« ■節子への挽歌2119:視野が乱れます | トップページ | ■節子への挽歌2120:「私はほんとうの私になっていく」 »

2013/06/26

■イワシの群のように(2013年6月26日)

ブログを読んでくれた「草庵」さんから質問が届きました。
日本では政権与党の対抗勢力となる野党が育たないという事についてです。
草庵さんはこう書いてきました。

これは『長いものには巻かれろ』『右へならえ』的な、日本人の国民性ゆえでしょうか?
『強い野党』が居てこそ、政権与党による政治の暴走を防ぎ、国会に適度な緊張感と程よいバランスをもたらすと私は思っているのですが、残念ながら日本にはそういった土壌が根付かない様子なのです。
これは、かつて戦中国民が『鬼畜米英』『アメリカに擦り寄るのは非国民』『一億火の玉だ』と連呼しておきながら、敗戦の際にはダグラスマッカーサーを救世主であるかのように手のひら返しで歓迎し、戦中の考えを都合よく綺麗さっぱり忘れ去った事とも無関係ではないように思うのです。
野党、反対意見、少数派を許さない国民性が日本人にあるように私は感じます。
今の与党による、がむしゃらな原発推進・弱者切捨て・少数派否定の政策が強引に推し進められていく様は、非常に怖いものがあります。
草庵さんのお考えにも、また今の与党独走への怖さにも、共感します。
日本に多様性が育たないのは、自然条件が大きな影響を与えているような気がします。
地理的な分離性と自然の豊穣性のなかで、自給自足性の高い環境だったということです。
また集団生活が基本になっている農耕社会、さらには近代工業化社会というのが、その風潮を高めてきたようにも思います。
日本においては、近代化は個人の主体性を育てるよりは、集団主義的な生き方を強めたといっていいでしょう。

もうひとつは、私たちの精神世界を支える、人のつながりを大事にする日本型仏教思想も影響しているかもしれません。
長年、緩和ケアに取り組まれていた医師の岡部健さんは、一昨年の東日本大震災で多くの人がみんなを助けようとして自らを犠牲にしたことを目の当たりにして、みんな、「イワシの群」の一匹なのだと話しています。

イワシの群れは、一匹一匹が意思を持って群れの動きを決めてるわけではない。群れ全体はどこかへ向かっているのだが、一匹→匹はどこへ向かっているかを知らない。でも、イワシの群れは、意思を持って動いているように見える。人間も同じようなものではないか。所詮、私もイワシの群れの一匹なのだ、と。
岡部さんの指摘は、私の人生体験からもとても納得できます。
いろいろな魚がいますが、日本人はイワシ的なのかもしれません。

問題は、草庵さんも書いている「どこに向かっていくかわからない怖さ」です。
行き先が見えてきた時には、もう遅いのかもしれません。
そこにクジラが大きな口を開けて待っていたとしても、勢いづいたイワシは、そこに飛び込んでいくのでしょうか。
そういえば、ある水族館で、イワシの群が一瞬にして大きな魚の餌食になったこともあります。

どうすればいいか。
私が25年前に選んだ選択は、社会、つまりは「イワシの群」から離脱することでした。
生き方を変えたのですが、結局は、離脱は出来ず、今もって中途半端な生き方をしています。
ただひとつだけ言えることは、自分としては納得できる生き方をしていると言うことです。
社会のためや、他者のためではなく、自らが納得できる生き方を心がけています。
それこそが、社会のためや他者のためになると確信しているからです。

草庵さんは、オッペンハイマーのことに言及されていますが、愚者としてのオッペンハイマーの生き方は、私にはとても共感できます。
残念ながら、オッペンハイマーの場合は、自らにも、社会にも、悲劇的だったように思いますが、すべてがうまくいくわけではありません。

草庵さんの質問にはあまり答えていませんが、たとえ行き先が地獄であろうと、私は従容とそれを受け容れるつもりです。
悲しいことに、私もまた、イワシの一匹であることは間違いありません。

|

« ■節子への挽歌2119:視野が乱れます | トップページ | ■節子への挽歌2120:「私はほんとうの私になっていく」 »

社会時評」カテゴリの記事

政治時評」カテゴリの記事

コメント

回答して頂き、大変有難うございます。

『イワシの群れ』という例えは非常に的を射た表現ですね。成る程、そうか!と納得し、すっきりしました。
私もまた無数のイワシの中の一匹なのだと思うと同時に、自分のこれから進む道・生き方を見つめ直すきっかけになりました。
重ねてお礼を申し上げます。有難うございました。

投稿: 草庵 | 2013/06/26 22:17

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■イワシの群のように(2013年6月26日):

« ■節子への挽歌2119:視野が乱れます | トップページ | ■節子への挽歌2120:「私はほんとうの私になっていく」 »