■節子への挽歌2085:大きな悲しみ・大きな喜び
節子
今日もサロンでした。
13人も集まり、昔のオープンサロンの賑わしさを思い出しました。
それはそれとして、今日のテーマは「うつ」でした。
「うつな人ほど成功できる」の本を書いた、浜田幸一さんに来てもらったのです。
浜田さんはご自身の体験を、実に明るく、面白く、豊かに話してくれました。
節子がいたら、たぶん抱腹絶倒したでしょう。
テーマが「うつ」なのに不謹慎だといわれそうですが、重いテーマほど明るく語らなければいけません。
浜田さんは、うつから抜け出る上で、一番効果的だったのは、「うつ友」と話し合うことだったと話してくれました。
最近は、うつに限らず、セルヘルプグループというのが広がっています。
グリーフケアでも、立場を同じくする人たちが、お互いに話し合うことで、呪縛から抜けられることも多いようです。
私も、少しだけ体験しています。
そんな話をしながら、気づいたのですが、人はみんな友だちと思えれば、もっとみんな元気になっていくだろうなということです。
グリーフケアにしても、お互いの悲しみを分かち合えれば、だれもがみんな友だちです。
しかし、ほとんどの人は、自らの悲しみや病いが、自分だけのものだと思いがちです。
この悲しさは同じ体験をした人でなければわかってもらえないと思ってしまうのです。
私もそうでしたし、いまもたぶんにそう思っています。
しかし、人はみんな、大きな悲しさと喜びの上に生きています。
もしそうであれば、だれもがみんな分かち合えるはずなのです。
私はこの10年、「大きな福祉」という考えで、みんなが快く暮らせる社会を目指して、生き方を問い質すようにしています。
しかし、その「大きな福祉」の根底には、「大きな悲しみ」「大きな喜び」があります。
そのことに、ようやく気づきだしました。
どんなに幸せそうに見えても、悲しみからは自由ではなく、どんなに悲しそうに見えても、喜びから自由ではないのです。
どんなにたくさんの友だちがいても、寂しさから自由でなく、どんなに孤独に見えても、縁からは自由になれない。
それに気づけば、だれとでも心を通わせあえるのではないのか。
「大きな悲しみ」「大きな喜び」
そのふたつを、節子から教えてもらったような気がします。
節子
おまえは、やはり私にとっては、先生です。
節子がいた時には、私が節子の先生だったのに、いつのまにか関係が逆転してしまった。
そんな気がします。
今日はとても節子が恋しいです。
なぜでしょうか。
「大きな悲しみ」「大きな喜び」という言葉に気づいたからかもしれません。
節子に話したいことが、山のようにあります。
夢で逢えるといいのですが。
| 固定リンク
「妻への挽歌11」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌2200:宝くじを買わないと人生を全うできない感じです(2013.09.10)
- ■節子への挽歌2199:退歩(2013.09.09)
- ■節子への挽歌2198:相思花(2013.09.08)
- ■節子への挽歌2197:彼岸花が咲き出しました(2013.09.07)
コメント