失礼致しました。
筆者様の記事を拝見させて頂けた偶然を嬉しく感じました!
ありがとうございます。

投稿: 三十路の者 | 2013/03/10 02:50

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