■節子への挽歌2065:一度だけのかなしい顔
イギリスのテレビドラマの「シャーロック」の第2シーズンの3作品をまとめてみました。
先日、思い出して、この挽歌にホームズの言葉を書いたのですが、そのせいか、また観たくなってしまったのです。
今日は、家庭農園の草取りをした後、死にそうなほど疲れたので、3作品を通してみてしまいました。
このドラマは、放映されていた時にも観たのですが、私好みのテンポです。
それにこのドラマに出てくるホームズは、実に私好みなのです。
ともかく性格が悪く、支離滅裂で、私が、なれるものならそうなりたい、理想のタイプです。
このドラマは、コナン・ドイルの原作をしっかりと踏まえて、それを現代に置き換えた、新しい物語に仕上げているのですが、原作を見事に活かしています。
第2シーズン最後の作品は、シャーロック・ホームズ最後の事件のライヘンバッハの滝を踏まえた作品です。
原作と違って、あるいは同じく、ホームズはビルの屋上から飛び降りて死ぬことで終わっています。
ホームズの作品を読んだことのある人なら、当然、わかるように、もちろんホームズは死にません。
しかし、少なくとも死ぬほどの苦汁を味わうわけです。
ところで、私が今回、気になったのは、その事件の途中で出てくるシーンです。
ホームズの数少ない仲間のモーリーが、ホームズに言うのです。
人前では明るい顔をしているが、私は(あなたの)かなしい顔を見た、と。
モーリーの父は、まさに死を意識した時に、そういう「かなしい顔」をしたのだそうです。
モーリーは、ホームズが死を意識していることを知って、自分に何かできる事がないかを遠まわしに伝えたのです。
前に見た時には、このセリフは私の心を通り抜けていたようです。
しかし、今回はぐさっと突き刺さりました。
節子はどんなに苦しくなっても辛くても、明るく振る舞ってくれました。
しかし、あまり思い出したくないのですが、一度だけ、私の顔を「かなしい顔」をして見ていたことがありました。
もうあまり言葉を発しられないほど、病状が悪化していた時でした。
視線を感じて、ベッドの節子を見ると、かなしい顔で私を見ていたのです。
その時、私はどう節子に対応したのか、まったく記憶がないのですが、その顔のことを、節子を見送ってしばらくしてから、時々、思い出します。
あれは、幻だったのだろうかと思いたい気分も強いのですが、おそらく実際にあったことだと思います。
その顔にたえられずに、私はしばらくその記憶に蓋をしてしまっていたのです。
その顔を思い出すたびに、節子になんと応えたのだろうと思い出そうとするのですが、なにも思い出せません。
私は、節子をなぐさめたのでしょうか。
笑いながら、元気を出そうよ、と肩を抱きしめたのでしょうか。
何をしたかが、まったく思い出せない。
ただただ「かなしい顔」の節子が、そこにいるのです。
あの時は、たぶん節子はもう彼岸との往来を始めていたころです。
ホームズは、第3シーズンで戻ってくるでしょう。
しかし、節子は戻ってこない。
私がホームズほど、頭脳明晰ならば、取り戻せたのかもしれません。
節子の、「かなしい顔」に応えられなかった自分が情けなく、怒りさえ感じます。
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