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2013/05/02

■自民党憲法改正草案による亡国への道:その3

前回書いた「公益及び公」という表現は、ほかにも出てきます。
第12条、第13条、そして第29条です。
それぞれ、「国民の責務」「人としての尊重」「財産権」を定めたものですが、現行憲法では「公共の福祉」とあるところを「公益及び公の秩序」に変更しています。
「公共の福祉」も意味があいまいな、危険な言葉ですが、公より公共が、秩序より福祉が、私には「より良い」ように感じます。
ちなみに、現行憲法では、このほかにも「公共の福祉」は第22条の「居住・職業選択の自由」にも「公共の福祉に反しない限り」自由だと書かれていましたが、なぜかその条文では「公共の福祉」も「公益及び公の秩序」も削除されています。

公共の福祉や公益などに関しては、議論しだしたらこれまた際限がない言葉ですが、私には発想の基本的な視点が違っているように思います。

私は、時代の大きな流れを、「組織(制度)起点発想から個人起点発想へ」と捉えています。
「個人」というと誤解を受けそうですが、ここでは「つながりの中での個人」と捉えています。
これに関しては、私のホームページでも最初のころに立場を明確にしていますが、私のこれまでの生き方は、この姿勢で貫いてきています。

公共には、人の生活をぶつけ合いながら共通の道を探っていくという、草の根からの、そして水平的な関係を感じます。
そこには、生きた人間のさまざまな表情があります。
それに対して、「公益」とか「公の秩序」は、個人とは別の次元からの、つまり個々人を超えた全体から個人を見下ろす姿勢を感じます。
そこには、生きた人間の息吹や表情は感じられません。
そこにあるのは、つめたい秩序です。
こう感ずるのは私だけかもしれませんが、そんな気がしてなりません。

現在の憲法で、私がとても重要だと思っているのが第13条です。
個人の尊厳をうたっている条項です。

第13条 [個人の尊重と公共の福祉] 
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする。

この「公共の福祉」も「公益及び公の秩序」に変えられています。
私にはとても違和感があります。
まさにコラテラル・ダメッジの強調です。

憲法に限らず法律は、自然科学の法則と違い、数式で一義的にきまるようなものではなく、文字で表現する以上、変化する社会に柔軟に対応していける多義性を持っています。
しかし、そうした表現の背後にある「思想」や「発想の枠組み」、あるいは「目指す国家像」は、注意すると見えてきます。
96条は、あまりにも露骨にそれが見えますが、「公益及び公の秩序」は、それ以上に、大きなパラダイム転換を暗示しています。

万一、これが通るようであれば、私にはとても生きづらくなることは間違いありません。
私は、社会のためや国家のために生きたくはありません。
自分が納得できる人生を送りたいですし、そのためには表情のある人たちに囲まれていきたいです。
個人の笑顔の上にこそ、秩序は成り立つべきだと、私は考えています。
そうすれば、憲法や権力から強制されなくても、この国が好きになり、いま生きている社会を大事にしていけます。
国民を私物化するための憲法は、論理矛盾な存在です。

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