■節子への挽歌2077:最近、寛容さがなくなってきました
節子
最近、かなり性格が悪くなってきました。
それにストレスもたまってきています。
この挽歌を通して、ささやかに発散させることにします。
昨日も2人の人から、電話がありました。
考えようによっては、身勝手な依頼の電話なのです。
こちらから何か連絡しても、ほとんど反応はないのですが、頼みごとだけはよくしてきます。
出来る範囲では、対応しているつもりですが、その後、何か報告があるわけでもありません。
ペイフォワードな生き方をしている以上は、気持ちよく受けなければいけません。
しかし、そうしたことが重なるとあまり気分がいいものではありません。
それで、昨日は一人の人にはちょっと冷たく対応してしまいました。
電話を切ってから、少し自己嫌悪に陥りました。
まあ、その2人に限ったことではありません。
頼んできたので準備をしていると、その後、全く音沙汰ない人もいます。
もっとひどい話もあります。
時間と金銭をかなり負担させられたこともあります。
世間的な常識からしても、外れている大人が多すぎます。
わが家の娘だったら、そんな人と付き合うなと言うでしょう。
そういう大人が、最近は多すぎるのです。
なぜでしょうか。
みんな忙しすぎて余裕がないのかもしれません。
私だって、同じようなことをしているかもしれないので、基本的には大らかに対応したいのですが、何回も繰り返されると、いささかムッとしてしまいます。
我ながら器量が小さいと思うのですが、どうも最近、そういうことが気になるのです。
その一方で、私とは比べようもないほど、気遣いがあり、ペイフォワード的な人も多いのです。
そういう人がいる一方で、その正反対の人がいる。
だからこそ、ストレスがたまるのかもしれません。
そういう人は、見事に要領がいいのも気分がよくない理由のひとつです。
楽しくない人とは付き合わないほうがいい、おまえはだれとでも付き合いすぎだ、とむかし、友人の片岡さんに言われましたが、当時のほうが、私はだれにも寛容でした。
騙されても騙すよりはいい、と思っていましたし、それがそう苦にはならなかったのです。
しかし、どうも最近、そうではなくなってきました。
気になりだすと、それこそ、些細なことまで気になりだします。
人生は限られているのだから、付き合う人を絞り込むのがいいのかもしれません。
しかし、もし付き合って楽しい人とだけ付き合っていたら、それで人生は楽しく豊かになるのか。
必ずしもそうではないでしょう。
これは、節子と暮らしてきて、気づいたことのひとつです。
だから私の生き方はこれからも変えるつもりはありませんが、しかし、節子がいないせいか、そうした些細なことがストレスになってきています。
節子がいたら、違った視点で、そうした人の「良い点」を見つけ、私の側の「悪い点」を指摘してくれるでしょう。
少なくとも、私が愚痴ると、そういう人とも付き合うのが修でしょうと笑いながら元気づけてくれたでしょう。
でも今は、一人で、グチグチと考えてしまうわけです。
明らかに、性格が悪くなっています。
困ったものです。
挽歌を汚すようなことを書いてしまいましたが、まあ、これもまた私なので、仕方がありません。
少しだけ、ストレスが発散できたような、逆にストレスが高まったような、おかしな気持ちです。
明日、読み直したら、削除したくなるかもしれないので、読み直すのはやめましょう。
| 固定リンク
「妻への挽歌11」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌2200:宝くじを買わないと人生を全うできない感じです(2013.09.10)
- ■節子への挽歌2199:退歩(2013.09.09)
- ■節子への挽歌2198:相思花(2013.09.08)
- ■節子への挽歌2197:彼岸花が咲き出しました(2013.09.07)
コメント