■病気を完治させようと思うことはありません
昨日書いた腰痛の話の続きです。
「腰痛は〈怒り〉である」も面白かったです。
著者の長谷川淳史さんは「腰痛は不快な感情との直面を避けるために生じる心身症である」という考えから、独自の腰痛治療プログラムを開発した人です。
その長谷川さんが、ある雑誌で、自分も腰痛に苦しんでいるジャーナリストの粥川準二さんのインタビューの最後にこう話しています。
完治にこだわる必要はありませんよ。
レッドフラッグがなければ、腰痛で命をとられることはありません。
腰痛を治すために生まれてきたわけじゃないんですから、腰痛はあってもいい。
あってもいいから、人生というゲームを楽しみましょう。
腰痛の辛さをしらない人のたわごとだといわれそうですが、長谷川さんもインタビュアーの粥川さんも、いずれも腰痛で苦しんだ人だそうです。
だからこそ言える言葉であり、受け入れられる言葉なのかもしれません。
私は腰痛とは無縁の人間ですが、「完治にこだわる必要はない、人生というゲームを楽しみましょう」という考えにはとても共感できます。
そもそも「病気」という概念にさえ、最近は違和感を持ち出しています。
「病気」「障害」、なんとも違和感のある言葉です。
長谷川さんは、そのインタビューの冒頭でこう話しています。
さまざまな病名をつくつて医療の対象にしてはならない。ただのカゼのようなものにも病名をつけて、患者さんを取り込んで商売にするのはやめようというのが、現在の中立公平な立場からの見解だと思っています。
私は健全に老化してきていますが、病院で何か言われたら、健全に老化しているということですね、と言うようにしています。
否定されたことはありません。
長谷川さんは、病気を人生にとって「マイナス価値」しかないと考える必要はない、と言っているわけですが、病気にとどめずに、少し広げて考えてみましょう。
トラブルや心配事もまた、人生というゲームにとっては大事な要素なのだと考えると世界は違って見えてきます。
有名なシャクルトンの求人広告という話があります。
探検隊員を求む。至難の旅。わずかな報酬。
極寒。暗黒の長い月日。絶えざる危険。
生還の保証なし。成功の暁には名誉と称賛を得る。
アーネスト・シャクルトン
これは1900年にロンドンの新聞に掲載された探検家シャクルトンによる南極探検隊員募集の広告です。
みなさんは応募されますか。
最近の金銭的条件だけにしか興味のない経済人たちは応募しないかもしれませんが、当時のロンドン人のあいだでは大騒ぎになったそうです。
考えを変えれば、アベノミクスで雇用を増やしてもらわなくても、仕事は山のようにあります。
あれ、いつの間にか、話が全く変わってしまっていますね。
すみません。
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