■自民党憲法改正草案による亡国への道:その8
多くの人はあまり意識していないでしょうが、現行憲法は大日本帝国憲法第73条の改正手続きに従って改正され、昭和天皇によって公布されています。
その公布文には、
「朕は、日本國民の總意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、樞密顧問の諮詢及び帝國憲法第七十三條による帝國議會の議決を經た帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。 御名 御璽」
と記されています。
しかし、主権が天皇から国民へと移ったことで、両憲法は法的には連続性がないとする考えもあります。
そうした考えのひとつとして、8月革命説もありますが、私の友人の武田さんは、もし日本国憲法の成立が革命であれば、自民党の憲法改正案は「反革命」を目指すものだと言います。
武田さんの小論は、私のホームページに掲載していますので、お読みください。
私は、両憲法に法的連続性のみならず、意味的連続性もあるように考えています。
確かに、発想のベクトルは反転していますが、しかしなお、国民主権を統治する権力を想定しているからです。
現行憲法の条文の主語はかなり粗雑ですが、「国」が主語にはなっていません。
多くは「日本国民」または「国民」です。
ところが、自民党改正草案では、新設された条文の一部の主語は、「国」になっています。
たとえば、第9条の3は「国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない」とあります。
よく読むとおかしな文章です。
どこがおかしいか、ぜひお考えください。
ちなみに、平和主義をうたう現行憲法第9条の主語は、次の通り、「日本国民」です。
第9条(現行) 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。自民党草案では、最後の「永久に放棄」が「使用しない」に変わっています。
また、新たに2項として、「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」と明記されました。
念のために言えば、戦争は常に「自衛権の発動」だと、私は思っています。
どんなに「侵略目的」と見えても、当事者にとっては「自衛」の要素があるはずです。
この条項に続いて、「国防軍」の条項が出てくるのです。
今回、問題にしたいのは、そうした国防軍のことではありません。
新たな条文の主語に「国」が使われだしていることです。
国民が主語の憲法から、国家が主語の憲法への指向がでているということです。
前に書きましたが、私は、主語が組織や制度から人間へと移っていくのが、歴史の流れだと思っているのですが、まさにそのベクトルには逆流しているのです。
それにしても、国民主権である国家における、行為主体としての国家とは、いったい何なのでしょうか。
国家に協力する?
頭が混乱してしまいます。
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