« ■ペイ・フォワード方式で映画「自殺者1万人を救う戦い」を広げていきませんか | トップページ | ■節子への挽歌2012:人はただ「存在する」だけでだれかの役に立っている »

2013/03/12

■社会が荒れているようです

フェイスブックに書いたのですが、昨日、地下鉄で2つのトラブルを身近に体験しました。

私の横に座っていた女性にそばに立って盛んに小さな声で話しかけている女性がいました。
ところが隣席の女性は返事をしません。
もしかしたら独り言かと思っていたら、2駅ほど過ぎたところで、隣の女性が私に話しかけてきました。
「隣の人がずっと私のことを非難しているのですが、どうしたらいいでしょうか」と言うのです。全く知らない人だそうです。
たしかによく聞くとひどい言葉を浴びせています。
この人もきっと大変な状況なのでしょうから、まあだまって聞き流すのがいいのではと答えました。
しかし立っている女性は一向に話やめずに、エスカレートしてきます。
隣席の女性は不安そうだったので、私も話を続けることにしました。
そして私たちが話しつづけていたせいか、呪い続けていた女性は次の次の駅で降りていきました。
隣席の女性は、ホッとしたように握っていたスマートフォンを私に見せて、刺されるかもしれないのでずっと録音していましたと言って、録音を消去しました。
いずれの女性も30~40代。今の社会を象徴しているように思いました。
20年前であれば、立っている女性の話を聞いていたかもしれませんが、最近はどうもその気になれません。
彼女は、持って行き場のない怒りを内に溜め込みすぎてしまったのでしょう。
隣席の女性が、刺されるかもしれないと思ったのも、理由のないことではありません。
とてもとても不幸な時代になっているように思います。

その帰りの地下鉄でも、不穏な体験をしました。
この時も座っていたのですが、隣の隣が空きました。
大柄の男性が座ったのですが、狭いところにドンと座り、両側を力で押したようです。
私の隣席の男性もどっしりした男性でしたが、私のところにまでその余波が来ました。
音楽を聴いていた隣の男性はイヤフォンを外し、その隣の人に「譲り合ってすわれよ」と言いました。
いずれも屈強な男たちだったので、もしかしたら喧嘩が始まるかと思いましたが、隣の隣は黙っていたので、それで終わりました。
注意した隣の男性に拍手をこっそりと送りました。
彼はとても礼儀正しかったのです。
こういうことも、20年前であれば私もやっていましたが、今はやりません。
社会が悪いのか、私が悪いのか。
たぶん私が悪いのでしょう。反省しなければいけません。

このことをフェイスブックに書いたのですが、何人かの人がコメントを書いてくれました。
そのなかに、こんなコメントを書いてくれた人がいます。

隣席の女性は、佐藤さんの存在に救われたでしょうね。
誰かの力になるとは色々な形があると思う今日この頃です。
本当にそう思います。
つまり、すべての人は「存在する」だけで、十分、誰かの力になっているのです。
そのことを、実は伝えたかったのですが、この方は、それに気づいてくれました。
とてもうれしいです。
彼女は、OMUSUBIというグループの人です。
3月2日の集まりで初めて会いましたが、無縁化の流れを止めようと活動されているようです。

今日は、社会を見直す契機になった東日本大震災から2年目です。

|

« ■ペイ・フォワード方式で映画「自殺者1万人を救う戦い」を広げていきませんか | トップページ | ■節子への挽歌2012:人はただ「存在する」だけでだれかの役に立っている »

生き方の話」カテゴリの記事

社会時評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30899/56942132

この記事へのトラックバック一覧です: ■社会が荒れているようです:

« ■ペイ・フォワード方式で映画「自殺者1万人を救う戦い」を広げていきませんか | トップページ | ■節子への挽歌2012:人はただ「存在する」だけでだれかの役に立っている »