■節子への挽歌2051:節子がいないと怠惰になります
節子
昨日は若い友人がやっている農場を見にいきました。
農業に関しては、節子と結婚したおかげで、ある意味での親近感がもて、また学びもできました。
もしいまも節子がいたら、きっと一緒にできることはいろいろとあったでしょう。
最近、改めて、節子がいたら一緒に取り組めるのにというプロジェクトが増えているような気がします。
一緒に、というよりも、いろいろとアドバイスをもらえるのにといったほうが正しいかもしれません。
わが家の家庭農園も、節子がいればこそ、でした。
家庭農園も草が広がりだしていますが、まだ作業を始めていません。
一人だとどうも行く気になれません。
そろそろ手入れを始めないと、また昨年のように、草刈りで1年が過ぎてしまいます。
そうならないように、と、畑に蒔く花の種子も買ってきたのですが、すぐ近くとはいえ、出かけるのがおっくうなのです。
これは何も農作業に限ったことではありません。
私の場合、一人だとどうしても怠惰な方向に行ってしまいます。
節子に依存した暮らしを40年も続けてきたせいかもしれません。
節子はいつも付き合ってくれましたし、時には私を追い立てました。
その節子がいないと、今日はやめて明日にしようと、ついつい思ってしまうわけです。
人は一人では怠惰になるものです。
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