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2013/03/07

■オリンピック招致騒ぎへの違和感

連日報道される「オリンピック招致活動」には、大きな違和感があります。
そもそも「招致」という発想がなじめません。
これだけの招致合戦になるということは、招致したら「大きなメリット」があるということでしょう。
そのメリットが、どうも経済的なメリットである点に違和感を持ってしまいます。
招致した場合の経済効果などという話を聞くと、とてもいやな気持ちになります。
オリンピックは、いまやショービジネスであり、アスリートたちはその商売材料のように見えてなりません。
私のスポーツ嫌いは、ますます高まるばかりです。

そもそも私は、記録を0.1秒単位で競うことにも違和感を持ちます。
これはたぶん「工業化」の発想であって、「生命」の発想ではないと思うのです。
そのわずかな記録を目指して、ドーピングやスポーツ用具が開発されるのも、私には悲しさや滑稽さを感じます。
スポーツはもっとおおらかに競い合ってこそ、オリンピックの理念に合うように思うのです。

テレビで、首相が歌を歌い、メダリストのアスリートたちが招致を呼びかける姿を見ていると、ドイツのナチが国威高揚のためにオリンピックを利用したことを、どうしても思い出してしまいます。

多くの国民は、オリンピックを招致したがっているのでしょうか。
私だけが、そうした流れについていけていないのでしょうか。
なんだか自分だけが、落ちこぼれているような気もしないでもありませんが、やはり私は最近の華々しいオリンピック招致活動にはついていけません。
招致するにしても、もっと大切なことがあるだろうと、どうしても思ってしまうのです。

オリンピックを開催することで、経済的に儲けるのではない、もっと人間的な意味を生み出すところが、東京以外にはたくさんあるはずです。
そうした国でオリンピックを開催するように働きかけることこそ、日本の役割のような気もします。
小さな我欲だけで動く人たちが、どうしても受け入れられないのです。
金儲けのためのオリンピック招致には、私は共感できません。
アスリートたちにも、商売道具になるなよといいたいです。
金メダルをかじるメダリストの姿をつい思い出して、哀れささえ感じています。

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