■節子への挽歌2090:忘却力の欠如
節子
季節の変わり目は何を着たらいいか迷います。
もしかしたら去年、私は生きていなかったのではないかと思うほど、着るものがありません。
去年の今頃は何を着ていたのでしょうか。
それで、ユカに、もしかしたら去年はまだ私は存在しなかったのではないかと質問したら、いやそのことは誰も体験することだと言われてしまいました。
季節の変わり目は、誰もが何を来たらいいか、悩むのだそうです。
人の記憶はいい加減なものです。
昨年の事が思い出せないばかりではなく、最近は、つい1週間前のことさえ思い出せないことが増えてきました。
しかし、これは私だけの話ではありません。
たとえば、2年前の原発事故のことも、今や多くの人は忘れてしまったようです。
日本はまたもや原発推進国家になってしまいました。
私は原発反対ですが、それは2年前の事故のせいではありません。
1970年代に東海村の原発を見せてもらって以来の反対派です。
ですから原発反対ではありますが、2年前の深刻な事故の記憶はかなり弱まっています。
ほんとうに、人はいい加減なものです。
たぶんそうしないと生きていけないからでしょう。
忘れるということがあればこそ、人は生きながらえていけます。
原発事故では難しいと言うのであれば、大津波で考えてみましょう。
100年に1回の津波のことを忘れたほうが、たぶん生きやすいはずです。
忘れることは、能力でもあるのでしょう。
記憶力に対して、忘却力とでも言っていいでしょうか。
記憶力と忘却力は、対立するものではありません。
節子への思いを忘れることができれば、もっと生きやすくなるかもしれません。
そんな気もしますが、そうではないかもしれません。
というのは、大津波のことを忘れて生きれば、生きやすくはなりますが、それは同時に、大きな危険に無防備になるということだからです。
津波や原発事故と、伴侶との別れは、あんまり関係のない話ではないのかと言われそうですね。
深くつながっているような気がして、書き出したのですが、なんだか私もそんな気がしてきました。
でも、何かどこかでつながっているような気もします。
節子のことになると、なぜか私の忘却力が低下するのです。
いやそうではなくて、実は忘却力によって、新しい節子との物語が創出されているのかもしれません。
つまり思い出すこともまた、忘れることのおかげかもしれないのです。
そういえば、昔の有名なラジオドラマ「君の名は」は、「忘却とは忘れ去ることなり。 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」という、有名なナレーションで始まっていました。
忘却とは、忘れられないということなのかもしれません。
なんだか話がこんがらがってきましたので、やめましょう。
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