■節子への挽歌2084:サロンの前のつかの間
節子
夏のように暑いです。
今週は3つのサロンですが、今日はその中日で、協同組合がテーマです。
ところが、今日になって、なんと5人の方から参加できなくなったとの連絡がありました。
せっかく話題提供を私が敬愛している田中文章さんにお願いしていたのに、少し焦っています。
そういえば、前にもこんなことがあったような気がします。
節子とやっていたオープンサロンは、完全にオープンで、その日のその時になるまで、誰が来るのか、何人来るのか、全く予想もつきませんでした。
節子ががんばって、軽食などを用意していても参加者が少ないこともあれば、席が足りないほどに大勢が来ることもあります。
時間が来るまで、よく節子と、夫婦でお店をやっていたら毎日こんな感じで不安だろうね、と話したものです。
実は、それはたぶん、不安であるとともに、楽しみかもしれません。
人生は変化があったほうが、豊かなものです。
私が特にそうですが、先が見えないことの面白さは、会社を辞めてから身につけました。
若いころは、計画を立てるのが大好きでしたが、会社を辞めてからは、むしろ大きな流れに流されながら、その都度にやってくる状況を楽しむことを覚えました。
節子は、私以上に、そうした生き方が好きでした。
私はどこかに、計画を大事にする習癖が残っていたので、たぶん節子は不満だったでしょう。
ただ、25年間勤めた会社を辞める時には、まったく計画を立てていませんでした。
何しろ何が起こるかわからないので、下手の計画を立てたら、せっかくの新しい生き方ができなくなるからです。
いまから考えると、私も無謀ならば、節子も無謀でした。
3年の間に、人生は一変しました。
それができたのは、節子がどこかで支えてくれたからです。
その人生がよかったかどうかはわかりません。
もしかしたら、そうした生き方が、節子を早く旅立たせたことにつながっていたかもしれません。
もしいま節子が元気だったら、やはり喫茶店を開きたいですね。
そして、今日は本当にお客さんが来るのだろうかと、2人で心配しながら、ゆっくりとコーヒーを飲んでいたかったです。
ビルの合間に沈んでいく太陽をみながら、本当は誰も来なければいいのになと、どこかでお互いに思いながら、サロンにやってくる人たちを待っていた、あの時間は、実にあったかな、そして奇妙に幸せな時間でした。
もう体験できないのが、さびしいです。
いま一人、申し込んでいないが参加してもいいかと連絡がありました。
うれしい連絡です。
こういうことがあるので、やはりサロンはやめられません。
そろそろコーヒーの準備をしましょうか。
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