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2013年5月

2013/05/31

■作られたショックドクトリン

私は災害に対しては、ほぼ無防備な生き方をしてきています。
性格が天邪鬼のせいか、最近特にその傾向が強まっています。

連日、新聞やテレビで、南海トラフ巨大地震の被害想定が報道されています。
最近の報道をみるたびに、しらけてきます。
なにやらショックドクトリンを思わせるからです。いささか不謹慎のそしりを覚悟しなければいけませんが、これは一種の「作られたショックドクトリン」のような気がします。
それに、もし南海トラフ地震の危険性がわずかでもあるのであれば、原発再稼動などと言う話はありえないはずです。
まずは対象地域の原発を安全に廃炉する準備にとりかかるべきです。
それもせずに、恐怖をあおっても、その後にある強欲な人たちの顔が浮かんでくるだけです。

万一に備えて、家庭用備蓄を「1週間分以上」などという話も笑止千万です。
ともかくまた「無駄をあおる政策」がどんどん出てきています。
孫への教育資金相続などは、あまりにも露骨です。
日本はすでにある種のバブルになっています。
ソドムとゴモラを思い出します。
南海大地震が起こったとしても、仕方がないような気もします。
私たちの生き方が間違っているのですから。

連日の報道を聞いていて、どこかで何かが間違っているように思えてなりません。
なにがいま大切なのかを、もっと考えて生きようと思います。
少なくとも、私には南海トラフよりも原発が関心事です。

また一度、湯島で原発をテーマにしたサロンを開催したいと思います。

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2013/05/30

■節子への挽歌2095:馬鹿仲間

節子
節子は面識がないのですが、節子が逝ってしまって、しばらくして、任侠の世界に長らくいた人と出会いました。
それも半端でなく、しっかりとつとめあげてきた人です。
その人のことは以前書いたような気がしますが、一応、本名ではなく、daxと呼んでおきましょう。
私が苦境に立ったら、助けに来てくれるか、蹴とばしに来てくれるか、いずれかでしょうが、最近、電話がかかってきませんでした。

そのdaxから久しぶりに電話がかかってきました。
佐藤さんとは関係ない話だけど、愚痴を聴いてほしいというのです。
任侠の世界での愚痴であれば、少し魅力がありますが、いまはもう退屈なかたぎの世界の人ですので、どうせ退屈な話でしょうから、あんまり聴きたくはなかったので、またにしてよ、と言ったのですが、久しぶりなので、なんとなく話しこんでしまいました。
愚痴の内容はどうでもいいのですが、最後に、こんなことをわかってもらえるのは佐藤さんくらいだからと言われてしまいました。
どういう意味かと思ったら、最近はオレたちのような馬鹿は絶滅危惧種になったなと言うのです。
オレたち? つまり、私も彼と同じ馬鹿人間というわけです。
馬鹿から馬鹿と言われるほど馬鹿げたことはありませんが、daxと一緒の馬鹿にされるのは、いささかの抵抗はあります。
せめて佐藤さんはオレよりも馬鹿だからなと言ってほしかったです。
彼も任侠の世界から離れて10年近く経つので、やきがまわってきたのかもしれません。
先輩(私のほうが年上です)は立てなければいけません。

夕方、娘からdaxから電話があって、お父さんは今日、誕生日なので電話したといっていたというのです。
ちなみに、娘たちも時々、daxからの長電話を受けているのです。
娘によれば、いまdaxはとても忙しそうです。
そのなかを電話してきてくれたわけです。
娘に、誕生日おめでとうなどではなく、さりげなく声をかけるのが、オレの流儀だといったそうです。
そうか、あれは誕生日祝いの電話だったのかと気づきました。
しかし、言わずもがなの一言で、まあ、このあたりがまだ修業が足りません。

電話よりも、宮本珈琲の珈琲とケーキを送って来いと言いたいところですが、まあそんなものより、馬鹿仲間でよかったなというdaxの気持ちのほうがうれしいです。

daxは、この挽歌編は多分読んでいないでしょうが、読まれると少し困りますね。
何しろ彼は、私と同じ馬鹿なので、ほんとに珈琲が送られてくるかもしれません。
以前そういえば、山のような餡子が送られてきたことがあります。
その量がよくわからずに、馬鹿な私はうっかりと受け取ってしまったのです。
その年は、お汁粉ばかり飲んでいました。
馬鹿同士が付き合うと、いいことはありません。
困ったものです。

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■節子への挽歌2094:誕生日嫌い

節子
また誕生日が来ました。
フェイスブックでは、何やらたくさんの人たちが「お誕生日おめでとう」と書き込んでくれています。
フェイスブックには、誕生日が出てくるので、誕生日おめでとうの書き込みが広がっているのです。
私も、ついつい毎日のように、誕生日おめでとうの書き込みを書いてしまいます。

しかし、です。
いつも思うのですが、なんで誕生日はおめでたいのでしょうか。
昔から私自身、それが不思議でした。
こういう「常識的に当然なこと」を「なぜかな」と思うのが、私の性癖なのですが、節子はそうした疑問を何度も聞かされています。
よくまあ付き合ってくれたものです。
節子が、時には呆れながら、それでも付き合ってくれたおかげで、私は今ない、そうした疑問を問い続ける生き方ができています。
娘たちは、最近相手にしてくれませんが。

私も子どもの頃は、お誕生会などいって友だちに祝ってもらったりしましたし、娘たちの誕生日はそれなりに祝いました。
それは、1年間、無事に育ってくれてよかったという、喜びとお祝いの気持ちがあったからです。
しかし、大人になると、誕生日? だからどうした、という気分なのです。
私だけのことでしょうか。

節子は、まったく違いました。
次の誕生日を迎えられるだろうか、というのが、切実な思いだったからです。
それを一緒に体験しましたから、誕生日を迎える喜びもわからないことはありません。
しかし、今の私には誕生日を祝う気持ちは皆無です。
節子の思いが、62回目を境に断ち切られてしまったからです。
そのせいで、誕生日嫌いになったのかもしれません。
いや、間違いなくそうでしょう。
書いていて、やっとわかりました。
「誕生日」が嫌いな理由が。

フェイスブックでは、誕生日のケーキや晩餐の写真がよく書き込まれます。
正直、実にうらやましい。
ケーキやご馳走がうらやましいのではなく、祝いあう伴侶がいることがうらやましい。
娘たちは祝ってくれますが、やはり伴侶がいなければ、ただただ永らえているだけの悲しさから解き放たれないのです。
だから祝う気にはなれないのです。

お誕生日おめでとう、と言ってきてくれた人たちには、感謝の返事を書きますが、何か少し白々しさも感じます。
かなりひねくれているわけです。

節子がいた頃、なぜもっときちんと誕生日を祝い合わなかったのだろうかとも思います。
私は、そういうことがなかなかできない人間だったのです。
「なぜ誕生日をいわなければいけないの」と節子に言っていたような気もします。
いまとなっては、悔やまれます。
常識には素直に従っていたほうがいいのかもしれません。

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2013/05/29

■節子への挽歌2093:存在するものには、必ず意味がある

節子
箱根から下りる道すがら、一人の老人が傘を持って、ただ歩いていました。
とても不遜な話ですが、ふと、この人はなんで歩いているのだろうと思いました。
歩いているのが不審だったわけではありません。
誤解されそうですが、正確には「なんで生きているのだろうか」と感じたのです。
およそ「生気」が感じられないのです。
私自身に重ねて考えていたことは間違いありません。
おそらく外部から見たら、私もあんな感じで歩いていたのだろうなと思ったのです。
同時に、しかしあの人がもし死んでしまったら世界が変わり、私の人生も変わるのだろうかとも思いました。
挽歌を書いていると、人は哲学的になるものです。

大きな「いのち」を生きていると言うのが、私の最近の実感です。
私のいのちは、私のものであって、私のものではない。
この考えが、最近、奇妙に実感できるのです。
「大きないのち」の一部である私の命が消えたら、「大きないのち」が変化するのは当然であり、だとしたらその一部である、すべての人の人生もまた変わると考えていいでしょう。

「人は人生の意味を問うのではなく、自分が人生に問われていることに応えなくてはいけない」とアウシュビッツを生き抜いたフランクルは言いました。
問われているのは、「大きないのちを生きているか」ということかもしれません。
人は風土と共に生きていると喝破した「銃・病原菌・鐵」の著者の進化生物学者のジャレド・ダイアモンドは、人生というのは、岩や炭素原子と同じように、ただそこに存在するだけのことであって、「人生の意味」というものを問うことには何の意味も見出せない、と言っています。
人生は意味というものは持ち合わせていない、というわけです。
いささかムッとしますが、意味を問うなどという小賢しさとは無縁なのが人生かもしれません。

しかし、生きることには深い意味がある。
そのお年寄りの姿を追いながら、なぜか強くそう思いました。
そもそも「生きる意味」を問う主体は、個人ではないのです。
「大きないのち」なのです。
小賢しいのは、むしろジャレド・ダイアモンドかもしれません。
存在するものに、たとえば岩や炭素原子に、意味がないなどとはいえないでしょう。
存在するものには、必ず意味がある。

それにしても、あの人は、なぜ歩いていたのでしょうか。
むかし湯河原で会った鈴木さんのことを思い出しました。いやもしかしたら、あれは鈴木さんだったかもしれません。
そういえば歩き方が似ていました。
私が、その人を見たのは、バスの中からでしたが、私の視野に彼が入ってきたのにも、そしてちょうどその時、バスが信号で止まったのも、たぶん意味があるのでしょう。

世の中には、意味の読み取れないことが多すぎます。

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■節子への挽歌2092:恩賜公園に来ています

節子
箱根の恩賜公園に来ています。
時間が早いのでだれもいません。
小湧園の箱根ホテルで合宿をしていたのですが、急に富士山をみたくなって、ホテルを抜け出して箱根に上がって来たのですが、残念ながら富士山は見えませんでした。
それでもせっかくなので、節子が好きだった恩賜公園に来てみたのです。

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少し休んで戻るつもりですが、ウグイスや鳥の声が賑やかですが、人の気配はありません。
花もきれいです。
手入れもよく行き届いていて、ここはほんとに居心地がいいです。
いろんな思い出もつまっているところです。

雷がなりだしました。
そろそろ帰りましょう。

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2013/05/28

■原発の発明は、その事故の発明でもあった

フランスの思想家ポール・ヴィリリオは「原発という実体の発明は、その事故の発明でもあった」と言っています。
効用と危険性は、常にコインの両面ですから、これは間違いのない事実ですが、私たちはほとんどの場合、効用に目を奪われて、その危険性は忘れがちです。
ひとたび事故が起こると、効用のほとんどが吹っ飛ぶほどの惨事になることもありますが、にもかかわらずそれでも効用に執着する人間の習性を、福島原発事故は教えてくれました。

平和の議論において、二重結果論というのがあります。
ある行為によって生み出される悪い結果が、同時に有無だされる善い結果の意図せざる副産物ならば、そうした悪い結果を生み出す行為も免責されうるという論理です。
シリアやヨルダンにおいて展開されている市民の殺害は、そうした論理によって、免責されるというのです。
いわゆるコラテラルダメッジは、微妙ですが、この発想につながっているのかもしれません。
つまり、「意図せざる副産物」をどうとらえるかで、議論は大きく変わるのです。
この言葉が、微妙なのです。

話がそれてしまいましたが、問題は原発に象徴される科学技術の発展をどう捉えるかです。
効用を基本に考えるか、それがもたらすかもしれない危険性を基本に考えるか。
いまそれが問われています。
原発の効用がいかに大きいとも、それが伴う事故の大きさをしっかりと考えなければいけません。
目先の仕事に固執して、自らの生命をおろそかにすることは、避けたいと思いますが、多くの人はそれができずにいます。
その分野で、科学技術者のできることはたくさんありますが、そういう意識で動いている人はあまりいないように思います。

起点を変えなければいけません。
原発の効用の発見ではなく、原発という凶器を発見したと考えれば、言動は変わるはずです。
つまり事故は副次的なものではなく、そこにこそ本質があるのです。

シリアやヨルダンで行われていることも同じです。
この発想を広げていくと、世界はかなり様相を変えて見えてきます。

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■節子への挽歌2091:ユリの香り

節子
先日買ってきたオリエンタルリリーの大輪はまだがんばって香りを部屋中に振りまいています。
この香りが好きなのは、節子よりも私かもしれません。
ユリの香りは、虫採りに夢中になって飛び回っていた子どもの頃を思い出させる香りなのです。
しかし、その香りが、なぜか節子の記憶ともつながっています。
もちろん子ども時代には、全く別の世界に住んでいたのに、なぜでしょうか。

大日寺で、庄崎さんが彼岸の節子の話をしてくれました。白い花に囲まれて、その花の手入れをしていると教えてくれたのです。
そのイメージは、すぐに浮かびました。
庭や畑で花の手入れをしている節子の姿は、いまもよく思い出します。
旅先で、きれいな庭があると見せてもらうなどという体験もありました。
その時にもらってきた「ばんまつり」は、今も玄関で花を咲かせています。節子と草花とはいつもつながっているのです。

私たちの共通点は、もしかしたら自然とのつながりだったのかもしれません。
そのせいで、ユリの香りも節子につながるのでしょうか。
香りは、いつになっても忘れないものです。

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2013/05/27

■節子への挽歌2090:忘却力の欠如

節子
季節の変わり目は何を着たらいいか迷います。
もしかしたら去年、私は生きていなかったのではないかと思うほど、着るものがありません。
去年の今頃は何を着ていたのでしょうか。
それで、ユカに、もしかしたら去年はまだ私は存在しなかったのではないかと質問したら、いやそのことは誰も体験することだと言われてしまいました。
季節の変わり目は、誰もが何を来たらいいか、悩むのだそうです。

人の記憶はいい加減なものです。
昨年の事が思い出せないばかりではなく、最近は、つい1週間前のことさえ思い出せないことが増えてきました。
しかし、これは私だけの話ではありません。
たとえば、2年前の原発事故のことも、今や多くの人は忘れてしまったようです。
日本はまたもや原発推進国家になってしまいました。
私は原発反対ですが、それは2年前の事故のせいではありません。
1970年代に東海村の原発を見せてもらって以来の反対派です。
ですから原発反対ではありますが、2年前の深刻な事故の記憶はかなり弱まっています。
ほんとうに、人はいい加減なものです。

たぶんそうしないと生きていけないからでしょう。
忘れるということがあればこそ、人は生きながらえていけます。
原発事故では難しいと言うのであれば、大津波で考えてみましょう。
100年に1回の津波のことを忘れたほうが、たぶん生きやすいはずです。
忘れることは、能力でもあるのでしょう。
記憶力に対して、忘却力とでも言っていいでしょうか。
記憶力と忘却力は、対立するものではありません。

節子への思いを忘れることができれば、もっと生きやすくなるかもしれません。
そんな気もしますが、そうではないかもしれません。
というのは、大津波のことを忘れて生きれば、生きやすくはなりますが、それは同時に、大きな危険に無防備になるということだからです。
津波や原発事故と、伴侶との別れは、あんまり関係のない話ではないのかと言われそうですね。
深くつながっているような気がして、書き出したのですが、なんだか私もそんな気がしてきました。
でも、何かどこかでつながっているような気もします。
節子のことになると、なぜか私の忘却力が低下するのです。
いやそうではなくて、実は忘却力によって、新しい節子との物語が創出されているのかもしれません。
つまり思い出すこともまた、忘れることのおかげかもしれないのです。

そういえば、昔の有名なラジオドラマ「君の名は」は、「忘却とは忘れ去ることなり。 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」という、有名なナレーションで始まっていました。
忘却とは、忘れられないということなのかもしれません。
なんだか話がこんがらがってきましたので、やめましょう。

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■チェルノブイリとフクシマ

福島原発事故について、国連科学委員会が報告書案をまとめたと今朝の新聞に出ていました。
朝日新聞によれば、「集団でみた日本国民の総被曝(ひばく)線量(集団線量)は、甲状腺がチェルノブイリ原発事故の約30分の1、全身は約10分の1と推計した」とあります。
健康影響は「(6千人の甲状腺がんが出た)チェルノブイリとは異なる」とも書いてありました。

チェルノブイリとフクシマの事故は、どちらが大きいのか、私にはよくわかりませんが、事故後の安全対策や政府による管理は、チェルノブイリよりもフクシマのほうがしっかりしているような気がしていました。
ソ連やロシアの原発管理への不信感が、頭のどこかに強くあります。
ところが、最近、宗像良保さんが自費出版した「フクシマが見たチェルノブイリ26年目の真実」を読んで唖然としました。
以下のようなことが書かれていたのです。

ウクライナ法では、移住義務ゾーンが毎時0.57マイクロシーベルト。移住権利ゾーン(自主避難地域で、これも政府が避難先の住居を提供)が毎時0.11マイクロシーベルト。
2013年1月1日の郡山市は毎時0.55マイクロシーベルト、福島市は毎時0.63マイクロシーベルトでした。ウクライナ法を適用すれば福島市は強制避難地域、郡山市は自主避難地域です。そこにいまだに多くの市民が暮らしているのです。
ウクライナのほうが、日本よりも、安全基準が厳しく、しかも政府の対応もしっかりとしているのです。
先入観でしかチェルノブイリを考えていなかった自分を反省しました。

この本は、2012年9月に宗像さんが仲間たちと一緒に、26年前に原発事故を起こしたチェルノブイリに行って、現地を見て、現地の人たちから聞いてきたことをまとめたものです。
宗像さんは、こう書いています。

いくつもの衝撃的な事実を目の当たりにしました。ファインダーを通して切り取った写真には、悲しい真実が見えます。
原発事故から26年がたつ現在でも、チェルノブイリの特別区域は「ゾーン」と呼ばれ、有刺鉄線のフェンスで区切られ、立ち入り禁止となっています。加えて原発から北東350kmには約100カ所のホットスポットが点在、この高濃度汚染地域では農業や畜産業が禁止されています。
写真からたくさんのメッセージが聞えてきます。
私だけでなく、多くの人に、そのメッセージを伝えたいと思いました。

500円で、宗像さんが自分で販売しています。
私も数冊入手しました。
関心を持った方は、ご連絡ください。

今日はちょっとばたばたしているので、落ち着いたらまた入手方法などを書き込みます。

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2013/05/26

■節子への挽歌2089:楽あれば苦

節子
今日も畑仕事をしました。
昨年よりはうまくいっていますが、やはりかなり大変です。
時々、娘たちが手伝ってくれますが、私一人の作業が多いです。
しかし、なかなか花壇はできません。
タネを蒔きましたが、芽があまり出てきません。

それにしても、節子はよくまあ、花壇と畑をつくったものです。
何しろ宅地ですから、いま以上に大変だったはずです。
そこを廃物利用でロックガーデンもどきにし、花を植えたのですから。
生い茂った草の中から、柵や置石がでてくることがありますが、節子の工夫のあとが伝わってきます。

人には得手不得手があります。
野菜作りや花壇作りは節子の分野でした。
その分野では、私は単なる手伝い人でしかありませんでした。
私たちは、かなり役割分担がうまくいった組み合わせだったと思います。

田中美津さんの「いのちの女たちへ」という本を読みました。
田中さんといえば、1970年代のウーマンリブ運動の中心にいた一人です。
かなり強烈な本ですが、最近読んで刺激を受けた「全生活 転形期の公共空間」という本に引用されていた田中さんの言葉に感動して、田中さん自らが書いた本を読みたくなったのです。
いまこそ田中さんのメッセージは意味を持っていると思ったからです。

田中さんは、「女は母として、妻として生きよと強いる」社会に異議申し立てをしたのですが、それは同時に、男たちの解放に繋がるメッセージでした。
そのメッセージには共感できますが、田中さんの本を読んでいて、私たちの夫婦関係は、いささか例外なのではないかという気が少ししてきました。
私たちは、ジグゾーパズルの隣り合ったピースのように、違和感なくより添えた関係だったからです。
しかし、この本を読んで、もしかしたら、節子は私に無理やりあわせていたのではないかという疑念が浮かんできました。
全く違った環境で育った2人が、そんなにしっくり行くはずはないのではないか。

私たちは、いずれも自己主張はそれなりに強かったのですが、いわゆる昇進志向はお互いに全くありませんでした。
「男は常に強くあらねばならない己れに合わせて、より強く、より早く走ることを己れに課していく」と、田中さんは書いていますが、私にはそういう意識は皆無でした。
節子もまた、私にそんなことは全く期待もしていませんでした。
会社を辞めることを節子に話した時に、それを実感しました。
節子は節子で、その時に私の生き方を確信してくれたのだろうと思います。
私たちは、お互いを解放し、自らもまた解放した生き方をしていたと思います。
田中さんの本を読んで、刺激は受けましたが、田中さんたちの生き方が、とても古めかしく、自由でないなとも感じました。
私たちは、たぶん近代の先のポストモダンの、その先を生きていたような気がします。

私たちは、ただただ一緒にいるだけで満足だったのです。
改めて、節子との人生は良い人生だったと思います。
その償いを、いましているような気がします。
楽あれば苦ありは、避けがたい自然の理ですから。

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2013/05/25

■節子への挽歌2088:パートナーがいるということは人生を明るくします

節子
反省して、今日はもう一つ書きます。
反省と共に、節子への繰言でもあるのですが。

タイトルの「パートナーがいるということは人生を明るくします」というのは、インタビューに応えて、ジェームズ・ワトソンが話した言葉です。
ジェームズ・ワトソンとは、DNAの二重螺旋構造に気づいたワトソンです。
そのインタビューの内容にとって、この発言はいわばジョークのような位置づけの発言なのですが、私には一番心に響いた言葉でした。
DNAの二重螺旋構造の発見者は「ワトソン=クリック」と言われるように、ワトソンの研究のパートナーはフランシス・クリックです。
彼らは、まさにDNAと同じように、二重螺旋関係のような存在だったのでしょう。
ですから、この言葉のパートナーはクリックのことかもしれませんが、もしかしたら奥さんのことだったかもしれません。
ワトソンは、それとは別のインタビューで、「科学者になってからも含めて、私がやってきたことは全て、きれいな女性に会いたいという一心からです」と話していたこともあります。
パートナーは、一人であるとは限りません。
さまざまな局面で、人はパートナーを見つけることができるからです。

私の場合は、しかし、どうもそうではなかったのです。
あまりに節子とのパートナーシップが強かったためか、考えてみると、それらしき存在が見当たらないのです。
節子に、いささかのめりこみすぎてしまっていたようです。
だからそこから抜け出られない。
生前、節子が一番心配していた通りになってしまっています。

人生のパートナーだった節子がいなくなったいま、私の人生は明るさを失いました。
明るくない人生は、時に道に迷い、時に動けなくなる。
早々とパートナーの責任を果たさずに旅立ってしまった節子には、言いたいことが山ほどあります。
時々、挽歌が書けなくなるのも、もともとは節子のせいなのです。

明るくない人生を歩き続けるのは、それなりに疲れるものなのです。
せめて気持ちだけは明るくしていたいと思います。

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■節子への挽歌2087:「私はこんなに生きたいと思っているのに、人生を大事にしない人がいるなんて」

節子
またしばらく挽歌をご無沙汰してしまいました。
ちょっと気を抜くとすぐ溜まってしまいます。
最近は時間にまた追われがちです。

時間に追われるということは、ある意味で暇だからです。
というか、生活に目標やシナリオがなく、ただ時間に流されているからです。
つまり時間をきちんと管理する必要性がないので、結果的に時間に追われてしまうのです。
だから「暇なのに忙しい」というような状況になってしまっているわけです。
こういう状況に陥るとなかなか抜け出せません。
いまや私は、誰にも遠慮することなく、自由気ままに生きていても、だれも注意しないからです。
それに現世の生にはさして未練もなく、魅力もありませんから、まあどうなっても気にすることもないわけです。
正直のところ、心のどこかに、人生を投げ出した気持ちがあるようにさえ思います。
実に困ったものです。
節子が知ったら、どういうでしょうか。

「私はこんなに生きたいと思っているのに、人生を大事にしない人がいるなんて」。
節子の言葉です。
がんの転移が見つかり、再入院して戻ってきてからの節子の言葉です。
私の知人が、自殺をしたいとメールしてきたことを知っての言葉でした。
いま、その言葉を急に思い出しました。
まるで彼岸から節子が送り込んできたように、いまハッと思い出しました。
いや節子が怒っているのかもしれませんね。

困ったものだなどと言っていないで、人生を立て直さないといけません。
節子に怒られないように、もう少し人生を大事にしないといけません。
そうしましょう。はい。

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2013/05/23

■あなたの帽子はかぶり心地がいいですか

福井県の敦賀原子力発電所について、国の原子力規制委員会は「2号機の真下を走る断層は活断層である」という専門家会議が取りまとめた評価結果を了承しました。
しかし、事業主体である日本原子力発電は、それに異を唱えています。
原子力規制委員会の判断に異を唱えるということの意味も、いろいろと示唆することは多く、その是非については私自身にわかには評価し難いですが、ひとつ言えることは、統治秩序を維持する権威の構造が揺らいでいることです。
そしてその背景には、原発を許容し、積極的に推進しようとする国家政府の意向が大きく影響していることもうかがえます。
いやもしかしたら原子力規制委員会すらも疑いたくなります。
担当委員の島崎さんと委員長の田中さんとの話し方には、大きな温度差を感じます。

まあそれはそれとして、この報道を見ていて、思い出したのが、アメリカのチャレンジャー号の悲劇です。
1986年1月、スペースシャトル「チャレンジャー号」は打ち上げから73秒後に、地上でみんなが見ている前で爆発し、7名の乗組員が犠牲になりました。
これに関してはさまざまな教訓が語られていますが、実は打ち上げ前日に技術者たちは問題を発見していたのです。
技術を提供したチオコール社の主任技師のロジャー・ボイジョリーは、打ち上げ延期を主張しました。
しかし、NASAとの新規契約を強く望んでいたメイソン副社長は、技術陣の責任者であるロバート・ルンドに、「技術者の帽子をぬいで、経営者の帽子をかぶりたまえ」と言ったのです。
そして、帽子をかぶり替えてしまったルンドの見ている前で、チャレンジャー号は爆発してしまったのです。

日本原電の経営者たちには、「経営者の帽子をぬいで、生活者の帽子をかぶりたまえ」といいたいです。
いや、彼らだけではありません。
多くの人たちに、「自分の帽子を一度見直してみたらどうでしょうか」とも言いたいです。
かぶり心地が悪かったら、自分に合った帽子を探すのがいいです。

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2013/05/19

■橋下大阪市長の戦う姿勢に共感を覚えてしまうのはなぜでしょうか

最近物議をわかしている大阪市長の橋下さんの発言は、どう考えても、賛成はできません。
とんでもない薄汚れた話だと思っています。
本人も言っているように、四面楚歌状況になってしまってもおかしくないでしょう。
そもそも橋下さんの政治思想は、私とは正反対のものです。

にもかかわらず、です。
テレビで話している橋下さんの姿を見ていると、なぜか親しみを感じます。
たとえば、記者会見で、そんなこと言うなら、もう会見はやめますと、駄々っ子のような発言をする橋下さんは、私の好みです。
マスコミのレベルが低いと言い切るのも拍手を送りたいです。
本当に日本のマスコミのレベルは低いし、記者の多くは根性も誠意もありません。
まあ橋下さんにとっては私たち日本人はみんな馬鹿に見えるのかもしれませんが、それもかなり同意したい気もします。
もちろん私も含めてです。
彼は、私を馬鹿呼ばわりしても許されるほど、がんばっています。

昨日か一昨日でしたか、みのもんたさんの番組で、橋下さんがコメンテーターたちの質問にかなりていねいに応えているのを見ました。
それを聴いていて、やはり橋下さんに理があるなと思いました。
繰り返しますが、橋下さんの考えには私は全く賛成しませんし、呆れてものがいえないほどにレベルの低い考えだと思っています。
にもかかわらず、いわゆる有識者たちとの質疑を聞いていると、なぜか橋下さんのほうに共感したくなるのです。
民主党の長妻議員もその一人でしたが、あの冷静で理にかなっている長妻さんでさえ、橋下さんとは相手にさえならないほどでした。

そのやりとりを聴いていて、橋下さんが好きになりそうです。
私には、薄汚く無知な知識と思想しかないように見える橋下さんが、輝いて見えるのはなぜでしょうか。

それにしても、政治思想や価値観が私とは正反対の小沢さんや橋下さんに、親近感と期待感を持ってしまうのはなぜでしょうか。
実に困ったものです。

ちなみに、こうもみんなからたたかれてしまうと、橋下さんを応援したくなりますね。
彼が誠実に生きているからでしょうか。

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■節子への挽歌2086:陶器市

節子
娘たちと柏の葉公園の陶器市に行きました。
節子がいる時には付き合わなかったのに、なぜ今回、付き合ったのかわかりませんが、なんとなくついていってしまいました。
柏の葉公園は、節子が手術をし、良く通い続けた、国立がんセンター東病院のすぐ近くです。
節子と一緒に行ったこともありますが、まだ整備途中で、さびれた感じでしたが、今はしっかりと整備され、しかもいろんなイベントも行われ、賑わっていました。
陶器市の後、節子と行ったこともあるバラ園にも立ち寄りましたが、今回はとても見事にさまざまなバラが咲いていました。

節子は、陶器が好きでした。
陶器屋さんにも何回か付き合わされたこともあります。
元気だったら、長崎の三川内にもいつか行きたかったのですが、結局、行かずじまいになってしまいました。

柏の葉公園の陶器市もたくさんのお店が並んでいました。
明らかに、節子が好きだろうなと思う陶器もありました。
私が集めていたフクロウの置物もありました。
節子と一緒だったら、間違いなく私も買ったでしょう。
しかし、なぜか節子がいなくなってからは、そうしたものを買う気が全くと言っていいほど萎えてしまいました。
娘たちは、それぞれに何かを買っていましたが、私は何一つ買いませんでした。

帰りに、節子がよく通っていた岩田園というお花屋さんに寄りました。
娘たちが、わが家の庭の花を買うためです。
この岩田園には、節子とよく来ました。
いまも、年に何回か、節子宛に案内のハガキが届いています。

私は、今年の冬の寒さでだめにしてしまった、ランタナとヤマホロシを購入しました。
オフィスに胡蝶蘭がほしいところですが、まだちょっと高いのでやめました。
代わりに、節子が好きなバラを買いました。
これもちょっと節約して、カサブランカをやめて、オリエンタルリリーにしました。
カサブランカの香りには及びませんが、まあこの香りも好きです。

久しぶりに、節子と一緒に歩いたコースを娘たちとまわってきた感じです。
ゆっくりしたせいで、体調は少し良くなりましたが、どことなくまだ気力が出てきません。
困ったものです。

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2013/05/18

■節子への挽歌2085:大きな悲しみ・大きな喜び

節子
今日もサロンでした。
13人も集まり、昔のオープンサロンの賑わしさを思い出しました。

それはそれとして、今日のテーマは「うつ」でした。
「うつな人ほど成功できる」の本を書いた、浜田幸一さんに来てもらったのです。
浜田さんはご自身の体験を、実に明るく、面白く、豊かに話してくれました。
節子がいたら、たぶん抱腹絶倒したでしょう。
テーマが「うつ」なのに不謹慎だといわれそうですが、重いテーマほど明るく語らなければいけません。

浜田さんは、うつから抜け出る上で、一番効果的だったのは、「うつ友」と話し合うことだったと話してくれました。
最近は、うつに限らず、セルヘルプグループというのが広がっています。
グリーフケアでも、立場を同じくする人たちが、お互いに話し合うことで、呪縛から抜けられることも多いようです。
私も、少しだけ体験しています。

そんな話をしながら、気づいたのですが、人はみんな友だちと思えれば、もっとみんな元気になっていくだろうなということです。
グリーフケアにしても、お互いの悲しみを分かち合えれば、だれもがみんな友だちです。
しかし、ほとんどの人は、自らの悲しみや病いが、自分だけのものだと思いがちです。
この悲しさは同じ体験をした人でなければわかってもらえないと思ってしまうのです。
私もそうでしたし、いまもたぶんにそう思っています。
しかし、人はみんな、大きな悲しさと喜びの上に生きています。
もしそうであれば、だれもがみんな分かち合えるはずなのです。

私はこの10年、「大きな福祉」という考えで、みんなが快く暮らせる社会を目指して、生き方を問い質すようにしています。
しかし、その「大きな福祉」の根底には、「大きな悲しみ」「大きな喜び」があります。
そのことに、ようやく気づきだしました。

どんなに幸せそうに見えても、悲しみからは自由ではなく、どんなに悲しそうに見えても、喜びから自由ではないのです。
どんなにたくさんの友だちがいても、寂しさから自由でなく、どんなに孤独に見えても、縁からは自由になれない。
それに気づけば、だれとでも心を通わせあえるのではないのか。

「大きな悲しみ」「大きな喜び」
そのふたつを、節子から教えてもらったような気がします。

節子
おまえは、やはり私にとっては、先生です。
節子がいた時には、私が節子の先生だったのに、いつのまにか関係が逆転してしまった。
そんな気がします。

今日はとても節子が恋しいです。
なぜでしょうか。
「大きな悲しみ」「大きな喜び」という言葉に気づいたからかもしれません。
節子に話したいことが、山のようにあります。
夢で逢えるといいのですが。

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2013/05/17

■節子への挽歌2084:サロンの前のつかの間

節子
夏のように暑いです。
今週は3つのサロンですが、今日はその中日で、協同組合がテーマです。
ところが、今日になって、なんと5人の方から参加できなくなったとの連絡がありました。
せっかく話題提供を私が敬愛している田中文章さんにお願いしていたのに、少し焦っています。
そういえば、前にもこんなことがあったような気がします。

節子とやっていたオープンサロンは、完全にオープンで、その日のその時になるまで、誰が来るのか、何人来るのか、全く予想もつきませんでした。
節子ががんばって、軽食などを用意していても参加者が少ないこともあれば、席が足りないほどに大勢が来ることもあります。
時間が来るまで、よく節子と、夫婦でお店をやっていたら毎日こんな感じで不安だろうね、と話したものです。
実は、それはたぶん、不安であるとともに、楽しみかもしれません。
人生は変化があったほうが、豊かなものです。

私が特にそうですが、先が見えないことの面白さは、会社を辞めてから身につけました。
若いころは、計画を立てるのが大好きでしたが、会社を辞めてからは、むしろ大きな流れに流されながら、その都度にやってくる状況を楽しむことを覚えました。
節子は、私以上に、そうした生き方が好きでした。
私はどこかに、計画を大事にする習癖が残っていたので、たぶん節子は不満だったでしょう。

ただ、25年間勤めた会社を辞める時には、まったく計画を立てていませんでした。
何しろ何が起こるかわからないので、下手の計画を立てたら、せっかくの新しい生き方ができなくなるからです。
いまから考えると、私も無謀ならば、節子も無謀でした。
3年の間に、人生は一変しました。
それができたのは、節子がどこかで支えてくれたからです。
その人生がよかったかどうかはわかりません。
もしかしたら、そうした生き方が、節子を早く旅立たせたことにつながっていたかもしれません。

もしいま節子が元気だったら、やはり喫茶店を開きたいですね。
そして、今日は本当にお客さんが来るのだろうかと、2人で心配しながら、ゆっくりとコーヒーを飲んでいたかったです。
ビルの合間に沈んでいく太陽をみながら、本当は誰も来なければいいのになと、どこかでお互いに思いながら、サロンにやってくる人たちを待っていた、あの時間は、実にあったかな、そして奇妙に幸せな時間でした。
もう体験できないのが、さびしいです。

いま一人、申し込んでいないが参加してもいいかと連絡がありました。
うれしい連絡です。
こういうことがあるので、やはりサロンはやめられません。
そろそろコーヒーの準備をしましょうか。

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2013/05/16

■節子への挽歌2083:バラ園

節子
バラが咲き出しました。
大きくなりすぎた「ナニワイバラ」はほとんど刈り取ってしまいましたが、いろんなところのさまざまなバラが少しずつ咲き出したのです。
先日、娘が谷津の京成バラ園に行きましたが、そこで確認したら、わが家のナニワイバラは東アジア原産のものだったそうです。
節子は知っていたでしょうか。

ところで、私たちは、バラ園にはあまり恵まれていませんでした。
すごいと思ったバラ園には出くわせていないのです。
だからバラ園にはあまり華やかな思い出はありません。
娘たちがよかったという京成バラ園にも、節子と一緒に行こうとしたことがあります。
ところが車で行ったため、渋滞で行きつけませんでした。
理由は全く思い出せませんが、渋滞の最中に夫婦喧嘩になり、結局、バラ園に行くのはやめてしまい、近くの名前も知らない寂れた公園のベンチで、2人でふてくされあって仲直りしたような気がします。
私たちは、ともかくよく言い合いました。
いわゆる「犬も食わない夫婦喧嘩」ですが、なんであんなに言い争ったのでしょうか。
まあ、お互いに関心を持ち合いすぎたのかもしれません。
喧嘩も仲良しのうち、といえるようなことがほとんどでした。
「ほとんど」であっても、「すべて」ではないところが、ミソですが。

期待はずれだったバラ園は、イランのエラム庭園でした。
期待はずれの理由は、シーズンが終わった後だったからです。
エラム庭園は「薔薇の都」と言われるシラーズにあります。
エラムとは、ペルシャ語で「楽園」を意味するそうですが、とても美しいところで、残っている宮殿の建物も見事でした。
全体がまさに「楽園」的な雰囲気でしたが、残念ながら肝心のバラは、盛りが終わった後で、いささか無残でした。
イランは、私たち夫婦の最後の海外旅行でした。

その後、国内のバラ園にも行く機会がありましたが、なぜかどこも盛りを過ぎた時期でした。
シーズン外れに行く私たちが悪いのですが、まあ私たちは、バラ園にはどうも縁がなかったようです。

しかし節子はバラが好きでした。
一番好きだったのは真紅のバラでしょう。
20年以上前のことですが、私の友人が、節子に真紅のバラ束をプレゼントしてくれました。
私より若い男性ですが、節子はその後、その人がお気に入りになりました。
あの人は良い人だし、ハンサムだと知的だとほめていました。
まあ私は節子に花のプレゼントなどしたことがありませんので、それへのあてつけだったかもしれません。
幸か不幸か、その友人は忙しくてあまりやってくることはなかったので、それ以上の話に進展しなかったのですが、以来、わが家も湯島もバラが、それも真紅のバラが活けられることが増えたような気もします。
ちなみに、私も真紅のバラは大好きです。

わが家のバラは、節子がいなくなってから、一時期、手入れ不足で枯れてしまったものもありますが、それでもいまも10種類以上のバラがあります。
私はどれがどれだか忘れましたが、娘はそれぞれのバラの由緒を知っていて、これは節子がどこそこで買ってきたとか、だれそれから貰ったとか教えてくれます。
まあ聞いてもすぐ忘れてしまいますが。
イランではバラの種は買わなかったのでしょうか。
今となっては、確認のしようもありません、

バラが咲き出すともう夏です。

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2013/05/15

■節子への挽歌2082:「生きる」ということは「他者とともにある」ということ

節子
時々、おかしなことを考えます。
先ほど、ふと考えたのは、もし世界に私だけ残ったら、どんな感じだろうということです。
もし一人だけ生存した場合、それは生きているとはいえないのではないかというのが、少し考えて行きついた結論です。
一人では、生きている意味が全くありません。
人間は、言葉によって人間になったという人がいます。
聖書にも「はじめに言葉ありき」とあります。
一人になっても、独り言は言えるかもしれませんが、聞く相手がいなければ、言葉は意味を持たない。
それに、一人だと、自分が生きていることさえも確認できないでしょう。
「生きる」ということは、「他者とともにある」ということなのです。

まあ、そんなことはどうでもいいと思われるかもしれませんし、節子なら、また修の悪いくせが始まったと言うかもしれえません。
しかし、これはなにやら深い意味がありそうな気がします。

もう10年以上前のハリウッド映画に「ピースメーカー」という作品がありました。
ロシアの核兵器がテロリストにより奪われ、それを取り返す米軍人と原子力科学者の活躍を描いた作品です。
奪ったのは、ボスニアに介入した国連軍によって、妻と娘を殺害されたボスニアの外交官で、彼はニューヨークに核爆弾を持ち込むという話です。
タイトルの「ピースメーカー」は、核爆弾を取り戻した主人公たちのことですが、それだけではなく、ピースメーカーはまたビースを壊す人でもあることが含意されています。
外交官がなぜそうした行動に出たか。
妻と娘が国連軍の無差別攻撃で殺害されたからですが、ボスニアやチェチェンなどを題材にした映画に共通する、重い悲しさが、見た後もずっと残る映画です。
ジョージ・クルーニーとニコール・キッドマンが演ずる「ピースメーカー」よりも、ボスニアの外交官が国連平和維持軍を「ピースキーパー」(平和を気取る偽善者という意味合い)と告発するメッセージが心に残る映画です。
私はこの映画を1年ほど前にテレビで観たのですが、外交官が殺された妻と娘の前で号泣する場面が忘れられず、時々、思い出してしまうのです。
一人では、生きている意味が全くない、という思いは、そのシーンにも影響されています。

今日、書きたかったことは、実は、愛する者たちの死別において、生と死は同値だということです。
とすれば、ことさら「死」を嘆き悲しむことはないのです。
嘆き悲しむべきは、「別れ」であって、「死」でも「生き残ったこと」でもない。
舌足らずで、何を言っているのか伝わらないと思いますが、今日は、ふとそんなことを思ったのです。

東日本大震災の被災者遺族の報道を見るたびに、いつも思うのです。
残された人ほど辛く悲しいのに、なぜか罪悪感が拭えない。
そんな思いを、自分に重ねながら、いつも無意識に何か救いを求めている。
だからこんなことを、思ってしまったのでしょう。
まだやはり、克服できていない自分がいます。

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■ヘンリー・スティムソンの信条

先日、書いた「オリバー・ストーンが語るアメリカ史」の話ですが、その3回目に、トルーマン政権の陸軍長官だったヘンリー・スティムソンの話が出てきます。
彼は、ソ連を威圧するために水爆開発に積極的なトルーマン大統領に対して、異を唱えるのです。
1995年の9月の閣議で、ヘンリー・スティムソンはこう言います。

私が長い人生で学んだ教訓。
それは、ある人間を信頼にいたる人間にする唯一の方法は、こちらが彼を信頼することである。
こちらが不信感を示せば、相手は信頼できない人間のなる

極めて真っ当な発言ですが、なかなか言い切れないことです。
しかもそう主張したのが、陸軍長官の職にあった人です。
もうひとつのアメリカを感じます。
この延長上に、以前書いたオスグッドの戦略があるわけです。
そして、世界はその方向に転じて、トルーマンの路線を越えたように思います。

このドキュメンタリーを見ると、シビリアン・コントロールよりも、実際に危険をおかすことになる軍人のほうが信頼できるような気もします。
私は、「当事者」の判断が基本になるべきだと考えている人間なので、どうしてもそう思いたくなります。
もちろん、そういう軍人は少ないでしょうが、それは育て方や仕組みが大きく影響しているように思います。

残念ながら、トルーマンはヘンリー・スティムソンの意見を却下し、水爆の開発に取り組みます。
そして米ソは泥沼の核開発競争に進んでいくわけです。

ヘンリー・スティムソンの信条は、あらゆる場面に有効だと私は思います。
企業においてもそうですし、福祉においてもそうです。
いやそれ以前の問題として、まわりを信頼するか、しないかで、生きやすさが全く違うでしょう。
しかし、最近のアンケート調査では、周りの人は信頼できないと思っている日本人は、他国に比べても多いようです。
どこで何が変わったのか。

悪いアメリカに、日本の社会が近づいていなければいいのですが。

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2013/05/14

■節子への挽歌2081:62歳は早すぎました

節子
節子もよく知っているKさんから電話がありました。
いつもとは違う、沈んだ声でした。
数日前に母上が亡くなったのだそうです。
105歳で、前日まで話をされていたそうです。
普通考えれば、幸せな大往生です。
しかし、それはあくまでも、一般論であって、当事者は全く違うのです。

こういう電話に、なんと応えるべきか。
節子を見送って以来、私は応えられなくなっています。
気を落さずに、とか、ご自分も大事に、とか、月並みの言葉は出てきません。
ただただ、話を聞くことしかできません。

20分ほど話して、Kさんの声も明るくなってきました。
少しホッとしました。
佐藤さんに話して、少し元気になったと言ってくれました。
またいつでも電話してくださいと伝えました。

105歳の母親でさえ、辛いのです。
62歳の妻を見送った時に、その思いを伝える人がいなかったことを思い出しました。
私の体験では、その悲しみや辛さを話す人を見つけるのは、そう簡単ではありません。
というよりも、そんなことさえ、思いつきもしませんでした。
誰かに話せば話すほどに、心が乱れたのです。
どんな慰めも、違和感を持ちました。
心が、きっとおかしくなっていたのです。
Kさんと話していて、節子を見送った時のことを、また思い出しそうになりました。
何とか封じ込めましたが、思い出した途端に、また時間が戻りそうな気がします。
いまは、どうも心が弱くなっているからです。

Kさんのお母様のご冥福を祈って、節子の前で手を合わせました。
節子は62歳でした。
長寿の人の話を聞くと、改めて悲しさが募ります。
位牌に書かれた62歳の文字が、心に突き刺さってきます。

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■節子への挽歌2080:脳梗塞が進行しているのかもしれません

節子
昨日は公開フォーラムで話をさせてもらう機会があったのですが、思っていることがうまく表現できないことが何回かありました。
最初に話をしだした時に、いつもと少し違うような気がしたのですが、最後までうまく話せなかったのです。
最近の睡眠不足のせいかもしれませんが、脳梗塞が進行しているのかもしれません。
一度、病院に行ったほうがよさそうです。

最近、あまりにいろいろな情報が入ってきたのと、人との付き合いに少し疲れてきていることも影響しているかもしれません。
しかし、人間は勝手なもので、人との付き合いを遮断したいという思いの一方で、人との付き合いをもっと広げ深めたいとも思っているのです。
しかし、どうやらかなりのストレスがたまっていることも間違いありません。
以前はストレスとはほとんど無縁だったのに、どうも困ったものです。

原因は、特にこれというものはないのですが、最近はあらゆるものに違和感を覚えます。
そのこと自体が、病んでいる証拠かもしれませんが、無意識の中で、心身に「怒り」が充満している気もします。
「怒り」は、たぶん病んでいることの現れでしょう。
心身が、平安でない結果です。

いずれにしろ、一度、病院に行ってみようと思います。
今日は在宅で休養をとったのですが、まだどこかに身体的な違和感が残っています。
要注意です。

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■人にレベルはありません

昨日、企業経営幹部の人たちの公開フォーラムがありました。
そこでいささかムッとする発言がありました。
私の知人からの発言ですので、あまり具体的に書くと角が立ちますが、やはり書かなくてはいけないと思い、書くことにしました。
実は同じような発言は、これまで何回も聞いています。
私が敬愛する中小企業の社長までが言うのですから、私にはやり切れません。

どういう発言か。
昨日は、経営道フォーラムという活動の発表会でした。
そこで、これからは「危機」を新しい機会へのチャンスと捉え、新しいビジネスモデルにつなげていくという報告がありました。
それに対して、会場にいた、某大企業出身で定年後、中小企業のコンサルティングなどをされている人が発言しました。
「ここにいる大企業の人たちと違って、中小企業で働いている人たちはレベルが低くて、危機意識さえもってくれない」。
私がひっかかったのは「レベルが低い」ということです。

親しい友人の社長と話していた時に、同じようなことを言われたことがあります。
「佐藤さんが言うようなことは私の会社では難しい。うちのような中小企業の従業員は、佐藤さんが所属していた大企業の人たちとは全く違うんですよ」
私には意外な発言で、ついついその後、かなり言い合ってしまいました。
私からすれば、その会社の顧問的な人よりも従業員の人たちのほうがよほどしっかりしているように感じていました。
会社の顧問とかコンサルタントが、会社をだめにしている事例を私はいくつか感じています。

こういう話は、何も今にはじまったことではありません。
ブログにも書いた事があったなと思い出して調べてみたら、2004年にも、同じ経営道フォーラムの発表会で同じ発言を受けていました
社会貢献活動に関してです。

人にレベルはありません。
あるのは違いです。
そして大切なことは、偉そうな理屈ではありません。
その違いを活かしあってこそ、組織活動の意味はあります。
もしレベルがあるとすれば、レベルが低いと言って、人を見下すような人です。
その人は、自意識の上ではきっとレベルが高いと思っているのでしょう。
自分は、他者とは違うと思っているわけです。
そんな人に現場の実相は見えません。
しかも、基準を変えたら、上下関係は反転します。
大企業が壊れだしているのは、こういう意識の蔓延のせいかもしれません。
現場で汗している人のレベルが、低いはずがないのです。
その汗に寄生している人たちは、もっとそういう人を見習わなければいけません。
少なくとも敬意を払うべきです。

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2013/05/13

■節子への挽歌2079:久しぶりの背広

節子
今日は久しぶりに背広を着ます。
節子のがんが見つかってから、背広を着る機会が激減しました。
基本的にビジネスは止めたからです。
節子を見送った後も、背広はあまり着なくなりました。
もう10年近く、背広も作っていませんから、古い背広しかありません。
最近は背広を着る機会は月に1~2回です。

節子は、私の背広姿が好きでした。
というよりも、私はカジュアルウェアが似合わないのです。
自分の気分的には、背広やネクタイは嫌いで、カジュアルが好きなのです。
しかし、その思いとは別に、背広を着るとなんだか落ち着く気もします。
私もやはり、ほんとうは規律服従型の人間なのかもしれません。

背広姿の佐藤さんのほうがいいと、最初に私に言ったのは、今は大学教授の半田さんです。
最近はこれも大学教授の福山さんが、佐藤さんは背広が似合うと言いました。
いずれも、要するに私のカジュアルウェアが似合わないと言っているわけです。
娘は、極めて辛らつで、お父さんはカジュアルが似合わないよねとよくいいます。
まあ、確かにそうなのですが。
第一、おしゃれなカジュアルウェアは持っていないのです。

今日は椿山荘で、企業関係者を対象にしたフォーラムです。
ですから一応、背広を着ることにしました。
ネクタイもして、少ししゃんとして出かけます。
さて、今頃のシーズンにあった背広はあるでしょうか。
虫に食われていないといいのですが。

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■アメリカ史だけではなく現代世界史の風景が変わりました

この週末に、「オリバー・ストーンが語るアメリカ史」の第1回から第7回までを一気に見ました。
思っていた以上にはっきりと語られているので、見ていて、気持ちがすっきりしました。
これまでの認識が根底から問い直されるような気がしました。
なんとなく感じていたことに、確証も得られました。
しかし、だからと言って、気が晴れたわけではなく、逆に気が重くなって、元気がまた失われましたが。

ソ連が悪者になりすぎているという気は、どことなくしていたのですが、それでもソ連とアメリカを比べると戦争を終結に導き、戦後の平和をもたらしたのは、アメリカだという認識がずっとありました。
CIAの暗躍は、映画の世界ほどではないだろうとも思っていました。
しかし、ストーンのドキュメンタリーを見れば、現実は映画以上だったのかもしれません。

それにしてもアメリカの政府の酷さは驚くほどですが、それをこういう形で報道するジャーナリズムを存続させているアメリカの社会の健全さは、これまた驚きます。
日本の報道関係者とは大違いです。

私が一番認識を変えたのは、ソ連の役割であり、フルシチョフの勇気です。
フルシチョフに比べれば、ケネディはまだ腰がぶれています。
それに不用心でした。

それと、歴史はちょっとした偶然で大きく変わるものだとも思い知らされました。
トルーマンやフォード、ニクソンが大統領になったのは、ちょっとした事故の結果です。
もしトルーマンではなくウォレスが大統領になっていたら、世界の歴史は一変したかもしれません。
核兵器はもちろん、原発も実現していなかったかもしれません。
歴史に「もし」はないと言いますが、その道もあったと知る事はとても大切です。
歴史に「必然」はないと思えば、少しは元気になれます。

まだご覧になっていない方は、ぜひご覧になることをお勧めします。
NHKのオンデマンド放送で見られます。
また6月には最後の第8~10回が放映されるそうです。
今の世界の状況に危機感を持つ人には、ぜひお勧めの作品です。

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■メンタルヘルスをテーマにしたサロンのお誘い

私のオフィスでは、毎月、フォワードカフェというのをやっています。
ちょっとつまづいてしまったけれど、前を向いていこうという人やそういう人を支えていこうという人が気楽に本音で話し合える場としてスタートした集まりですが、最近は、参加者の幅も広くなり、要するに、誰でも歓迎のホッとできるカフェサロン(コーヒーを飲みながらのサロン)になってきています。

時々、ゲストを呼んでテーマ型のスタイルもあるのですが、今回は「うつ病」をテーマにしました。
企業向けの研修講師などで活躍されていた浜田幸一さんが数年前に、うつになり3か月入院しました。
もうすっかりいいのですが、その体験を踏まえて、「うつな人ほど成功できる」という本を書きました。
先日、その浜田さんとその本を読んでうつを克服しつつある人がやってきました。
話をしていて、浜田さんの話を多くの人に聞いてもらいたくなり、今月のサロンにお招きしました。
講演会スタイルではなく、気楽に浜田さんと本音をぶつけ合うサロンにしたいと思っています。
最初に、浜田さんに、「うつ体験からのメッセージ」を話していただき、それを材料にみんなで話し合う予定です。

実は、先週、「認知症予防」をテーマにしたサロンを開催しました。
このサロンに初めて参加してくれた企業の現役管理職の人が、1年前にここでのお話を聴いていたら、母への対応を変えていられたのにと話してくれました。
認知症の予兆は、初めての人には意外と見過ごされてしまうのです。
同じことは「うつ病」にも言えます。
今回のサロンでは、浜田さんに、その当たりの話もしてもらう予定です。
ですから、できるだけ多くの人に聞いてもらいたいと思って、このブログにも案内を書くことにしました。
もしお時間とご関心があれば、ご参加ください。
もう少しだけ席に余裕がありますので。

○日時:2013年5月18日(土曜日)午後1時半~3時半
○場所:湯島コムケアセンター(文京区湯島3-20-9-603)
http://homepage2.nifty.com/CWS/cws-map.pdf
○話題提供者:浜田幸一さん(イン・フロンティア代表)
○会費:500円

参加される方は次のところにメールをいただければうれしいです。
comcare@nifty.com

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2013/05/12

■節子への挽歌2078:クラインの壺

節子
季節の変わり目のせいかもしれませんが、どうも精神が安定しません。
どこかに、「不安感」があるのです。
半年ほど前から、ようやく精神的には元に戻ったように思っているのですが、正常化すると、節子の不在もが現実のものとなってリアリティを感ずるようになり、それが逆に精神的な不安感を高めるのです。
なんだか、内部と外部のない、クラインの壺のような精神構造にあります。
精神的に安定化したからこそ、不安定になる、というわけです。

伴侶との死別は、やはり残酷なものです。
日常が一変しますから、その現実を直視できません。
どこかで現実を素直に受け容れない自分がいて、どこかで無理をしているのです。
しかし、私の場合は5年ほど経ったところで、周りから霧が晴れていくような、そんな感じで、世界が変わってきたのです。
判断力も戻ってきたように思います。
節子がいない世界で生きることに、決して慣れたわけではありませんが、理解できるようになったように思います。
朝、起きて、節子に向かって、ありがとう、ごめんね、と言った後で、節子は大ばか者で薄情者だとついつい悪口を言うことも少なくなりました。
言わなくても大丈夫になってきたということです。
それまでは、ともかく問題が理解できずに、困惑の矛先を節子に向けざるを得なかったのです。

安定しているのか不安なのかよくわからない奇妙な精神状態は、もう3か月ほど続いています。
まだ出口は見つかりません。
出口があるのかどうか、それもわからない。
だから精神的には、とても奇妙な感じなのです。
1年前までの、不安感や孤独感とはまったく違います。
何か不思議な不安感と安泰感が交互に浮かび上がってきて、気持ちを上下させるのです。

要注意かもしれません。
過剰にさまざまな問題を背負い込んでしまっているのが一因なのか、逆にそれは結果なのか、それさえもわかりません。
気分を変えることが必要だろうとはわかっているのですが、それが出来ないこともわかっているのです。
なにしろクラインの壺は、内部も外部もないですから、じっとしているのがいいでしょう。
しかし、70歳を超えて、こんな状況とは、困ったものです。
節子が、私の心の半分を持っていってしまったせいでしょう。

いま気づきましたが、クラインの壺は割れるのでしょうか。
外部も内部もない壺は割れるとどうなるのか。
まあ、こんなことを考え出すようでは、やはり要注意ですね。
困ったものです。

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■円安を喜ぶ人もいました

円安を喜ぶ人の気が知れないと、ついつい書いてしまいました。
しかし、昨日、テレビを見ていたら、浅草の商店街が円安で増えた海外の観光客のおかげでとても繁盛しているという報道をしていました。
小売店の人は、円安の利益を生活面で受けているわけです。
物事をあまり一面的に見てはいけないと思いました。

経済に、もし「利潤」という概念が必要なのであれば、価値体系の差異こそが利潤の源泉であると、岩井克人さんは書いています。
実に新鮮な指摘です。
為替制度は、そうした価値体系を標準化していくのでしょうか。
岩井さんの本はもうかなり前に読んだので、あまりはっきりと覚えていませんが、また読み直してみる必要がありそうです。

実は、私の娘も、円安を喜んでいます。
海外預金をしているのですが、リーマンショックで円高が進んだため、円に直すと元金を大幅に割ってしまったのだそうです。
その元が取れるかもしれないと言っていますが、まあ預金する余裕のある人の損得は、私には余り関心はありません。
むしろ預金などもぎりぎりで、生活している人の視点で考えなければいけません。

海外の観光客が増えてお土産がたくさん売れるようになったことは、喜ばしいことです。
しかし、逆に日本人が海外に行きにくくなっているわけです。
その分、国内旅行が増えているという報道もあります。
となると、みんなハッピーですね。
ということは、やはり円安もまた喜ぶべきことでしょうか。
それに、円高で資源が高くなれば、省エネが進むかもしれません。

いやはや経済は難しいです。
昨日は円高支持を強調しましたが、もう少し考えてみる必要があるかもしれません。

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2013/05/11

■節子への挽歌2077:最近、寛容さがなくなってきました

節子
最近、かなり性格が悪くなってきました。
それにストレスもたまってきています。
この挽歌を通して、ささやかに発散させることにします。

昨日も2人の人から、電話がありました。
考えようによっては、身勝手な依頼の電話なのです。
こちらから何か連絡しても、ほとんど反応はないのですが、頼みごとだけはよくしてきます。
出来る範囲では、対応しているつもりですが、その後、何か報告があるわけでもありません。
ペイフォワードな生き方をしている以上は、気持ちよく受けなければいけません。
しかし、そうしたことが重なるとあまり気分がいいものではありません。
それで、昨日は一人の人にはちょっと冷たく対応してしまいました。
電話を切ってから、少し自己嫌悪に陥りました。

まあ、その2人に限ったことではありません。
頼んできたので準備をしていると、その後、全く音沙汰ない人もいます。
もっとひどい話もあります。
時間と金銭をかなり負担させられたこともあります。
世間的な常識からしても、外れている大人が多すぎます。
わが家の娘だったら、そんな人と付き合うなと言うでしょう。
そういう大人が、最近は多すぎるのです。

なぜでしょうか。
みんな忙しすぎて余裕がないのかもしれません。
私だって、同じようなことをしているかもしれないので、基本的には大らかに対応したいのですが、何回も繰り返されると、いささかムッとしてしまいます。
我ながら器量が小さいと思うのですが、どうも最近、そういうことが気になるのです。

その一方で、私とは比べようもないほど、気遣いがあり、ペイフォワード的な人も多いのです。
そういう人がいる一方で、その正反対の人がいる。
だからこそ、ストレスがたまるのかもしれません。
そういう人は、見事に要領がいいのも気分がよくない理由のひとつです。
楽しくない人とは付き合わないほうがいい、おまえはだれとでも付き合いすぎだ、とむかし、友人の片岡さんに言われましたが、当時のほうが、私はだれにも寛容でした。
騙されても騙すよりはいい、と思っていましたし、それがそう苦にはならなかったのです。
しかし、どうも最近、そうではなくなってきました。
気になりだすと、それこそ、些細なことまで気になりだします。

人生は限られているのだから、付き合う人を絞り込むのがいいのかもしれません。
しかし、もし付き合って楽しい人とだけ付き合っていたら、それで人生は楽しく豊かになるのか。
必ずしもそうではないでしょう。
これは、節子と暮らしてきて、気づいたことのひとつです。
だから私の生き方はこれからも変えるつもりはありませんが、しかし、節子がいないせいか、そうした些細なことがストレスになってきています。
節子がいたら、違った視点で、そうした人の「良い点」を見つけ、私の側の「悪い点」を指摘してくれるでしょう。
少なくとも、私が愚痴ると、そういう人とも付き合うのが修でしょうと笑いながら元気づけてくれたでしょう。
でも今は、一人で、グチグチと考えてしまうわけです。
明らかに、性格が悪くなっています。
困ったものです。

挽歌を汚すようなことを書いてしまいましたが、まあ、これもまた私なので、仕方がありません。
少しだけ、ストレスが発散できたような、逆にストレスが高まったような、おかしな気持ちです。
明日、読み直したら、削除したくなるかもしれないので、読み直すのはやめましょう。

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2013/05/10

■節子への挽歌2076:難事件発生!

節子
事件発生です。まあ、たいした事件ではないのですが、昨日発生した事件です。
ジュンの連れ合いの峰行がやっているイタリアンレストランに、予約客が2組あったのですが、いずれも直前に人数が増えてしまい、合わせるとお店の集客能力を超えてしまいました。
そのため、一方のお客様には謝罪の上、お断りをしようとしたのですが、いずれからもお店が気にいっているので、場所は変えたくないといわれたそうです。
それで事情を話し、お互いに窮屈になるが、席数を増やすので、それでもいいかと相談したそうです。
双方ともそれでいいと言ってくれたそうです。
よほどお店を気に入ってくれているのでしょう。

問題は、どうやって席数を増やすかです。
それが「事件」です。

朝、峰行から、そういう事情なので、テーブルと椅子を借りたいという電話がかかってきました。
さてさて、こういう問題が起こると、何だかわくわくしてきます。
わが家に使えるテーブルや椅子が果たしてあるかどうか。
そのまま使えるテーブルはありません。
わが家の食卓のテーブルは、節子の好みで、円形なのです。
仕事に使っているサブテーブルが何とか使えそうですが、レストランにはちょっとという感じです。
さてさてそうするか。
しかし、これは実に楽しい難問です。
娘たちと一緒に、知恵を出しあって、何とか解決策が見つかりました。
使えそうなテーブルやいすを娘たちが自動車でお店に運んでいきました。
私も行きたかったのですが、自動車に乗るスペースがなくて、乗せてもらえませんでした。
しかし、娘たちも何だか楽しそうでした。
お店の場所を借りている大家さんも、どうやら協力してくれたようで、今朝、解決できそうだという連絡が来ました。

節子がいた頃を思い出しました。
わが家では何か難問ができると、家族全員で解決に取り組む文化がありました。
お金で解決できるような場合も、原則としてお金には依存しないのが、節子がいた頃のわが家の文化でした。
デッキのペンキ塗りも室内の壁紙張りも、みんな家族全員が動員されました。
デッキのペンキ塗りは、これは大変でしたので、もう2度とやらないで住むように新しい家はアルミにしました。

しかし、こうした家族みんなで取り組むことは実に楽しいのです。
特に節子は、それが好きでした。
もし節子がいたら、今回も大喜びで、いろいろとやったことでしょう。
どさくさにまぎれて、テーブルクロスまで勝手に作ったかもしれません。
家族に難問が押し寄せてくると、節子はとてもがんばるタイプでした。
もちろん楽しみながらです。
私も、同じように、それを楽しむタイプでした。
その文化は、幸いにまだ残っています。
家族みんなで汗を流す。これほど楽しいことはありません。
節子は参加できずに残念がっていることでしょう。

そんなわけで、今夜はジュンもお店に手伝いに行くそうです。
節子がいたら、もちろん何をおいても行ったことでしょう。

元気だった頃の節子の笑い声が聞こえてくるようです。

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■円安を喜ぶ理由がわかりません

4年ぶりに 1ドル100円台が実現しました。
円安のおかげで、輸出企業の業績は好調のようです。
それを歓迎する風潮が高まっていますが、以前も書きましたが、「円安」を喜ぶ人の気持ちがわかりません。
単に「儲かる」だけで喜んでいるのであれば、それは納得できますが、みんながみんな、そんな守銭奴やホモエコノミクスであるようには思えません。
もし国家の役割が国民の財産を守り、生活を豊かにすることであれば、当然ながら「円高」をこそ目指すべきです。
私たちの労働の価値が、それだけ高く評価されるということですから。

最近のアメリカでは、再び、「強いドル」政策が支持されているようです。
為替問題は、経済問題というよりも政治問題になってきていますので、政策的に強くしたり弱くしたりすることが行われがちですが、そうした動きはまさに political economics であり、生活視点のエコノミクスではありません。
また、過剰な操作は、クリントン政権下のアメリカでの「強いドル」政策が過剰資金を大きく動かしてアジア通貨危機やロシア危機を起こしたように、金融工学者によって悪用されかねません。
しかし、ドルと円とは違うように思います。
私の知識では、なかなか説明はできませんが、素朴に考えて、輸出しやすいために円安を指向するという発想は、なじめません。
国民の生活を貶め、海外の企業に打撃を与え、海外の人たちに被害を与えるからです。
political economicsと生活のための経済は、まったく違います。

私の乏しい知識で感ずるのは、アメリカの経済に依存するスキームが、1990年代のクリントン政権時代に生まれたということですが、輸出に依存する経済は、決して国民を豊かにはしないでしょう。
今の日本の政財界の動きを見ていると未来が全く見えてきません。
過剰消費をあおっても、実体経済はもろくなるだけです。
経済成長は短期的なカンフル剤でしかありません。
この20年、もう十分にそんなことは体験してきたのではないかと思いますが、そうしたことに対して、みんな異常に無防備です。

私には、円安は憂えるべきことであって、喜ぶものではありません。
為替レートが1円安くなっただけで、トヨタは400億円の利益増になるとテレビで報道していましたが、そんなことで本当にいいのでしょうか。
1980年代に日本の企業に「財テク」ブームが来ました。
私が会社を辞めたのは、そうした動きに大きな違和感を持ったことが一因でしたが、当時はメーカーでさえ、ものをつくるよりもファイナンスで利益をあげたほうが儲かったのです。
そうしたことがどれほど経済の健全性を損なうか。
そして抜け出せないほどのバブルの崩壊を引き起こしました。
昨今の日本企業は、1980年代から何も学んでいません。
その後に起こった金融ビッグバンが、日本の経済をだめにするだろうと予感していましたが、まさにその方向に動いているような気がします。
私には、到底、正気とは思えません。

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2013/05/09

■黄柳野高校が話題になっているので期待したのですが

最近、このブログへのアクセスが急に増えることがあります。
中途半端なブログなので、ふだんはさほどアクセスは多くはないのですが、急に1000件を超えたりしているのに気づくと何事だと思います。
それぞれに、あるキーワードが話題になっているようです。
最近で言えば、「グラディオ作戦」「野田風雪」そして昨日からは「黄楊野高校」です。
いま確認したら、今日もアクセスが2000件を超えています。
一番アクセスが多いのが、2008年12月に書いた「黄柳野高校はなぜこうなってしまったのか」の記事です。
実は、この記事へのアクセスは時々、急増します。
また名に買ったのかと調べてみたら、どうやら昨日、同校の学生寮が火事になり、死者が出たようです。
教育そのものでまた話題になりだしたのかと思ったのですが、火事とは残念です。

黄柳野高校は愛知県新城市にある私立高校ですが、大きな期待をもたれて設立された「コモンズ型の学校」でした。
全寮制だったと記憶していますが、新しい教育哲学とビジョンをもった学校でした。
しかし残念ながら、その理念は必ずしもうまく育たずに、挫折してしまったことを知って、勝手な私見をかいたのが、前日のブログ記事です。
久しぶりに読み直してみました。
5年ほど前とは言え、当時はまだ、私の頭の中に学校教育への期待と関心が残っていました。
いまはまったくと言っていいほどありませんが。

先月、湯島で高校における教科「福祉」をテーマにしたカフェサロンを開きました。
神戸の六甲アイランド高校で「福祉」を教えている知人に来てもらって、話題提供してもらいました。
とても感動的な話でしたが、学校への期待はなかなか戻ってきませんでした。
というよりも、普通の感覚が感動するほど、高校は崩れてしまっていると感じたのです。

25年前、日本から公立の小中学校がなくなったら、日本の未来は明るくなるだろうなと思ったことがあります。
学ぶことが楽しくないような「学びの場」は、私には理解できません。
少し前に、学校での体罰が問題になった時に、プロ野球の桑田さんが、体罰ではうまくならないと明言していましたが、体罰が運動能力や芸術能力を妨げるのと同じように、学ぶことが楽しくならないどころか、学校に行くのさえ楽しくないような学校は、子どもたちをだめにするだけです。
事実、管理教育の広がりは日本の子どもたちをだめにしてしまっています。
いじめだけではありません。
当の学力さえ、だめにしているのです。

学校を「いじめの場」ではなく「学びの場」「喜びの場」にしていく試みは、数年前までいくつかありました。
しかし、昨今は、そうした話をあまり聞かなくなりました。
教育基本法が改悪され、学校はますます楽しくない場になっているのではないかといささか心配です。

火事ではなくて、黄柳野高校がもっと話題になってほしいです。
学校の先生たちには、まずは自らが楽しくなるような学校をつくってほしいです。
先生が楽しくなければ、生徒が楽しくなるはずがないのですから。

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■節子への挽歌2075:パーティへの招待状

節子
小宮山さんからパーティへの招待状が届きました。
コミー株式会社が創立40周年を迎えたのだそうです。
コミーは、小宮山さんの会社ですが、とても個性的な会社で、テレビなどでも時々取り上げられています。
小宮山さんは、湯島のサロンにも一時期、常連になっていたので、節子もよく知っていますが、小宮山さん自身もとても個性的で、とても社長とは思えないキャラクターです。

その案内状に、こう書いてあります。

コミーは今年4月で設立40周年、おかげさまでストレスもなく、マイペースで仕事をすることができました。ありがとうございました。

ストレスもなく、社長を40年もやってこられたというのはすごい話です。
私も、一応、株式会社コンセプトワークショップの社長ですが、会社といっても社員もいませんし、いわゆる仕事も持ち込まれたものだけを引き受けていますので、普通の意味での会社とは言えません。
利益はほとんど出たことはなく、この10年ほどは給与ももらったことがありません。
ですから、ストレスはたまらないのですが、今から考えると、この会社を手伝っていた節子には、いろいろとストレスがたまっていたのだろうと思います。
経理もすべて節子任せでしたし、お金の管理もすべて節子でした。
事務所の賃借料が払えなければ、家計から充当しなければいけません。
最初の頃は、サロンもストレスだったようです。

しかし、その分、私はストレスフリーでした。
会社時代とは大違いでした。
やりたいことをやりたいようにやればいいのですから。

しかし、小宮山さんの会社は、世界を市場にしてビジネスをしている会社です。
社員は20人ほどですが、一人会社の私とは全く違います。
にもかかわらず、ストレスフリーで40年。
これは小宮山さんのお人柄でしょう。

その小宮山さんが、昨日は湯島に来ていました。
何の用事だったのかよくわかりませんが、2時間半も話していきました。
私は小宮山さんとは付き合いがありますが、コミーの会社とは付き合いがないので、パーティはちょっと場違いなのではとお伝えしましたが、小宮山さんは、まあいろんな人も来るからとかわされてしまいました。
さてどうしましょうか。

節子なら、行ってきなさいよと言うでしょうが、どうも最近、華やかな場への参加に気乗りがしないのです。
いや、これは最近ではありません。
節子がいた頃も、華やかな場は不得手でした。
ですから、よく節子を誘ったものです。
しかし、節子も好きではなく、あんまり付き合ってはくれませんでした。
私たちには、どうも華やかな場は相応しくないようです。

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2013/05/08

■節子への挽歌2074:節子がいた頃の風景

節子
家庭菜園の整備がかなり整い、いよいよ野菜も植えました。
とりあえずミニトマト、なす、きゅうりなどです。
昨年、時間をかけて生い茂っていた草や笹を刈り取っていたので、今年は思った以上に作業が早く進みました。

花の種は、まだ芽がでてきませんが、少しだけ「荒れ地」が「畑」らしくなってきました。
まだ肝心の道沿いの斜面が荒れていますが、しばらく放置していた間に、見も知らぬ木が大きく育っています。
それを切るのも忍びないのですが、切ってしまいました。

切るといえば、道沿いの5本のヒバの木が大きくなってしまっていました。
そのうちの2本は昨年枝をすべてはらっていたんで、枯れましたが、残りの3本は元気です。
それで切るのをやめて、小さくすることにしました。
これから時間の合間を見つけて、道沿いをきれいにし、花を植えていく予定です。

この畑の前の道は、「はけの道」と言って、白樺派文人も、たぶん散歩した道です。
今はその面影は少なくなっていますが、散歩する人は結構います。
節子がちゃんと花畑をつくっていたころは、通る人からも「きれいですね」といわれていました。
節子の病気が治り、元気になったら、ここに長いすを置いて、散歩している人のお休みの場を提供する計画でしたが、それは実現しませんでした。
私一人では、ちょっとその勇気が出てきません。

斜面の草狩りをしていると、生い茂った草の下から、いろんなものが出てきます。
節子は、整地する前の宅地に散在していた、いろんな廃物や石ころやコンクリートのかけらなどを活用して、段々畑に利用していましたが、そうしたものも荒れているところでは、単なる廃物にしか見えません。
お金をかけずに、花畑をつくるのは、それなりの工夫が必要ですが、節子はそうした点にかけては、まあまあでした。
私は、思いはありますが、どうも苦手です。

農園復活と同時に、自宅の庭でもプランター菜園を復活させることにしました。
朝食のサニーレタスのタネを蒔きました。
芽がでるといいのですが。

まあこんな感じで、節子がいなくなってから、風景が変わってきている中でも、
少しずつですが、節子がいた頃の風景も戻ってきています。

しかし、野菜や花と付き合うのは、結構大変です。
私のように、飽きっぽい性格だと、ついつい手を抜きたくなります。
私は、自分自身の「生存のための基本的な活動」さえも、できれば手を抜きたいと思っている人間です。
しかし、自分はいいのですが、わが家の老犬チビ太くんの介護と同じで、植物のように素直な生命との付き合いは、手を抜けません。
土と付き合うのは、やはり生きる上で、大きな学びがあることを感じます。

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2013/05/07

■節子への挽歌2073:「話す相手」がいなければ「話す自分」もいなくなる

節子
時々、この挽歌への読者が増えることがあります。
この挽歌は、誰かに読んでもらうというよりも、自らが語るというためのものですから、読者のことをほとんど意識していないので、普段は読者はそういません。
ところが、一昨日、急に読者が増えました。
時評編と挽歌編があるのですが、読者が増えるのは多くの場合、時評編です。
先日、「グラディオ作戦」が話題になったようで(私は気づきませんでしたが〉、一日2000件を超えるアクセスが続きました。
今回はそれほどではないのですが、調べてきたら、どうも野田風雪さんのおかげです。
挽歌1527:「話す相手がいないこと」の意味へのアクセスが増えていました。
半年ほど前の挽歌です。
読み直してみました。
挽歌を読み直すことはあまりないのですが、半年前の自分に会ったような気がして、少し新鮮でした。

伴侶を見送った後、「話す相手」がいなくなることの辛さについて、野田風雪さんが語った話から、「話す相手がいない」とはどういうことかという私の思いを書いたものです。
読み直して気づいたのは、いないのは「話す相手」ではなく「話す自分」かもしれないということです。
相手がいなければ、自分もいないというわけです。
伴侶を亡くすと、自分が見えなくなる。
自分がどこかに行ってしまったような感じになるのです。
おかしな言い方ですが、節子がいた時の私といなくなってからの私が、別人になってしまうような気分で、現状の私を見ている、以前の私が時々、出てくるのです。
まさに「アイデンティティ・クライシス」。
私の場合、その2つの私が一緒になるまで5年ほどかかった気がします。
完全に一つになったわけではなく、いまも2つの私が存在してはしますが、最近は矛盾なくつながっている気がします。
一時は、お互いがお互いに「冷やか」だったような気もします。

なんだか禅問答のように聞えるかもしれませんが、なにかとても重要なことが含意されているようにも思えます。
たとえば、「話す」という行為の本質にも関わっているような気もしますし、昨今の人のつながりが弱まっている状況にもつながっているような気もします。
考え出すと際限がなくなりそうです。

いうまでもなく、「話す」という行為の意味は、「話し合う」ということでしょう。
独り言のように、声を発するということではないでしょう。
相手の反応があればこその「話す」です。
風雪さんが「辛い」と言うのは、相手の反応がないと話せないということでしょうが、その「反応」は、伴侶の場合は特別だということです。
その気持ちは、私も体験しているので、よくわかります。
しかし、辛いのは、「話す相手」ではなく、「話す自分」がいないからかもしれません。
私は、最近ようやく、その「自分」に出会いました。
節子を見送ってからしばらく、自分が混乱していて、自分にさえその居場所が分からなかったのですが、やっとまた自分に戻れたのです。
ますます禅問答になりそうです。

半年前の挽歌を読んだだけで、自分の変化が少し感じます。
最初の頃の挽歌を読むと、まったく別の私に出会うかもしれません。
読もうかどうか、迷います。
さてさて、どうするか。

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2013/05/06

■節子への挽歌2072:「皆んなしんどいんだよ。気づいてないか、言わないだけだよ」

節子
あっという間に、連休が終わってしまいました。
溜まっていた仕事を整理し、乱れている生活のリズムを整えようと思っていましたが、結果は逆で、益々生活のリズムは崩れ、予定していた宿題は半分もできませんでした。
困ったものです。

半分以上は自宅にいたのですが、テレビで自動車の渋滞の風景をみるとうらやましさを感じました。
昔は、私たちにもそんな体験がありました。
いまではもう遠い過去の話になってしまいました。
テレビの風景が、だんだん自分とは無縁なものになっていくのは、少しさびしいものです。

最近は、世間の話題にもどうも距離を感じます。
どんどん社会から脱落しているのがよくわかります。
こうしてだんだん人は彼岸に近づくのでしょう。

しかし、そんなことばかりもいっていられません。
見知らぬ韓国の金さんからだけではなく、いろんな人がまだ私に連絡してきてくれます。
関西の知人から、こんなメールも来ました。

4月の地震から、体調も崩しました。
課題の解決に失敗したこともあり、先へ進む希望を求めながらこの連休を過ごしています。
佐藤さんが、3月のお電話で、「××さん、皆んなしんどいんだよ。気づいてないか、言わないだけだよ」と、おっしゃった言葉を思い出して、元気になりたくて、このメールを書くことにさせてもらいました。

ああ、そんなことを言ったなと思い出しました。
当時、彼女はある問題に直面していて、夜遅く、長電話をしてきていました。
私もかなり滅入っていた時期だったので、どの程度、役立ったかはわかりませんが、当時の問題は無事乗り越えました。
しかし、その問題は、私からすれば、そう難しい問題とは思えませんでした。
しかし、彼女にとっては、大変な問題だったのでしょう。
最近、漸く、そういうことが、私にもわかるようになりました。
彼女は小さい頃、お父さんを自死で亡くしています。
それを知ってから、精神的にダウンしてしまい、たぶん動けなくなったのです。
たまたま4年前に、私たちが主催した自殺防止をテーマにしたフォーラムに参加し、それを契機に動き出したのです。
私は、彼女からたくさんのことを学ばせてもらいました。

実は、私も今年になってから、あまり元気ではないのです。
最近少しはよくなって入るのですが、気が満ちてはきません。
中途半端な元気さは、逆に辛いものがあります。

そんな時に、このメールです。
「皆んなしんどいんだよ。気づいてないか、言わないだけだよ」。
このメッセージは、いまの私を元気づけます。
自分が発した言葉は、いつか自分に返ってきます。

さて、明日から少し気を引き締めて・・・ などとは思わずに、しんどさを大事にしながら、ゆっくりと行こうと思います。
長いようで短い連休でした。

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■自民党憲法改正草案による亡国への道:その10

今回で一応、このシリーズを終わります。
その9で、家族への介入に関して書きましたが、その先にあるのが「愛国心」です。
明確な条文があるわけではありませんが、よく指摘されているように、「国旗及び国歌」が憲法に明記されました。

第3条 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。
 2  日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。

この条文だけを見れば、何もおかしいところはないように思います。
しかし、そこに含まれた意味は。この数年の「日の丸・君が代訴訟」がはっきりと示しています。
これについては、このブログでも何回か書いてきています。
何の変哲もない条文が、その運用によっては、大きな「やいば」になるのです。
自殺に追いやられて人もいるほどです。

私は、日の丸も君が代も好きでした。
私が、認識を改めたのは、10年ほど前に雑誌で読んだ、「良心、表現の自由を!」声をあげる市民の会の渡辺厚子さんの「私は立てない、歌えない」という文章です。
以来、私自身もどこか素直に君が代を歌えなくなり、日の丸には愛着を失いました。
それらが、この国を愛することなく私物化している一部の人たちのものだという気がしてきたのです。

自らの「愛国心」を語る人には好感が持てますが、他者に「愛国心」を強要する人には嫌悪を感じます。
そういう人は、おそらく自らは「愛国心」など微塵もないのでしょう。
だから他者もそうだと思い、強要してくるのではないかと思います。
自らの国に、誇りと自身があれば、形式的な愛国心など強要する必要はないはずです。
強要された「愛国心」などに、いったいなんの意味があるのか。
「愛」が強要できるなどと思っているのでしょうか。
愛とは、愛したくなるようなものがあってこそ、生まれるものです。
愛国心を強要する前に、愛される国になるようにならなければいけません。
そのための指針が憲法です。
愛国心を強要する為政者の下では、愛国心は育ちません。
日の丸や君が代を、これ以上、けがして欲しくないと思います。

「愛」にまで介入してくる憲法が、思想及び良心の自由(第19条)をうたっても、あんまり説得力がありません。
その先に見える風景が、とても不安です。

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2013/05/05

■節子への挽歌2071:野菜の苗を買ってきました

節子
畑の整地は少しずつですが、順調に進んでいます。
間もなく「節子花畑」が再開できそうです。
今年は、野菜も復活させることにしました。
今日、苗を買ってきました。
ミニトマト、なす、きゅうり、唐辛子、ピーマン、モロヘイヤなど、比較的簡単なものにしました。
土中物は放射線による土壌汚染もあるので、やめました。
ただ、毎日、畑まで行くのは怠惰な私には確信が持てないので、一部は自宅でプランター栽培することにしました。
花畑には、お墓に持っていける花も植える予定です。
これでわが家の家計も少しは節約できるでしょう。

花は何を蒔くかですが、とりあえず家に残っていた種をすべて蒔いてしまおうと思います。
なかには節子が採っておいた、何のタネだかわからないのもあります。
古いために発芽しないかもしれませんが、何の花が出てくるか楽しみです。
節子は、鳥や花になって戻ってくると言っていましたから、きちんと花になって戻ってきてくださいよ。
私は、鳥があまり好きではないので、花のほうがいいです。
そういえば、今日も畑に小さな鳥が来ていましたが、あれは節子ではないでしょうね。

庭の花も咲き出しました。
今日はわが家の庭の片隅にあるジュンの工房にお客様があったのですが、花がきれいだと喜んで、写真を撮っていってくださったそうです。
節子がいた頃と比べると、かなり見劣りはしますが、いろんなバラが咲き出しましたし、まあ気持ちのいい庭になってきました。
ただ、見えにくいところの花はだいぶ枯らしてしまいました。
一番悪いことをしたのは、節子が大事にしていたヒャクヤクが見事な花を咲かせていたのに、見えないところに置いていたため、誰も気づかないうちに、花びらが落ちてしまっていたことです。
まあ、来年はそういうことのないように注意しましょう。
まだ私が元気であればの話ですが。

そんなわけで、少しずつ。わが家の花も元気になってきました。
だめになってしまったヤマホロシとランタナも、また花屋さんから買ってくる予定です。
そうそうもうひとつ。
昨年、枯れてしまったいちじくの木のあとに、若い芽が1本、育っていました。
これは大事にして復活させたいと思います。
節子は、日本いちじくが大好きだったので、来年はお供えできるように頑張りましょう。

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■自民党憲法改正草案による亡国への道:その9

主語の話をしたので、それにつなげて、もうひとつ、気になることを書きます。
憲法にはめずらしい主語がひとつ、自民党改正草案には登場しています。
「家族」です。

第24条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。
2項には、なんと婚姻は夫婦相互の協力によって維持されなければならないともあります(これは現行憲法にもあります)。
家族は、互いに助け合わなければならない。
すらっと読めば、まあなんともないのですが、国家が主語になりだした憲法において、ここまで書かれると、いささか不安になります。
明治時代の「家制度」が復活するわけではないでしょうが、いやな感じがします。
憲法で、家族や婚姻にまで「義務」を指示されるのは、私には馴染めません。
「生‐政治」へと権力の支配様式が変化しているとはいえ、ここまであからさまに言われてしまっては、まさに「家畜」視されている気になります。
この発想は、皇室観にも、さらには地方自治観にも、さらには愛国主義観にも、つながっていくように思いますが、まあそこまでは勘ぐるのはいきすぎかもしれません。
しかし、こうしたちょっとしたところから、大きな権力犯罪は始まるのです。

たかが「家族」ではありません。
家族が「社会の基礎的な単位」であるとすれば、それをどう位置づけ、どう扱うかで、国家のあり方が決まってくるのです。
恐ろしさをぬぐえません。

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■自民党憲法改正草案による亡国への道:その8

多くの人はあまり意識していないでしょうが、現行憲法は大日本帝国憲法第73条の改正手続きに従って改正され、昭和天皇によって公布されています。
その公布文には、
「朕は、日本國民の總意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、樞密顧問の諮詢及び帝國憲法第七十三條による帝國議會の議決を經た帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。 御名 御璽」
と記されています。
しかし、主権が天皇から国民へと移ったことで、両憲法は法的には連続性がないとする考えもあります。
そうした考えのひとつとして、8月革命説もありますが、私の友人の武田さんは、もし日本国憲法の成立が革命であれば、自民党の憲法改正案は「反革命」を目指すものだと言います。
武田さんの小論は、私のホームページに掲載していますので、お読みください。
私は、両憲法に法的連続性のみならず、意味的連続性もあるように考えています。
確かに、発想のベクトルは反転していますが、しかしなお、国民主権を統治する権力を想定しているからです。

現行憲法の条文の主語はかなり粗雑ですが、「国」が主語にはなっていません。
多くは「日本国民」または「国民」です。
ところが、自民党改正草案では、新設された条文の一部の主語は、「国」になっています。
たとえば、第9条の3は「国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない」とあります。
よく読むとおかしな文章です。
どこがおかしいか、ぜひお考えください。
ちなみに、平和主義をうたう現行憲法第9条の主語は、次の通り、「日本国民」です。

第9条(現行) 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
自民党草案では、最後の「永久に放棄」が「使用しない」に変わっています。
また、新たに2項として、「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」と明記されました。
念のために言えば、戦争は常に「自衛権の発動」だと、私は思っています。
どんなに「侵略目的」と見えても、当事者にとっては「自衛」の要素があるはずです。
この条項に続いて、「国防軍」の条項が出てくるのです。

今回、問題にしたいのは、そうした国防軍のことではありません。
新たな条文の主語に「国」が使われだしていることです。
国民が主語の憲法から、国家が主語の憲法への指向がでているということです。

前に書きましたが、私は、主語が組織や制度から人間へと移っていくのが、歴史の流れだと思っているのですが、まさにそのベクトルには逆流しているのです。

それにしても、国民主権である国家における、行為主体としての国家とは、いったい何なのでしょうか。
国家に協力する?
頭が混乱してしまいます。

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2013/05/04

■節子への挽歌2070:見ず知らずの韓国人からのメッセージ

節子
昨日、韓国の金孝東さんという人から、突然のメールがきました。
長いですが、一部を編集して紹介します。
金さんも、それを望んでいるようですので。
ちなみに、金さんは日本語ができないようで、ハングルで書いたものを自動翻訳をつかって日本語に置き換えています。
それをさらに私が少し修正していますので、もしかしたら誤読があるかもしれません。

あなたの記事をインターネットで、節子への挽歌1948「みんなの幸福」に出会い、あなたを知りました。 この記事に深く共感しました。 他の記事も読んで、あなたに手紙を送る勇気を得ることができました。 私は韓国で、自然音楽を人々に伝える活動をしています。 その活動に取り組んでいる理由は、宮沢賢治のように、「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」と思っているからです。

私は日本人を深く愛しています。
韓国と日本は、歴史的に非常に密接であるだけでなく、昔は同じ民族でした。
そのため、日本人の将来についても、とても心配しています。
もし大地震が来たら、日本人たちは新しい生活の場所を見つける必要があります。
日本人を最も助けられる国は韓国です。
歴史的に日本と韓国は、良好な関係がなかったが、
今から準備をしたら、韓国人は日本人と一緒に生きていくことができます。
そのため、私は日本人と韓国人が一緒に生きていくための準備をしようとします。

何も起こらなければ、それが一番です。
ただ、韓国人と日本人が仲良くできるように心配するだけですから。
それだけで良いのです。
しかし、そうでない場合は、私たちは、未来を準備する必要があります。
私は今、これを一緒に心配する日本人を知っていません。
このような私の意味を理解して、日本の友達を作りたいと思います。
そして、一緒に、日本人と韓国人が家族のように過ごすことができるように考えていきたいと思います。
あなたは、私のこの心を理解してくれると思います。
あなたの応答を待ちましょう。

金さんがどんな人かは知りません。
年齢も分かりません。
しかし、節子の縁で知り合った以上は、返信しないわけにはいきません。
早速、返信しました。

さて、これからどう展開するか。
この挽歌から始まった交流は数名いますが、外国人ははじめてです。
お会いするのが、楽しみです。

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■原発の輸出を認めて、原発再稼働反対はありません

新聞によるとトルコに対する原発輸出がほぼ決まったようです。
大きな後ろめたさを感じます。
原発再稼働ほどの話題にならないのも気になります。

原発反対にはいくつかの立場があります。
原発そのものの存在に反対なのか。
自分の住んでいる地域、あるいは国家に原発があることに反対なのか。
安全運転できない原発に反対なのか。

私は、第一番目の立場です。
原発の安全性は、運転の安全性の問題ではなく、存在(原理)の安全性だと思っています。
ですから、国内での稼働であろうと海外での稼働であろうと同じことです。
自分の生活地域の範囲に原発はあってほしくはありませんが、だからと言って、ほかの地域ならいいという話ではありません。
原発を輸出することと国内の原発を稼働させることは、私にはまったく同値です。
原発輸出を認めるのであれば、国内の原発再稼動には反対できません。
危険なものを他者に押し付けて、自分たちだけ利益を得るのは、気持ちの良いものではありません。

憲法改正をやりやすくしてから、憲法9条を改正するというやり方と同様、原発輸出を行い、原発への恐怖感を緩和してから、国内原発を稼働させる。
いずれも狡猾なやり方です。
原発輸出とは、実に気分の悪いニュースです。

原爆も原発も、企業本は核分裂であり原子力です。
Nuclear という英語には、核兵器と原子力と言う二つの意味がありますので、英語圏の人は原爆と原発は同じものだとすぐわかるでしょうが、日本では核兵器と原子力発電とは言葉が違います。
ですから、あの大江健三郎さんでさえ、原子力発電を肯定してしまったのです。
彼の想像力はいかにもお粗末だと思いますが、しかし、大方の人は同じ落し穴にはまっていたはずです。
そういう間違いは、アインシュタインにしてもバートランド・ラッセルにしても、陥っています。
その愚を繰り返したくはありません。
原発稼動と原発輸出とは同じことなのです。
そのことをしっかりと認識しておきたいものです。

このままだと、日本はまた、原発大国になりそうです。

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■自民党憲法改正草案による亡国への道:その7

自民党の憲法改正草案の大きな問題は、第9条と天皇の位置づけです。
いずれも、さまざまな人がすでに語っていますので、それに付け足すほどの私見はありません。
天皇に関して言えば、なぜオランダの皇室のようにならないのかという気はしますが、私の手におえるテーマではないので、書き控えます。
皇族のみなさまには、ただただ同情し、感謝するだけです。

第9条ですが、これもあえて付け加えることはないのですが、問題のとらえ方には大きな危険性を感じます。
それは、解釈改憲によって進められてきた結果としての現状と憲法条文のずれがあるから、現実に合わせるのだという論理思考への危惧です。

現実と条文が違うのであれば、現実を正すのが、憲法の存在意義です。
憲法を変えることによって現実に合わせるという発想は、憲法の規範性を否定するものです。
放射線汚染が広がったので、安全基準を変えてしまおうというのと同じです。

テレビで自民党の議員が、北朝鮮がミサイルを発射するというのに、日本の攻撃力を高めないでいいのかというような発言をしていましたが、これこそ冷戦時代に流行ったハーマン・カーンの「エスカレーション発想」です。
私は、当時もオスグッドの「一方的削減発想」に賛成でした。
歴史は、そのほうが効果的だったことを示しています。
北朝鮮にとっては、第二次世界大戦前の日本と同じく、攻撃の包囲網の中で、いたたまれなくなっているのかもしれません。
北朝鮮の好戦的な姿勢が、だれを利しているかを考えると、私は北朝鮮だけを批判する気にはなれません。
北朝鮮の水際外交と日米の軍事力の存在はセットで考えなければいけません。

防衛軍の設置は愚策だと思いますが、それ以上に私が危惧するのは、「現実と規範が違っていたら現実に合わせて規範を変える」という発想です。
こうした安直な発想が、さまざまなところで広がっていますが、国家の大元の憲法にさえ、それが行われるのかと思うと、恐ろしさは高まります。
いうまでもなく、この発想は憲法は「変えやすくする」という発想とつながっているのです。
つまり規範の私物化あり、憲法の否定です。

国民の手に憲法を取り戻すのではないことは、明らかです。
この発想が、日本を滅ぼしていくでしょう。
悪貨が良貨を駆逐する。
社会の崩壊は、ここから始まります。
規範がなくなれば、社会は壊れるしかないのです。

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■自民党憲法改正草案による亡国への道:その6

憲法の存在意義は、国家権力の暴走を抑えることだといわれます。
つまり、憲法を守るのは国家権力だというわけです。
中学校で習った、マグナカルタ(大憲章)は国王の権限を制限するためのものでした。
マグナカルタは、現在もなお、イギリスの憲法の一部を構成しています。
憲法は国家が守るもの、法律は国民がも守るもの、という人もいます。
ところが、自民党憲法は、憲法は国民が守るべきことだと明言しています。

次の条文が、「憲法尊重擁護義務」の冒頭に新設されているのです。

第102条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
この条文は、現行憲法の第99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」の第1項として追加されています。
そして、この条文は、「天皇又は摂政」が削除され、「国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う」と修正されて第2項にされています。
「天皇又は摂政」が抜かれていることの意味も非常に大きいのですが、それはまた項を改めることにします。
ここで強調しておきたいのは、憲法の意味がまったく変わっているということです。

権力の私物化の姿勢が、ここにもはっきりと示されています。
13世紀のイギリスのジョン王も、こうした憲法ができたら、大喜びだったでしょう。
この自民党憲法で喜ぶのは、誰なのでしょうか。

この憲法が実現したら、日本は大きく変わっていくでしょう。
立憲国家ではなくなりかねないのです。
立憲主義に基づかない法治国家の意味を問い直さなければいけません。

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■自民党憲法改正草案による亡国への道:その5

日本国憲法の3原則として、「国民主権主義」「平和主義」「基本的人権尊重主義」があげられています。
これは中学校で学んだことです。
おそらく最近も変わっていないでしょう。
自民党の憲法改正草案は、この3つの原則に関する見直しを含んでいます。
もちろん「前進の方向」ではなく「後退の方向」での見直しです。

基本的人権に関して見てみましょう。
現行憲法では、12条や13条の前に、「基本的人権の享有」として11条が置かれています。

第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
これが次のように変更されています。
第11条 国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。
ほとんど変わっていないように見えますが、「享有を妨げられない」が「享有する」に、「権利として、現在及び将来の国民に与へられる」が「権利である」に変わっています。
瑣末な違いのように見えて、そこには深い意味が含まれているように思います。
つまり、一般論を語るだけにとどめて、それを妨げるとか守るという姿勢は削除されています。

この条項は、現行憲法では第97条につながっていきます。

第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
自民党草案では、この条文は削除されています。
確かに、条文としてあまりふさわしい条文ではないかもしれませんが、この条文は基本的人権を制限するような後戻りは、もうしないという、現行憲法の根本思想の一つでもあります。
権力が、国民個人の基本的人権をおろそかにすることは、よくあることです。
だからこそ、屋上屋を重ねるような形で、この条文が加えられているのです。
しかも、その位置は、「第10章 最高法規」の冒頭です。
この条文の後に、「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」という第98条があるのです。

こうした改正草案から、何が見えてくるでしょうか。
私には間違いなく見えてくる未来があるのですが。

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2013/05/03

■自民党憲法改正草案による亡国への道:その4

「憲法を改正すべきかどうか」という問いは、まったく意味のない問いかけのように思います。
意味がないどころか、危険です。
なぜならば、その問いが意味していることは人によってまったく違った意味を持つからです。
たとえば、第9条ですが、国防軍を持って海外の戦争に参加したい人も、いま以上に戦争に参加できなくなるようにしたい人も、改正すべきだと回答するかもしれません。
その答が多義的である質問は、意味のない問いなのです。
数の上での結果が出たとしても、その意味が一義的に決まらないからです。
その結果の数字を、どう使うかは、使い手の意向次第ということになります。
「改正」の対象と方向をあいまいにしたままでの問いは、危険です。

しかも、完璧な法律などはありえません。
現行憲法も、条文の表現でおかしな文章はたくさんあります。
これについては、前回紹介した武田文彦さんの著書に詳しく指摘されています。
ですから、どんな法律も、変えたほうがいいという表現は必ずあります。
にもかかわらず、「憲法を改正すべきかどうか」などという問いかけで世論調査が行われます。
改正するほうの意見が大きくなることは当然ですが、その結果が、見事に利用されるわけです。

大切なのは、「改正すべきかどうか」ではなく、「何を変えるか」です。
少なくとも、条文ごとに、しかも条文の背後にある思想についての賛否を問うべきです。
しかし、最近の電話による世論調査はそんなことはできないでしょう。
思想は、そう簡単には理解を共有化できないからです。
私も一度、回答者に選ばれたことがありますが、極めて簡単な選択肢からの直感的な判断が求められます。
昨今の安直な世論調査は、あることを意図している人にとっての、単なるマーケティング手法でしかありません。
広い意味での社会にとっては、百害あって一理なしです。

手続法と違って、憲法を変えるということは、思想を変えるということにつながります。
96条から議論していくということは、ともすれば手続き論の話にされかねません。
そこにも「悪意」を感じます。
国家の大本の憲法の議論は、フェアに取り組まなければいけません。

それにしても、いまの憲法改正論議を見ていると、憲法をあまりに軽く、位置づけています。
憲法は、すべての法体系の拠り所なのです。
法律改正と同じような発想で、憲法を改正することは、どこかに違和感があります。
アメリカ憲法のように、修正条項を追加していくのであればともかく、憲法そのものの精神を変えていこうというのであれば、そのことを国民にもっときちんと理解させた上での、時間をかけた、しっかりした議論が必要だと思います。
自民党だけではなく、広く議論を重ねていく、新憲法起草委員会を国家レベルで立ち上げるべきだろうと思います。

安直に国会で決議すべき事項ではないように思います。

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■節子への挽歌2069:農作物栽培を再開します

節子
節子が耕した家庭菜園に、今年は野菜も育てることにしました。
来客が来るまでやることがなかったので、いろいろと考えているうちに、また余計なことを決めてしまいました。

節子の計画通り、道路に面したところは花畑にし、後ろのところは野菜畑に戻そうと思います。
数日前から少しずつ作業を始めたばかりなので、まだ確実とはいえませんが、気が変わらないうちに、夕方、帰宅したら苗を買いに行こうと思います。
いや、その前に墓参りに行ったほうがいいですね。
今日は、節子の月命日ですから。

節子がいなくなってしばらくは、毎月3日は自宅で節子を偲んでいました。
しかし、最近はあまり意識しなくなってしまいました。
薄情者と言われそうですが、まあ、人間はそんなものです。
立場が逆になっていても、たぶん節子も私と同じでしょう。
最近は、月命日であることも忘れて、墓参りも忘れてしまうほどです。
これは喜ぶべきことか悲しむべきことか。
3日に限らず、毎日が命日だとも言えますし、もう5年も経ったのだから喪が明けたともいえます。
どちらにしましょうか。

家庭菜園の話でした。
節子だったら、何を植えるでしょうか。
トマトときゅうりとなすと、まあ今年はそんなところからはじめようと思います。
気になるのは、放射線汚染ですが、まだ線量計を買えずにいます。
お金はあっても困りますが、なくても困ることもありますね。
困ったものです。

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■節子への挽歌2068:憲法を読みました

節子
連休のさなかに、湯島に来ています。
午後から2組の来客があるのですが、午前中から来ていました。
休日なので、とても静かで、空気もいつもとは違います。
以前もこんな感じの時があったなという気がしますが、いつだったか思い出せません。
しかし、静かです。

今日は、憲法記念日です。
それで、日本国憲法を先ほど読み直しました。
日本国憲法は、武田文彦さんが、「赤ペンをもって憲法を読もう」という本を書いていますが、条文はとても粗雑です。
武田さんでなくとも、添削したくなります。
章によって、まとめ役が違ったようで、全体の編集も十分にされているとは思えません。
気になる表現もたくさんあります。
しかし、そうした表層的なことはともかく、その精神はやはり感動的です。
私は、この憲法のもとで人生を過ごせることに、幸せと誇りを感じます。
国民であるならば、年に少なくとも1回は、憲法の全文を読むべきだと思いますが、平和運動をしている人でさえ、きちんと読んでいないのではないかと思うこともあります。
そんな人たちの護憲運動や平和運動には、加担できずにいます。

しかしいま、その憲法が変えられようとしています。
これは由々しきことだと思いますが、多くの国民は無関心です。
無関心どころか、憲法を変えてしまおうとする自民党を、前回の選挙では大勝させてしまいました。
そんな人たちと共に生きていることに、悲しみと怒りを感じます。

今年は、自民党の憲法改正草案も読んでみました。
読むのさえもおぞましかったのですが、変えられてからでは遅すぎます。
気になる条文は読んではいたのですが、全文の通読は初めてです。
やはり恐ろしい悪意を感じます。
自民党の前回の選挙スローガンに明示されていたように、彼らは日本を取り戻そうとしているのがよくわかります。
「日本を取り戻す」という、あのスローガンの主語は、国民ではなく、安倍さんたちです。
節子が、いたらどう思うでしょうか。
生活感覚での正義感が強かった節子と一緒に、デモに出かけられないのが残念です。

まだ一人で、デモに参加する気力が戻ってきていません。
困ったものです。

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2013/05/02

■節子への挽歌2067:相変わらずの時間感覚のだめさ加減

節子
今日はとんでもなく忙しい日になってしまい、お墓参りも行けずに終わってしまいました。
忙しくなったのは、あることをするために必要な時間を予測し間違えたからです。
2時間もあれば終わるはずの用事が、なんととんでもない誤算で、仕方なくユカにも応援を頼んだのですが、それでも4時間以上かかってしまいました。
実はまだ終わっていないので、私の予測の甘さがとんでもないことが良くわかります。
おかげで、ほかの予定していたことがほとんどできませんでした。
午前中に、畑に行っておいたのでよかったですが。

実は、こうしたことはよくあったことで、節子は何回も体験していたでしょう。
私は、物事を極度に簡単に考える傾向があり、いつも失敗するのです。
1時間で出来ると予測していたのに、1日かかったりしたりするわけです。
私の時間感覚は、とんでもなくずれているのです。
その上、自分を時間的に追い込んでいく習癖があります。
時間を追い込んでいくと、予想以上に効率が上がり、早くできるからです。
それに、それまではのんびりできるのですから、2種類の時間を楽しめることになります。
ですから、締め切りには間に合いそうもないところまで、取りかからずに、もう無理かもしれないというところまで引き伸ばしてしまうのです。
その余波を受けて、節子はかなり迷惑を受けていたはずです。
久しぶりに、今日はそうした私のだめさ加減を体験しました。

この連休で生活を立て直そうと思っているのですが、いささか心配になってきました。
さて、気を引き締めて、明日は頑張りましょう。
しかし、急に明日は湯島に行かなければいけなくなりました。
2人の人から、会いたいという連絡が来たのです。
迷ったのですが、今朝、お2人に会う約束をしてしまいました。
もちろん別々の用事です。
さてどんな用件でしょうか。
それでまた連休の後半がすっ飛んでしまうかもしれません。

まだ今日の予定は終わっていないのですが、今日の完成は諦めて、眠ることにしました。
明日になれば、間違いなく太陽は上がってきますし、まあ予定がずれたところで、どこかでうまく調整できるでしょう。
しかし、それにしても、私の時間感覚は、どうにかならないものでしょうか。
娘にも悪いことをしてしまいました。

さて眠りましょう。

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■自民党憲法改正草案による亡国への道:その3

前回書いた「公益及び公」という表現は、ほかにも出てきます。
第12条、第13条、そして第29条です。
それぞれ、「国民の責務」「人としての尊重」「財産権」を定めたものですが、現行憲法では「公共の福祉」とあるところを「公益及び公の秩序」に変更しています。
「公共の福祉」も意味があいまいな、危険な言葉ですが、公より公共が、秩序より福祉が、私には「より良い」ように感じます。
ちなみに、現行憲法では、このほかにも「公共の福祉」は第22条の「居住・職業選択の自由」にも「公共の福祉に反しない限り」自由だと書かれていましたが、なぜかその条文では「公共の福祉」も「公益及び公の秩序」も削除されています。

公共の福祉や公益などに関しては、議論しだしたらこれまた際限がない言葉ですが、私には発想の基本的な視点が違っているように思います。

私は、時代の大きな流れを、「組織(制度)起点発想から個人起点発想へ」と捉えています。
「個人」というと誤解を受けそうですが、ここでは「つながりの中での個人」と捉えています。
これに関しては、私のホームページでも最初のころに立場を明確にしていますが、私のこれまでの生き方は、この姿勢で貫いてきています。

公共には、人の生活をぶつけ合いながら共通の道を探っていくという、草の根からの、そして水平的な関係を感じます。
そこには、生きた人間のさまざまな表情があります。
それに対して、「公益」とか「公の秩序」は、個人とは別の次元からの、つまり個々人を超えた全体から個人を見下ろす姿勢を感じます。
そこには、生きた人間の息吹や表情は感じられません。
そこにあるのは、つめたい秩序です。
こう感ずるのは私だけかもしれませんが、そんな気がしてなりません。

現在の憲法で、私がとても重要だと思っているのが第13条です。
個人の尊厳をうたっている条項です。

第13条 [個人の尊重と公共の福祉] 
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする。

この「公共の福祉」も「公益及び公の秩序」に変えられています。
私にはとても違和感があります。
まさにコラテラル・ダメッジの強調です。

憲法に限らず法律は、自然科学の法則と違い、数式で一義的にきまるようなものではなく、文字で表現する以上、変化する社会に柔軟に対応していける多義性を持っています。
しかし、そうした表現の背後にある「思想」や「発想の枠組み」、あるいは「目指す国家像」は、注意すると見えてきます。
96条は、あまりにも露骨にそれが見えますが、「公益及び公の秩序」は、それ以上に、大きなパラダイム転換を暗示しています。

万一、これが通るようであれば、私にはとても生きづらくなることは間違いありません。
私は、社会のためや国家のために生きたくはありません。
自分が納得できる人生を送りたいですし、そのためには表情のある人たちに囲まれていきたいです。
個人の笑顔の上にこそ、秩序は成り立つべきだと、私は考えています。
そうすれば、憲法や権力から強制されなくても、この国が好きになり、いま生きている社会を大事にしていけます。
国民を私物化するための憲法は、論理矛盾な存在です。

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■自民党憲法改正草案による亡国への道:その2

今回は、これも話題になっている21条です。
21条は「言論の自由」の条項です。
現憲法では、次のようになっています。

第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

自民党の改正案では、これに加えて、次の項が新設追加されています。

  前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。

これはその運用によっては、実に恐ろしい条項です。
その危険性に関しては、すでに多くの人が指摘しているので、あえて追加する必要はないでしょう。
ただ一言だけ、指摘しておきたいのは、「公益及び公」というマジックワードの恐ろしさです。
今日も、この問題を解説していたテレビ番組で、「個 対 公」という構図で説明していましたが、この二項対立で社会をとらえると、そこには上下関係がどうしても生まれます。
なぜなら、個と公とは次元の位相が違うからです。
公には私が、個には共が対置されるべきではないかと、私は思います。
しかも、「公」ということばには、なにか威圧感を感じます。
私の関心事は、「コモンズの回復」ですが、共(コモンズ)という3つ目の視点を入れると、世界の風景は変わって見えてきます

自らをアナリストとする弁護士の遠藤誠さんは、遺作になった『道元「禅」とは何か」の第6巻で、次のように書いています。

いわゆる「新しい歴史教科書を作る会」の言っている公益とか公ということは、「何でも政府の言いなりになれ」という日本の国家権力礼讃論にすぎません。だから、日本の国家権力が惹きおこした日清戦争・日露戦争・韓国併合・満州事変・日中戦争・太平洋戦争を、正しい行動だったと言っているわけです。
これは多くの人が持っている「公」とか「公益」のイメージとはかなり違うでしょう。
そこに、言葉の恐ろしさがあります。
これに関しては、また改めて書きたいですが、日本人は、そうした言葉のまやかしに弱いように思います。
誰も真剣に、言葉の意味を考えずに、安直に使っているからです。

話を戻して、21条の第2項を読み直してみると、私が生まれた年に全面的に改正された治安維持法をどうしても思い出してしまいます。
治安維持という言葉も、実に恐ろしい言葉です。
シリアや北朝鮮をみればわかるように、誰にとっての「治安」かで「秩序」の意味はまったく違ってくるからです。

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■自民党憲法改正草案による亡国への道:その1

先月のオープンサロンで、自民党による日本国憲法改正草案が話題になりました。
参加者の一人、武田文彦さん(慶応大学大学院講師)が、ちょうど、その逐条批判を書き上げたところで、その原稿を持ってきてくれたからです。
その批判文は、まだ了解を得ていないので、私のサイトには掲載できませんが、掲載したところで、長文なのでなかなか読んでもらえないでしょう。
400字詰め原稿用紙で300枚以上です。
私もまだ読んでいません。

私にとっては、安倍政権のもとでの自民党改正案は、まともな批判の対象にさえならない亡国の書だと思っていますので、このブログでも採りあげるつもりはありませんでしたが、なにやら現実味を帯びてきたので、少しは書いてみる気になりました。
論点はいくつもありますので、何回かに分けて書こうと思います。

96条の改正が、どうも目先の問題になっているようです。
これは、要するに、政権にとって憲法改正をしやすくしよう、つまり「私物化」しようということです。
安倍政権は「日本を取り戻そう」と呼びかけて選挙に大勝しました。
私の娘は、選挙のころ、主語は誰なのか、と言っていました。
友人からは、主語は安倍さんだよ、と言われたそうです。
なるほど、国民から安倍さんが日本を奪ったというわけです。
そう考えると、憲法の私物化は、その当然の帰結です。

もっとわかりやすく言えば、泥棒に家の鍵を渡すようなものですが、もし仮に、二大政党制度が定着すれば、国政の軸としての、憲法の意味はなくなります。
時の政権政党が勝手に変えられるようになるからです。
国民投票が歯止めとしてあるという意見もありますが、泥棒に鍵を渡すような国民の投票など無意味です。
選挙制度は、うまく仕組めば、いかようにも結果を出せるのかもしれません。
原発再稼働支持の前回の選挙結果を見て、つくづくそう思いました。
国民投票に甘い期待はかけられなくなってしまいました。

主権が認められない時期に、押し付けられた憲法ではないか、という人もいます。
たしかにそうかもしれませんが、その憲法を多くの国民は、歓迎し、その憲法のもとに新しい日本を創りあげてきたことを忘れてはいけません。
もし主権者に支えられた憲法を創りなおすのであれば、国民投票は、すべての国民の過半数の賛成がなければ改正できなとしたほうが、理にかなっています。
いずれにしろ、憲法は、そんなに簡単に変えられるようになっては、そもそも憲法の意味がありません。

とまあ、いささか月並みの退屈なことを書いてしまいましたが、まあ96条の改正は実現はしないでしょう。
そう思います。それほどまだ、日本は壊れてはいないでしょう。
むしろこれを契機に、憲法を多くの人がきちんと読み直し、その意味を考えてほしいです。
サロンに参加した武田さんのこんな本があります。
「赤ペンをもって憲法を読もう」(かんき出版)
よかったらお読みください。
もし読みたいという方がいたら、先着2名様に贈呈しますので、私にご連絡ください。

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■節子への挽歌2066:義姉の入院

節子
節子のお姉さんが入院です。
26日に手術しましたが、術後は順調に回復しています。
しかし1か月ほどの入院になりそうで、義兄は大変です。
私と同じく、自炊が苦手な人のはずですから。
節子がいたら、しばらくは敦賀で手伝いができるのですが、私ではまったく役にはたちません。
今日、ユカに頼んで、レトルト加工食品類を山のように送ってもらいました。
これはユカのアイデアです。
もっとも近所の人たちが、毎日のようにおかずを届けてくれているようです。
地方には、まだそうした文化が残っています。
それに節子以上に義姉は世話好きですから、こういう時にはみんなが支えてくれるのでしょう。
それが一番の財産です。

今の世代は違いますが、私たちの世代は、まだ家庭内での夫婦の役割分担がかなり明確でした。
夫は外で働き、妻は家を支える、という感じです。
そういう生活をしてきたので、料理が一番苦手です。
義姉も、多分、入院する自分よりも、家に残る夫のほうが心配なことでしょう。

節子も、彼岸に旅立つ自分よりも、此岸に残る私のことが心配だったはずです。
そんなことを思い出しました。
夫婦とは、自分をさておいて、相手のことを気遣うものなのです。
親子もそうでしょう。
そして、それは「人間の本性」なのではないかと、この頃、感じます。
伴侶や家族に限らず、最近は気になる人が多くなりました。
騙されてもなお、気になってしまうのは、なぜなのでしょうか。
生きている人は、みんあ幸せになってほしいと思います。

節子がいたら、どう言うでしょうか。
いや、彼岸の節子は、今の私をどう見ているのでしょうか。
きっと、笑いながら、修らしいといっているでしょう。
節子を失望させないように、そういう生き方を守っていきたいと思います。

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2013/05/01

■節子への挽歌2065:一度だけのかなしい顔

イギリスのテレビドラマの「シャーロック」の第2シーズンの3作品をまとめてみました。
先日、思い出して、この挽歌にホームズの言葉を書いたのですが、そのせいか、また観たくなってしまったのです。
今日は、家庭農園の草取りをした後、死にそうなほど疲れたので、3作品を通してみてしまいました。
このドラマは、放映されていた時にも観たのですが、私好みのテンポです。
それにこのドラマに出てくるホームズは、実に私好みなのです。
ともかく性格が悪く、支離滅裂で、私が、なれるものならそうなりたい、理想のタイプです。

このドラマは、コナン・ドイルの原作をしっかりと踏まえて、それを現代に置き換えた、新しい物語に仕上げているのですが、原作を見事に活かしています。
第2シーズン最後の作品は、シャーロック・ホームズ最後の事件のライヘンバッハの滝を踏まえた作品です。
原作と違って、あるいは同じく、ホームズはビルの屋上から飛び降りて死ぬことで終わっています。
ホームズの作品を読んだことのある人なら、当然、わかるように、もちろんホームズは死にません。
しかし、少なくとも死ぬほどの苦汁を味わうわけです。

ところで、私が今回、気になったのは、その事件の途中で出てくるシーンです。
ホームズの数少ない仲間のモーリーが、ホームズに言うのです。
人前では明るい顔をしているが、私は(あなたの)かなしい顔を見た、と。
モーリーの父は、まさに死を意識した時に、そういう「かなしい顔」をしたのだそうです。
モーリーは、ホームズが死を意識していることを知って、自分に何かできる事がないかを遠まわしに伝えたのです。
前に見た時には、このセリフは私の心を通り抜けていたようです。
しかし、今回はぐさっと突き刺さりました。

節子はどんなに苦しくなっても辛くても、明るく振る舞ってくれました。
しかし、あまり思い出したくないのですが、一度だけ、私の顔を「かなしい顔」をして見ていたことがありました。
もうあまり言葉を発しられないほど、病状が悪化していた時でした。
視線を感じて、ベッドの節子を見ると、かなしい顔で私を見ていたのです。
その時、私はどう節子に対応したのか、まったく記憶がないのですが、その顔のことを、節子を見送ってしばらくしてから、時々、思い出します。
あれは、幻だったのだろうかと思いたい気分も強いのですが、おそらく実際にあったことだと思います。
その顔にたえられずに、私はしばらくその記憶に蓋をしてしまっていたのです。
その顔を思い出すたびに、節子になんと応えたのだろうと思い出そうとするのですが、なにも思い出せません。
私は、節子をなぐさめたのでしょうか。
笑いながら、元気を出そうよ、と肩を抱きしめたのでしょうか。
何をしたかが、まったく思い出せない。
ただただ「かなしい顔」の節子が、そこにいるのです。
あの時は、たぶん節子はもう彼岸との往来を始めていたころです。

ホームズは、第3シーズンで戻ってくるでしょう。
しかし、節子は戻ってこない。
私がホームズほど、頭脳明晰ならば、取り戻せたのかもしれません。
節子の、「かなしい顔」に応えられなかった自分が情けなく、怒りさえ感じます。

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■節子への挽歌2064:花畑作りに着手

節子
重い腰を上げて、わが家の家庭菜園の手入れに行きました。
一人ではどうしても行く気が起きずに、娘たちにも応援を頼みました。
このままだと、また昨年のように、草と笹が全面を覆ってしまい、野菜どころか花畑にもなりません。
しかし、土の仕事は、この歳になるとこたえます。
娘たちの応援を得て、ようやく一部の草を刈り取り、耕し、花のタネを蒔きました。
芽が出てくるといいのですが。
この調子で、少しずつ花畑にしていけば、夏にはきっときれいな花畑になるでしょう。
しかし、節子がいないことを考えれば、「この調子」が続く保証はありません。
いささかの心配はありますが。

農作業の手ほどきは、
節子から受けました。
節子はうまかったわけではありませんが、好きだったのです。
転居前も、わが家の隣の宅地が売れずに空いていたため、そこを借りて、野菜を作って、近くの子どもたちと芋ほりをしたり、カレーパーティをやったりした記憶があります。
転居後の畑も宅地なので、ひどい土壌でした。
それをやっと農作物が作れる土づくりに成功し、そろそろ近所の子どもたちと芋ほりしながらのパーティだと楽しみにしていたところで、節子は病気になってしまいました。
節子がいたら、この近隣の付き合い方も、もう少し変わったかもしれません。
今も近隣関係はとてもいいのですが、もっと深まったはずです。
それが出来なかったのが、とても残念です。

今年の夏からは、節子の位牌壇に、わが家の花畑の花を供えられるかもしれません。
そうできるように、がんばりたいと思います。
節子がいたら、楽しい作業になるのですが、一人だと、がんばらないと続きません。
困ったものです。

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