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2013/04/15

■ペイフォワードと恩送り、そして未来への配慮

このブログでも書いたことがありますが、レネ・ダイグナンさんの制作した映画「自殺者1万人を救う戦い」のDVDをペイフォワード方式で広げていこうと呼びかけたところ、今日までにほぼ100枚のDVDが私から出て行きました。
その先にはそれを上回る数のDVDが生まれ、動いているようです。
なかには100枚、複製してくれて配布してくれた人もいます。

ペイフォワードは10年ほど前の映画で知った言葉ですが、うれしい気持ちを先に送っていくということです
DVDを送らせてもらった3人の人から、日本にも「恩送り」という言葉や文化があると教わりました。

ウィキペディアで調べてみると、次のような説明がありました。

恩送り(おんおくり)とは、誰かから受けた恩を、直接その人に返すのではなく、別の人に送ること。
「恩送り」では、親切をしてくれた当人へ親切を返そうにも適切な方法が無い場合に第三者へと恩を「送る」。恩を返す相手が限定されず、比較的短い期間で善意を具体化することができるとしている。 社会に正の連鎖が起きる。
江戸時代では恩送りは普通にあったと井上ひさしは述べている。
ペイフォワードは日本の文化でもあったのです。
そう思いながら、どこかでこういう文章を読んだことがあるなと気がつきました。
いろいろと探していましたが、見つかりませんでした。
ところが昨日、やっと思い出しました。
ドイツの哲学者イマヌエル・カントでした。
彼は「世界市民という視点からみた普遍史の理念」という論文で次のようなことを書いています。
奇妙なことがある。その一つは、一つの世代は苦労の多い仕事に従事し、次の世代のための土台を用意し、次の世代はこの土台の上に、自然の意図する建物を構築できるかのようにみえるのである。もう一つは、この建物に住むという幸福を享受するのは、ずっと後の世代になってからであり、それまでの幾世代もの人々は、その意図はないとしても、この計画を進めるために働き続けるだけで、自分たちが準備した幸福のかけらも享受できないことである。これは不可解な謎かもしれないが、次のことを考えると、必然的なものであることが理解できよう。すなわち動物の一つの種である人類が理性をそなえていることによって、個々の成員としての人々はだれもが死ぬが、一つの種としての人類そのものは不滅であり、みずからの素質を完全に発達させる域にまで到達することができるのである。
この本を思い出したのは、1年前に読んだ大澤真幸さんの「夢よりも深い覚醒へ」を昨日、再読したおかげです。
大澤さんはカントを引きながら、こう書いています。
人は、しばしば、その成果として得られる幸福を享受できるのがずっと後世の世代であって、自分自身ではないことがわかっているような骨の折れる仕事にも、営々と従事する。これは不思議なことではないか
我々は、過去の世代に対する負債があるのだが、それを過去の世代に返さずに済んでいる。その過去の世代への負債の感覚が、「死者の遺志を受け継がなければ」という義務感のベースになっている。
そのために、人間には、未来の他者へと配慮を向けてしまう本来的な性向があるのではないか、と大澤さんは言うのです。

ペイフォワードは、そもそも人間の本性の一つだったのです。
そこに戻れば、みんなが気持ちよく暮らせる社会に向かうでしょう。
残念ながら、どこかでその「正の連鎖」が反転させられてしまっているような気がしますが、まずは私一人からでも本性に沿った生き方をしようと思います。
きっとますます生きやすくなっていくでしょう。
みなさんもご一緒しませんか

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