■資本の力に対抗するには土俵を変えないといけません
TPPのISD条項は企業に国家並みの権力を与えるということで、米国でも問題になりだしているそうです。
EUでも大きな問題になり出しているようです。
しかし、考えてみれば、資本と国家との戦いはもう勝負はついています。
資本の勝ちです。
それはそうでしょう。
資本にとって、いまや国家は邪魔をする存在ではなく、使い込む存在になっているように思います。
なぜなら国家もまた「経済的存在」になってしまっているからです。
経済的存在としては、国家の枠にとどまらず、しかも純粋に金銭的思考だけをすればいい資本が有利なのは言うまでもありません。
企業はすでに資本の軍門に下ってしまっています。
従業員よりも資本を優先する存在になってしまっているのです。
国家もそうなりつつあります。
立ち行かなくなった大企業に公的資金が流入されることに象徴されるように、国家は、資本に都合よく使われてしまっています。
このままでは、人間もまた資本に使われる単なる労働力や消費力になっていくでしょう。
それでも幸せな生活は送れるかもしれません。
そうした「生き方」にも誰かが「生きる意味」を与えてくれるでしょう。
しかし、私はそういう生き方は避けたいです。
資本に対抗するには、土俵を変えなければいけません。
つまり「金銭」を捨てなければいけません。
経済成長ではなく、生命としての成長を目指さなければいけません。
私は、そうありたいと思っています。
昨日、マイナス利子率を書きましたが、お金を捨てるということは、お金が減価するようにしないといけません。
お金が価値を創造するなどということを拒否しなければいけません。
お金が創造した価値など、ありがたがってはいけません。
私は、そうありたいと思っています。
資本に負けない土俵とはなんでしょうか。
それは、お金にはできないが人間にはできることが中心になる場です。
「お金にはできないが人間にはできること」。
そういうことはたくさんあります。
お金で買えないものはないといったホリエモンも少し考えが変わったようですが、お金で買えないものは山のようにあります。
生き物にしかできないことを大切にして生きる人が増えていけば、資本などこわくない社会が育っていくように思います。
国家のあり方も変わっていくように思います。
そして、資本主義とは違った経済が開けてくるような気がします。
社会全体がそうなるには、100年ほどの時間が必要でしょうが、個人の生活であれば、そう難しい話ではないかもしれません。
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