■自民党憲法改正草案による亡国への道:その4
「憲法を改正すべきかどうか」という問いは、まったく意味のない問いかけのように思います。
意味がないどころか、危険です。
なぜならば、その問いが意味していることは人によってまったく違った意味を持つからです。
たとえば、第9条ですが、国防軍を持って海外の戦争に参加したい人も、いま以上に戦争に参加できなくなるようにしたい人も、改正すべきだと回答するかもしれません。
その答が多義的である質問は、意味のない問いなのです。
数の上での結果が出たとしても、その意味が一義的に決まらないからです。
その結果の数字を、どう使うかは、使い手の意向次第ということになります。
「改正」の対象と方向をあいまいにしたままでの問いは、危険です。
しかも、完璧な法律などはありえません。
現行憲法も、条文の表現でおかしな文章はたくさんあります。
これについては、前回紹介した武田文彦さんの著書に詳しく指摘されています。
ですから、どんな法律も、変えたほうがいいという表現は必ずあります。
にもかかわらず、「憲法を改正すべきかどうか」などという問いかけで世論調査が行われます。
改正するほうの意見が大きくなることは当然ですが、その結果が、見事に利用されるわけです。
大切なのは、「改正すべきかどうか」ではなく、「何を変えるか」です。
少なくとも、条文ごとに、しかも条文の背後にある思想についての賛否を問うべきです。
しかし、最近の電話による世論調査はそんなことはできないでしょう。
思想は、そう簡単には理解を共有化できないからです。
私も一度、回答者に選ばれたことがありますが、極めて簡単な選択肢からの直感的な判断が求められます。
昨今の安直な世論調査は、あることを意図している人にとっての、単なるマーケティング手法でしかありません。
広い意味での社会にとっては、百害あって一理なしです。
手続法と違って、憲法を変えるということは、思想を変えるということにつながります。
96条から議論していくということは、ともすれば手続き論の話にされかねません。
そこにも「悪意」を感じます。
国家の大本の憲法の議論は、フェアに取り組まなければいけません。
それにしても、いまの憲法改正論議を見ていると、憲法をあまりに軽く、位置づけています。
憲法は、すべての法体系の拠り所なのです。
法律改正と同じような発想で、憲法を改正することは、どこかに違和感があります。
アメリカ憲法のように、修正条項を追加していくのであればともかく、憲法そのものの精神を変えていこうというのであれば、そのことを国民にもっときちんと理解させた上での、時間をかけた、しっかりした議論が必要だと思います。
自民党だけではなく、広く議論を重ねていく、新憲法起草委員会を国家レベルで立ち上げるべきだろうと思います。
安直に国会で決議すべき事項ではないように思います。
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