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2013/05/09

■黄柳野高校が話題になっているので期待したのですが

最近、このブログへのアクセスが急に増えることがあります。
中途半端なブログなので、ふだんはさほどアクセスは多くはないのですが、急に1000件を超えたりしているのに気づくと何事だと思います。
それぞれに、あるキーワードが話題になっているようです。
最近で言えば、「グラディオ作戦」「野田風雪」そして昨日からは「黄楊野高校」です。
いま確認したら、今日もアクセスが2000件を超えています。
一番アクセスが多いのが、2008年12月に書いた「黄柳野高校はなぜこうなってしまったのか」の記事です。
実は、この記事へのアクセスは時々、急増します。
また名に買ったのかと調べてみたら、どうやら昨日、同校の学生寮が火事になり、死者が出たようです。
教育そのものでまた話題になりだしたのかと思ったのですが、火事とは残念です。

黄柳野高校は愛知県新城市にある私立高校ですが、大きな期待をもたれて設立された「コモンズ型の学校」でした。
全寮制だったと記憶していますが、新しい教育哲学とビジョンをもった学校でした。
しかし残念ながら、その理念は必ずしもうまく育たずに、挫折してしまったことを知って、勝手な私見をかいたのが、前日のブログ記事です。
久しぶりに読み直してみました。
5年ほど前とは言え、当時はまだ、私の頭の中に学校教育への期待と関心が残っていました。
いまはまったくと言っていいほどありませんが。

先月、湯島で高校における教科「福祉」をテーマにしたカフェサロンを開きました。
神戸の六甲アイランド高校で「福祉」を教えている知人に来てもらって、話題提供してもらいました。
とても感動的な話でしたが、学校への期待はなかなか戻ってきませんでした。
というよりも、普通の感覚が感動するほど、高校は崩れてしまっていると感じたのです。

25年前、日本から公立の小中学校がなくなったら、日本の未来は明るくなるだろうなと思ったことがあります。
学ぶことが楽しくないような「学びの場」は、私には理解できません。
少し前に、学校での体罰が問題になった時に、プロ野球の桑田さんが、体罰ではうまくならないと明言していましたが、体罰が運動能力や芸術能力を妨げるのと同じように、学ぶことが楽しくならないどころか、学校に行くのさえ楽しくないような学校は、子どもたちをだめにするだけです。
事実、管理教育の広がりは日本の子どもたちをだめにしてしまっています。
いじめだけではありません。
当の学力さえ、だめにしているのです。

学校を「いじめの場」ではなく「学びの場」「喜びの場」にしていく試みは、数年前までいくつかありました。
しかし、昨今は、そうした話をあまり聞かなくなりました。
教育基本法が改悪され、学校はますます楽しくない場になっているのではないかといささか心配です。

火事ではなくて、黄柳野高校がもっと話題になってほしいです。
学校の先生たちには、まずは自らが楽しくなるような学校をつくってほしいです。
先生が楽しくなければ、生徒が楽しくなるはずがないのですから。

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