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2013/03/23

■節子への挽歌2027:なぜ節子は幽霊になって戻ってこないのでしょうか

節子
挽歌がたまっているので、岡部さんの「看取り先生の遺言」からの話を続けます。
今度は「幽霊」の話です。

東日本大震災の後、被災地では幽霊を見た人がたくさんいるそうです。
しかも、これまでは幽霊の存在など信じていなかったような人もたくさん幽霊に出会っているのだそうです。
岡部さんは、こう書いています。

今、被災地では幽霊がたくさん出ている。見た人はいっぱいいるのに、医者には言わないのである。もっとも、へたに言えば、異常でもないのに精神異常にされかねないから、言わないのだと思う。今回はあまりにも多すぎるから医療界にも伝わっている。
そうしたことに、被災者が何を感じ、何を欲して.いるかということの本質が出ているのではないかと岡部さんは言います。

幽霊は、この世とあの世をつなぐ媒体の一つです。
科学で合理化された今の時代は、そうした幽霊には居場所はなくなってしまいました。
「合理性というバリアを張っていた近代的都市の枠組みが、あの震災と津波で一瞬にして壊れてしまった」。
そして、それまで「合理の世界」から追い出されていた幽霊が、戻ってきたのではないか、と岡部さんは言います。
とても共感できますし、近代合理主義に辟易している私としては、幽霊に頑張ってもらいたいという思いもします。
幽霊の問題に関しての岡部さんの指摘はとても示唆に富むものですが、もしご関心があれば、ぜひ本を読んでみてください。

ところで、幽霊の「生きる意味」はなんでしょうか。
おかしな設問ですが、人に生きる意味が大切なのであれば、幽霊にもまた「出てくる(生きる)意味」があるはずです。
そして、その意味とは、幽霊に出会った人にとってのものか、幽霊となって出てきた人にとってのものか。
これは意味深い設問です。
こう表現を変えてもいいでしょう。
幽霊を求めているのは誰か、と。

岡部さんは、幽霊を見たという事実から始めなければ、被災者のケアにはならないと話しています。
だとすると、幽霊を求めているのは「見た人」であり、見た人にとって幽霊が必要だったのです。
しかし、俗説では、幽霊は成仏できない魂の現われと言われます。
岡部さんも、あるところで、お経を唱えるだけで幽霊は出なくなるというようなことも話しています。
だとすれば、幽霊を求めているのは幽霊の本体かもしれません。
しかし、たぶんそのいずれでもないでしょう。
幽霊は、残されたものと逝ってしまったものとの相互関係の中から生まれてくるのだろうと思います。
つまり、関係性を修復するためのものではないかと私は思っています。
世の中には「幽霊学」というのもあるそうですので、そうした研究の中で、もうこんなことは明らかになっているのかもしれません。

節子を見送った後、私は節子の幽霊に会えていません。
節子の幽霊が出てこないのは、私にも節子にも、幽霊が必要ないからとも言えるわけです。
あるいは、彼岸の節子と此岸の私の関係性は政情であり、修復は不要なのだといえます。

それは喜ぶべきかどうか。
夢の中の節子は、身体を持っていない場合が多いので(節子を実感する雰囲気の場合が多いのです)、たとえ足のない幽霊でもいいですから、節子に会いたいと思っています。

節子はもう私たちに伝えたいことはすべて伝えているのでしょうか。
節子はかなりアバウトの人だったので、もういいかと思っているのかもしれません。
しかし一度くらい出てきてもいいでしょう。
一度も出てこないとは、困ったものです。

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