■節子への挽歌2081:62歳は早すぎました
節子
節子もよく知っているKさんから電話がありました。
いつもとは違う、沈んだ声でした。
数日前に母上が亡くなったのだそうです。
105歳で、前日まで話をされていたそうです。
普通考えれば、幸せな大往生です。
しかし、それはあくまでも、一般論であって、当事者は全く違うのです。
こういう電話に、なんと応えるべきか。
節子を見送って以来、私は応えられなくなっています。
気を落さずに、とか、ご自分も大事に、とか、月並みの言葉は出てきません。
ただただ、話を聞くことしかできません。
20分ほど話して、Kさんの声も明るくなってきました。
少しホッとしました。
佐藤さんに話して、少し元気になったと言ってくれました。
またいつでも電話してくださいと伝えました。
105歳の母親でさえ、辛いのです。
62歳の妻を見送った時に、その思いを伝える人がいなかったことを思い出しました。
私の体験では、その悲しみや辛さを話す人を見つけるのは、そう簡単ではありません。
というよりも、そんなことさえ、思いつきもしませんでした。
誰かに話せば話すほどに、心が乱れたのです。
どんな慰めも、違和感を持ちました。
心が、きっとおかしくなっていたのです。
Kさんと話していて、節子を見送った時のことを、また思い出しそうになりました。
何とか封じ込めましたが、思い出した途端に、また時間が戻りそうな気がします。
いまは、どうも心が弱くなっているからです。
Kさんのお母様のご冥福を祈って、節子の前で手を合わせました。
節子は62歳でした。
長寿の人の話を聞くと、改めて悲しさが募ります。
位牌に書かれた62歳の文字が、心に突き刺さってきます。
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