■節子への挽歌2087:「私はこんなに生きたいと思っているのに、人生を大事にしない人がいるなんて」
節子
またしばらく挽歌をご無沙汰してしまいました。
ちょっと気を抜くとすぐ溜まってしまいます。
最近は時間にまた追われがちです。
時間に追われるということは、ある意味で暇だからです。
というか、生活に目標やシナリオがなく、ただ時間に流されているからです。
つまり時間をきちんと管理する必要性がないので、結果的に時間に追われてしまうのです。
だから「暇なのに忙しい」というような状況になってしまっているわけです。
こういう状況に陥るとなかなか抜け出せません。
いまや私は、誰にも遠慮することなく、自由気ままに生きていても、だれも注意しないからです。
それに現世の生にはさして未練もなく、魅力もありませんから、まあどうなっても気にすることもないわけです。
正直のところ、心のどこかに、人生を投げ出した気持ちがあるようにさえ思います。
実に困ったものです。
節子が知ったら、どういうでしょうか。
「私はこんなに生きたいと思っているのに、人生を大事にしない人がいるなんて」。
節子の言葉です。
がんの転移が見つかり、再入院して戻ってきてからの節子の言葉です。
私の知人が、自殺をしたいとメールしてきたことを知っての言葉でした。
いま、その言葉を急に思い出しました。
まるで彼岸から節子が送り込んできたように、いまハッと思い出しました。
いや節子が怒っているのかもしれませんね。
困ったものだなどと言っていないで、人生を立て直さないといけません。
節子に怒られないように、もう少し人生を大事にしないといけません。
そうしましょう。はい。
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