■節子への挽歌2008:平凡で平安な生活
節子
人生はいろいろありますが、私たちなどは実に平凡です。
バブルもなければ、どん底もなく、まあ、平安な人生でしょう。
妻に先立たれるという、夫としては、思ってもいない状況になったものの、平凡な人生であることは間違いありません。
たぶん、結婚した当時から今まで、慎ましやかに、生きてきています。
年収で考えると、1:5くらいの乱高下がありますが、なぜか生活水準はあまり変わっていません。
家族でエジプト旅行に行ったのは、唯一の贅沢かもしれませんが、まあたいした贅沢でもないでしょう。
25年も会社でがんばったのですから。
お金は使うものだと考えていますので、貯金はありませんが、なぜか自宅は持ち家で、ローンもありません。
まあ節子がやりくりしたのかもしれませんが、節子も私とさほど違わないほどの経済感覚の持ち主でした。
お金に依存することなく、質素に暮らしてきたことが、平安な理由かもしれません。
不思議なことに、お金が必要な時には、なぜかそこにあるのです。
まあたいした額ではないからかもしれませんが。
今付き合っている知人は、かなり乱高下の人生です。
一時は外車を乗り回し、贅沢をしていたようですが、今はその反対にあります。
彼と長電話をしました。
生活がかなり逼迫していて、自己破産してもおかしくないのです。
数年前に離婚もしました。
何とか彼の生活を立ち直らせたいと思って1年付き合ってきましたが、私もそろそろ限界に来ています。
それで、ついつい厳しい物言いになってしまいました。
たぶんかつては優雅な生活だったのでしょう。
私と会ったのは、もう10年ほど前ですから、当時は私のような地味な生活ではなかったのでしょう。
しかし、いまはどうでしょうか。
人生は、波風のあるドラマティックなほうが面白いかもしれません。
しかし、波風など全くない、地味な平凡な暮らしのほうが、豊かといえるかもしれません。
彼の人生は、お金に負けてしまったのかもしれません。
お金は魔物です。
何とかして、彼を立ち直らせたいと思っていますが、最近は私がつぶれそうです。
彼を元気付けたいのですが、萎えさせているかもしれません。
人生は平安なほうがいい。
つくづくそう思います。
節子がいなくなっても、なんとかこうして、地味で平安な人生が送れるのは、たぶん節子のおかげです。
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