■節子への挽歌2063:私が生き生きと生きてこられた一番の理由
節子
今日はいささかややこしい話を2件、こなしてきました。
私自身には負担だけの案件なのですが、まあそれで喜んでもらえる人がいるのですから、よしとしなければいけません。
お一人からは、最近、小布施にいってきたお土産だと市村さんのところのお酒をもらいました。
私はお酒を飲まないのですが、もらうことも親切のひとつですので、もらってきました。
しかし、話そのものは、あまり前向きの話ではなかったので、疲れました。
そういえば、最近は、何かを創りだすということが少なくなってきてしまいました。
それが疲れの一因かもしれません。
今日は代官山に行っていたのですが、代官山にはおしゃれなレストランやカフェがたくさんあります。
私には縁遠い世界です。
私自身は、仕事をしていた頃は、そうしたお店でご馳走になることはありましたが、最近はほとんどありません。
節子と一緒に行ったことも、若い頃はともかく、私が生き方を変えてからはまずありませんでした。
そうしたお店の前を通ると、ちょっと悔やむ気持ちが起こることがあります。
私自身は、そうしたお店に全くと言っていいほど、興味がありません。
節子も、さほど興味があったとは思えません。
だからと言って、節子が、そういうお店に行きたくなかったわけではないでしょう。
そう思うと、少し罪の意識が生まれるのです。
誰かのための時間とお金を、自分たちに振り向けていたら、私たちはもう少し贅沢な暮らしができたかもしれません。
しかし、それは私の生き方ではありませんでした。
私が、節子と一緒にいて、ともかく安堵できたのは、私の少し変わった考え方を、丸ごとすべて受けいれてくれていたからです。
私は、世間の常識からかなり脱落していると思いますが、節子はむしろそれを応援してくれていました。
人生において、自分のことを心底、理解し共感してくれている人がいるということが、どれほど幸せなことなのか。
そのことが、私が生き生きと生きてこられた、一番の理由だろうと思います。
いまもなお、その幸せの余韻は強く残っています。
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