■節子への挽歌2083:バラ園
節子
バラが咲き出しました。
大きくなりすぎた「ナニワイバラ」はほとんど刈り取ってしまいましたが、いろんなところのさまざまなバラが少しずつ咲き出したのです。
先日、娘が谷津の京成バラ園に行きましたが、そこで確認したら、わが家のナニワイバラは東アジア原産のものだったそうです。
節子は知っていたでしょうか。
ところで、私たちは、バラ園にはあまり恵まれていませんでした。
すごいと思ったバラ園には出くわせていないのです。
だからバラ園にはあまり華やかな思い出はありません。
娘たちがよかったという京成バラ園にも、節子と一緒に行こうとしたことがあります。
ところが車で行ったため、渋滞で行きつけませんでした。
理由は全く思い出せませんが、渋滞の最中に夫婦喧嘩になり、結局、バラ園に行くのはやめてしまい、近くの名前も知らない寂れた公園のベンチで、2人でふてくされあって仲直りしたような気がします。
私たちは、ともかくよく言い合いました。
いわゆる「犬も食わない夫婦喧嘩」ですが、なんであんなに言い争ったのでしょうか。
まあ、お互いに関心を持ち合いすぎたのかもしれません。
喧嘩も仲良しのうち、といえるようなことがほとんどでした。
「ほとんど」であっても、「すべて」ではないところが、ミソですが。
期待はずれだったバラ園は、イランのエラム庭園でした。
期待はずれの理由は、シーズンが終わった後だったからです。
エラム庭園は「薔薇の都」と言われるシラーズにあります。
エラムとは、ペルシャ語で「楽園」を意味するそうですが、とても美しいところで、残っている宮殿の建物も見事でした。
全体がまさに「楽園」的な雰囲気でしたが、残念ながら肝心のバラは、盛りが終わった後で、いささか無残でした。
イランは、私たち夫婦の最後の海外旅行でした。
その後、国内のバラ園にも行く機会がありましたが、なぜかどこも盛りを過ぎた時期でした。
シーズン外れに行く私たちが悪いのですが、まあ私たちは、バラ園にはどうも縁がなかったようです。
しかし節子はバラが好きでした。
一番好きだったのは真紅のバラでしょう。
20年以上前のことですが、私の友人が、節子に真紅のバラ束をプレゼントしてくれました。
私より若い男性ですが、節子はその後、その人がお気に入りになりました。
あの人は良い人だし、ハンサムだと知的だとほめていました。
まあ私は節子に花のプレゼントなどしたことがありませんので、それへのあてつけだったかもしれません。
幸か不幸か、その友人は忙しくてあまりやってくることはなかったので、それ以上の話に進展しなかったのですが、以来、わが家も湯島もバラが、それも真紅のバラが活けられることが増えたような気もします。
ちなみに、私も真紅のバラは大好きです。
わが家のバラは、節子がいなくなってから、一時期、手入れ不足で枯れてしまったものもありますが、それでもいまも10種類以上のバラがあります。
私はどれがどれだか忘れましたが、娘はそれぞれのバラの由緒を知っていて、これは節子がどこそこで買ってきたとか、だれそれから貰ったとか教えてくれます。
まあ聞いてもすぐ忘れてしまいますが。
イランではバラの種は買わなかったのでしょうか。
今となっては、確認のしようもありません、
バラが咲き出すともう夏です。
| 固定リンク
「妻への挽歌11」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌2200:宝くじを買わないと人生を全うできない感じです(2013.09.10)
- ■節子への挽歌2199:退歩(2013.09.09)
- ■節子への挽歌2198:相思花(2013.09.08)
- ■節子への挽歌2197:彼岸花が咲き出しました(2013.09.07)
コメント