■自民党憲法改正草案による亡国への道:その2
今回は、これも話題になっている21条です。
21条は「言論の自由」の条項です。
現憲法では、次のようになっています。
第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
自民党の改正案では、これに加えて、次の項が新設追加されています。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
これはその運用によっては、実に恐ろしい条項です。
その危険性に関しては、すでに多くの人が指摘しているので、あえて追加する必要はないでしょう。
ただ一言だけ、指摘しておきたいのは、「公益及び公」というマジックワードの恐ろしさです。
今日も、この問題を解説していたテレビ番組で、「個 対 公」という構図で説明していましたが、この二項対立で社会をとらえると、そこには上下関係がどうしても生まれます。
なぜなら、個と公とは次元の位相が違うからです。
公には私が、個には共が対置されるべきではないかと、私は思います。
しかも、「公」ということばには、なにか威圧感を感じます。
私の関心事は、「コモンズの回復」ですが、共(コモンズ)という3つ目の視点を入れると、世界の風景は変わって見えてきます。
自らをアナリストとする弁護士の遠藤誠さんは、遺作になった『道元「禅」とは何か」の第6巻で、次のように書いています。
いわゆる「新しい歴史教科書を作る会」の言っている公益とか公ということは、「何でも政府の言いなりになれ」という日本の国家権力礼讃論にすぎません。だから、日本の国家権力が惹きおこした日清戦争・日露戦争・韓国併合・満州事変・日中戦争・太平洋戦争を、正しい行動だったと言っているわけです。これは多くの人が持っている「公」とか「公益」のイメージとはかなり違うでしょう。
そこに、言葉の恐ろしさがあります。
これに関しては、また改めて書きたいですが、日本人は、そうした言葉のまやかしに弱いように思います。
誰も真剣に、言葉の意味を考えずに、安直に使っているからです。
話を戻して、21条の第2項を読み直してみると、私が生まれた年に全面的に改正された治安維持法をどうしても思い出してしまいます。
治安維持という言葉も、実に恐ろしい言葉です。
シリアや北朝鮮をみればわかるように、誰にとっての「治安」かで「秩序」の意味はまったく違ってくるからです。
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