■節子への挽歌2043:「行動するかどうか迷った時には行動する
節子
今日は結局、湯河原に立ち寄らずに帰宅しました。
箱根は、旅行客でいっぱいでした。
桜は終わっていましたが、新緑がきれいでした。
見慣れた風景が最近ようやく目にきちんと入って来るようになりました。
箱根は合宿だったのですが、ある人がフッサールの話を持ち出しました。
フッサールは、「私」と「あなた」がもともとあるのではなく、お互いの関係のなかで「私」も「あなた」も事後的に構成されてくると考えました。
人は人との関係において人になるという話です。
「あなた」と「私」が別々にいるのではなく、あなたと私がいるから、「あなた」と「私」がいるという話です。
言い換えれば、人は人との関係において、別の人になるということです。
たしかに、節子がいた時の私といなくなってからの私は、明らかに違います。
どう違うのかはなかなか言葉にはできませんが、行動が違っているはずです。
主観的には意識が違っています。
何を見ても、それまでとは違って見えています。
節子がいたら、少なくとも今日は帰らなかったでしょう。
「行動するかどうか迷った時には行動する」というのが節子の考えでした。
これはとても便利なルールです。
人生において迷うことは多いのですが、このルールを身につけると迷うことが少なくなります。
しかし、今回はこのルールを破ってしまいました。
それで気づいたのですが、ここで「迷う」とは「意見が違った時」の意味だったのです。
私たちは、意見の違うことが少なくありませんでした。
たぶん最初の頃は、私のほうが主導的だったので、節子は私に無理やり同意させられていた傾向があります。
「無理やり」というのは正確ではなく、最初、節子は私のことをいつも正しい判断をすると過信していたのです。
しかし、次第にその間違いに気づきましたが、一度できたルールはそう簡単には変わりません。
それで生まれたのがこのルールだったのかもしれません。
2人だと、まあどんなことになっても、支え合えばどうにかなります。
事実、ある時、とんでもない即断をしたことがありましたが、なんとかいい方向で乗り切れたのです。
だからこのルールは極めて合理的です。
しかし、一人だとそう簡単ではありません。
現に私は、つい最近も、迷わずに行動して、いささか一人では重過ぎる荷物を背負ってしまいました。
ですから、このルールは節子がいた時のルールだったのです。
今はきちんと迷わなければいけません。
こうして、節子がいなくなった「新しい私」がまた生まれて来るのでしょうか。
フッサールの言っていることとは、あんまり関係のない話になってしまいました。
でもちょっとはつながっていますよね。
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