■節子への挽歌2010:臨床宗教師
節子
今日も穏やかで、あたたかな日です。ところがどうも風邪が治りません。
今日も大事をとって在宅です。
明日で東日本大震災から2年です。
その関係で、さまざまなイベントが各地で行われていますが、残念ながらどれにも参加できずにいます。
2年前に、たくさんのいのちが失われました。
今朝の「こころの時代」に、通大寺住職の金田諦応さんが出ていました。そして、昨年9月に亡くなられた医師の岡部健さんの生前の活動が少しだけ紹介されていました。
金田さんと岡部さんとは、昨年、少しだけ立ち話をさせてもらったことがあります。
その当時は、岡部さんのことをあまり知らなかったのですが、その後で、岡部さんの生き方や活動のことを知りました。
ちょうどその日は、私自身が今日と同じように風邪気味で、お2人とお話しする機会があったにもかかわらず、参加せずに帰宅してしまったのです。
今にして思えば、とても残念なことをしてしまったという気がします。
岡部さんは医師ですが、白衣など着ることのない、実に個性的な医師だったようです。
3.11大震災の後、以前から交流があった曹洞宗僧侶の金田さんと一緒に、被災地でカフェ・デ・モンクという活動を開始しました。
私は、その話をお2人からお聞きしたのです。
これに関しては以前、書いたことがあります。
そういう活動を通して、岡部さんは「臨床宗教師」という構想を育て、東北大学にその講座ができました。
そして今は、そこから数名の臨床宗教師が生まれだしています。
今朝のテレビでは、見覚えのある普段着の岡部さんが、今際の患者の横で、「あの世ってどんなかなあ」とあっけらかんと語っている様子が映し出されていました。
あの世って、医療に世界にはないんですよ、それは宗教の世界だ、だから死を迎える患者には、あの世を語れる臨床宗教師が必要なんです、というようなことをお話になっていました。
これは岡部さんの深い思いですが、金田さんにその思いを託されたのだそうです。
岡部さんは肺がんの専門医で、2000人以上のがん患者を看取ったそうですが、ご自身もがんだったのです。
私がお会いした時には、もうご自身はそれを知っていたはずです。
日本人はなぜか「宗教嫌い」の人が多いのですが、私にとっては、宗教心は人間らしく生きるための不可欠な要素だと思います。
教団とは無縁です。
岡部さんの臨床宗教師も、教団や宗派を超えたものです。
キリスト教でもイスラム教でも仏教でもいい。
教団に属さなくてもいいのだろうと思います。
死を体験すると、そうしたことの意味がわかります。
「あの世ってどんなかなあ」と患者と話す岡部さんの姿に、何かとても大きなものを感じました。
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