« ■円安を喜ぶ人もいました | トップページ | ■メンタルヘルスをテーマにしたサロンのお誘い »

2013/05/12

■節子への挽歌2078:クラインの壺

節子
季節の変わり目のせいかもしれませんが、どうも精神が安定しません。
どこかに、「不安感」があるのです。
半年ほど前から、ようやく精神的には元に戻ったように思っているのですが、正常化すると、節子の不在もが現実のものとなってリアリティを感ずるようになり、それが逆に精神的な不安感を高めるのです。
なんだか、内部と外部のない、クラインの壺のような精神構造にあります。
精神的に安定化したからこそ、不安定になる、というわけです。

伴侶との死別は、やはり残酷なものです。
日常が一変しますから、その現実を直視できません。
どこかで現実を素直に受け容れない自分がいて、どこかで無理をしているのです。
しかし、私の場合は5年ほど経ったところで、周りから霧が晴れていくような、そんな感じで、世界が変わってきたのです。
判断力も戻ってきたように思います。
節子がいない世界で生きることに、決して慣れたわけではありませんが、理解できるようになったように思います。
朝、起きて、節子に向かって、ありがとう、ごめんね、と言った後で、節子は大ばか者で薄情者だとついつい悪口を言うことも少なくなりました。
言わなくても大丈夫になってきたということです。
それまでは、ともかく問題が理解できずに、困惑の矛先を節子に向けざるを得なかったのです。

安定しているのか不安なのかよくわからない奇妙な精神状態は、もう3か月ほど続いています。
まだ出口は見つかりません。
出口があるのかどうか、それもわからない。
だから精神的には、とても奇妙な感じなのです。
1年前までの、不安感や孤独感とはまったく違います。
何か不思議な不安感と安泰感が交互に浮かび上がってきて、気持ちを上下させるのです。

要注意かもしれません。
過剰にさまざまな問題を背負い込んでしまっているのが一因なのか、逆にそれは結果なのか、それさえもわかりません。
気分を変えることが必要だろうとはわかっているのですが、それが出来ないこともわかっているのです。
なにしろクラインの壺は、内部も外部もないですから、じっとしているのがいいでしょう。
しかし、70歳を超えて、こんな状況とは、困ったものです。
節子が、私の心の半分を持っていってしまったせいでしょう。

いま気づきましたが、クラインの壺は割れるのでしょうか。
外部も内部もない壺は割れるとどうなるのか。
まあ、こんなことを考え出すようでは、やはり要注意ですね。
困ったものです。

|

« ■円安を喜ぶ人もいました | トップページ | ■メンタルヘルスをテーマにしたサロンのお誘い »

妻への挽歌11」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌2078:クラインの壺:

« ■円安を喜ぶ人もいました | トップページ | ■メンタルヘルスをテーマにしたサロンのお誘い »