■自民党憲法改正草案による亡国への道:その10
今回で一応、このシリーズを終わります。
その9で、家族への介入に関して書きましたが、その先にあるのが「愛国心」です。
明確な条文があるわけではありませんが、よく指摘されているように、「国旗及び国歌」が憲法に明記されました。
第3条 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。
2 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。
この条文だけを見れば、何もおかしいところはないように思います。
しかし、そこに含まれた意味は。この数年の「日の丸・君が代訴訟」がはっきりと示しています。
これについては、このブログでも何回か書いてきています。
何の変哲もない条文が、その運用によっては、大きな「やいば」になるのです。
自殺に追いやられて人もいるほどです。
私は、日の丸も君が代も好きでした。
私が、認識を改めたのは、10年ほど前に雑誌で読んだ、「良心、表現の自由を!」声をあげる市民の会の渡辺厚子さんの「私は立てない、歌えない」という文章です。
以来、私自身もどこか素直に君が代を歌えなくなり、日の丸には愛着を失いました。
それらが、この国を愛することなく私物化している一部の人たちのものだという気がしてきたのです。
自らの「愛国心」を語る人には好感が持てますが、他者に「愛国心」を強要する人には嫌悪を感じます。
そういう人は、おそらく自らは「愛国心」など微塵もないのでしょう。
だから他者もそうだと思い、強要してくるのではないかと思います。
自らの国に、誇りと自身があれば、形式的な愛国心など強要する必要はないはずです。
強要された「愛国心」などに、いったいなんの意味があるのか。
「愛」が強要できるなどと思っているのでしょうか。
愛とは、愛したくなるようなものがあってこそ、生まれるものです。
愛国心を強要する前に、愛される国になるようにならなければいけません。
そのための指針が憲法です。
愛国心を強要する為政者の下では、愛国心は育ちません。
日の丸や君が代を、これ以上、けがして欲しくないと思います。
「愛」にまで介入してくる憲法が、思想及び良心の自由(第19条)をうたっても、あんまり説得力がありません。
その先に見える風景が、とても不安です。
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