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2013/04/01

■社会の痛みが腰痛を起こしている?

最近、なぜか週に2~3回、近くの整体院に通っています。
お試し券なるものをもらって立ち寄ったのがきっかけで、もう3か月以上、通っています。
私は腰痛もなければ、脚も痛くありません、
どこといって悪いところはないのですが、腰椎と脊椎を矯正したほうが良いといわれて、まあ明るい感じの整体院なので通っているわけです。
そろそろ飽きてきましたが、若い整体師が毎回次はいつ来ますかというので、その言葉に乗せられてしまって、今もって通い続けているわけです。

まあそれはいいのですが、そこではまず腰を10分ほど遠赤外線で温めます。
その間、他の人と整体師の話を聞くでもなく聞いているのですが、腰痛の人が多いのに驚かされています。
それも比較的若い人も多いのです。
腰痛の経験のない私にとっては、その痛みの辛さはわかりませんが、かなり大変そうです。
それにしても、腰痛の人がこんなに多いとは思ってもいませんでした。

そんなことが刺激になって、「痛み」という問題に興味を持ち出しました。
身体的な痛みと社会的な痛みとがつながっているという話を何かで読んだ記憶があったからです。
そのなかで、とても面白い本に出会いました。
大阪大学大学院准教授の篠原雅武さんの「全-生活論」です。

篠原さんは、私たちは世界が壊れるかもしれないことを、「痛み」という感覚を通じて予見しているのではないかと言うのです。
つまり、「痛み」が生じるのは、私たちの生きている状況が脆くて、壊れやすくなっているからで、壊れそうなところに「生じる」のが「痛み」なのだというわけです。
そういう認識に基づいて、篠原さんは、「痛み」を起点にして、生活や社会を問い直していきます。
「この世に生きていることの痛みは、生活という組織体の綻び、解体から、生じるものである」から、綻び、壊れつつある生活を作り直し、「痛み」の生じることのないものへと仕立て直さないかぎり、痛みは決して軽減されず、むしろ、いっそう深刻になる、と考えるのです。
とても共感できます。
そして、腰痛に悩む人が多い理由がよくわかります。
腰痛が広がっているのは、実は社会が壊れているからだと考えると、奇妙に納得できてしまいます。

ちなみに、この考えは、私がこの10年以上、取り組んできた活動と見事に重なります。
人を不幸にする問題を個別に捉えるのではなく、生活全体のつながりのなかで捉え直していかなければいけないというのが、私の取り組んでいる「大きな福祉」の考え方です。
社会のあり方を、言い換えれば私たちの生き方を変えない限り、自殺も認知症も腰痛もなくなってはいかないだろうというのが、私の考えです。
逆に言えば、私のような生き方をしていれば、認知症にもならず自殺にも巻き込まれず、腰痛も起きないというわけです。

とはいうものの、最近、私は腰痛ではありませんが、体調も気力も不調が続いています。
これもやはり、社会の壊れのせいなのでしょうか。
たしかに昨今は、私も居心地の悪さや生き難さを感ずることが増えています。
私自身の生き方に自己満足していてはいけませんね。
さて、どうしたらいいでしょうか。
人並みに腰痛になったほうが、楽かもしれません。
もう少し整体院に通ったほうがよさそうですね。

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