■節子への挽歌2058:愛する人がいると人間は弱くなる
節子
タイトルの言葉は、イギリスのテレビドラマ「シャーロック」で、たしかホームズがワトソンに言った言葉です。
まあ、よくある言葉なので、別にシャーロックを引き合いに出すこともないのですが、昨年、このドラマを観てから、ずっとひっかかっていたのです。
説明するまでもありませんが、愛する人がいるとその人を守らねばなりませんので、その分だけ弱くなるというわけです、
しかしそうでしょうか。
むしろ愛する人がいると人間は強くなるのではないかとも言えます。
この場合も、愛する人を守るために強くなるというわけです。
こう考えると、強くなることと弱くなることとは同じなのかもしれません。
私自身のことでいえば、節子がいなくなってから、ある意味では弱くなり、ある意味では強くなったような気がします。
節子との別れということに比べればそれ以上の悲しみや辛さはありません。
そういう意味では、何が起こっても、それ以上の悪いことは起こりようもありません。
それに物事への執着もなくなりましたので、恐れることなど何もないのです。
だからどんなことも驚かないのです。
その一方で、何をやっても「張り合い」がなくなってしまいました。
だから、「何かをやろう」という強い思いが出てきませんし、「やりとげよう」というような強い執着心は生まれてきません。
さらに言えば、「生き抜こう」などという気も起きませんし、自分を守ろうなどという気も起きないのです。
ですから、ある意味では弱々しくなっています。
しかし、いずれの場合も「人生を投げている」という意味では同じなのかもしれません。
節子がいなくなってから、私の人生の意味はまったく変わってしまいました。
居場所のない、実に宙ぶらりんの感じなのです。
そんなわけで、いまは弱くて強い人生を生きているわけです。
どうも生きにくい人生になってしまいました。
困ったものです。
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