■節子への挽歌2055:起は時節到来なり
節子
久しぶりに國分さんに会いました。
國分さんが最初に湯島に来た時には、たしか南ア帰りで、次は渡米する時でした。
そのため、回数的にはあまり交流はありませんでしたが、かなり印象的な出会いでした。
節子も私も、どこか強く心に残ることがありました。
渡米後は交流がなくなりました。
そして、その間に節子は発病しました。
発病して3年目、その國分さんが渡米後にくれた手紙がなぜか出てきました。
節子が、國分さんはその後、どうしているかなと話したので、ネットで探してみました。
最近はネット検索という便利なものがあるので、社会的な活動をしている人はネットで見つけやすいのです。
そして國分さんと連絡が取れ、湯島で節子と私と國分さんとで会いました。
その半年後に、節子の胃がんは再発してしまったのです。
以来、また交流が途絶えていました。
その國分さんが湯島に来ました。
もう少し基盤がしっかりしてから報告に来ようと思っていたそうですが、國分さんの方向はかなり明確になっているようです。
スピリチュアルなものも、また解き放たれてきているようです。
話す事が山のようにあったからでしょう。
3時間があっという間でした。
國分さんは、今は、マッサージセラピストとして活動しています。
もう10年早かったら、節子も元気になったかもしれません。
最近、そんなことを思うことがたくさんあります。
時代がもう少し早く進んでいたら、節子の人生も変わっていたかもしれません。
しかし、それこそが貧しい発想なのでしょう。
道元禅師がいうように、「起は時節到来なり」なのです。
節子
遅まきながら、道元の入門書を読み出しました。
以前と違って、なぜかすんなりと心身に入っていきます。
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