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2013年6月

2013/06/30

■節子への挽歌2123:愚者であることを引き受ける時期

節子
また挽歌が数日かけませんでした。
人生はいろいろとあるものです。
少しありすぎるような気もしますが、まあ仕方がありません。
この歳になってわかってきたことは、すべてが因縁の故であり、いわば因果応報ということです。
いま起こっていることは、因と縁の結果であり、それこそ仏教的に言えば、空なのですから、いま悩んでも仕方がありません。
ことはすでに遠い昔に始まっていますから、いまはただそれを素直に受け入れ、引き受けなければいけません。
一見、因が思いつかないこともあります。
成り行き上、いつの間にか関わってしまった問題もあります。
しかし、その成り行きこそが、因であり縁なのでしょう。
最近はそう思えるようになりました。

しかし、それにしても、自分のことは見えていなかったものです。
もう少し自分はまともな存在だろうと思っていましたが、情けないほどに過ちが多いのです。

時評編で、数日前に愚者としての科学者オッペンハイマーの話を紹介しましたが、私自身、オッペンハイマーに引けを取らないほどの愚者であることを最近は毎日のように実感させられます。
有名人よりは、少しはましではないかという思いが以前は強かったのですが、必ずしもそうではないようです。

愚者は、必ずしも悪いわけではありません。
愚者でなければできないことも多いからです。
愚者であることは、人間の証かもしれません。
しかし、オッペンハイマーがそうであったように、ある時期に、愚者としての行為の結果が自分にも見えてくるようになります。
原爆の父と言われるオッペンハイマーは、広島と長崎の惨状を見て、自らがいかに愚かだったかを思い知らされます。
自らを愚かだと知ることで、人はようやく愚者であることをやめられます。
そして、その後は、愚者だったことの償いをすることになるわけです。
しかし、多くの人は、オッペンハイマーと違って、その後も、もうひとつの愚者の世界に入りかねません。
せめてそうならないように、心がけようと思います。

愚者であった償いを受けるのは、それなりに辛いことです。
最近、いささか疲れてきていますが、それに耐えなければいけません。
なかなか伝わりにくいと思いますが、一人で引き受けるにはいささか荷が重いです。
できるならば、愚者であることを続けたいものです。

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2013/06/28

■「誤りを繰返さないように私たちは充分学んだであろうか」

藤永茂さんの「ロバート・オッペンハイマー」はとても示唆に富んでいる本です。
しかし古い本ですし、読んだ人も多分もう忘れているかもしれません。
それで、私の心に響いたところを少し紹介させてもらいます。
昨今の原発再稼働の勢いの強まりの中で、印象に残ったところです。

原発の生みの親は言うまでもなく原爆ですが、原爆を生み出したのは、アメリカのロスラモスの研究所です。
原爆開発の目的は、ナチスドイツの原爆開発に備えてのことです。
ですから、ナチスドイツに原爆開発能力がないと分かった段階で、開発を辞めるという選択肢があったわけです。
事実、そうした議論はあったようです。
しかし、ナチスドイツの敗北の後も、そして戦争が終わった後も、原爆開発は継続しました。
ただ、ロスアラモスを去った科学者が一人だけいたそうです。
後にノーベル賞を受けるジョセフ・ロートブラットです。
ロートブラットといえば、核兵器と戦争の廃絶をめざす科学者たちのパグウォッシュ会議の書記長を長年務めてきた人でもあります。

ちなみに、数年前に電力会社のとても誠実なエンジニアの人と話していて、パグウォッシュ会議のことを知らないことに愕然としたことがあります。
私の世代だと、原子力や平和に関心のある人であれば、おそらくパグウォッシュ会議は知っているでしょう。湯川秀樹さんも、そのメンバーでした。
その人(私にとっては原発問題をきちんと話し合える数少ない友人の1人です)でさえ知らないということは、パグウォッシュ会議のメッセージは、原発関係者に継承されていないということです。

藤永さんは、その本の中で、ロートブラットが原爆後40年の1985年に話した言葉を紹介しています。

「40年たった今も、一つの疑問が私の心につきまとう。あの時犯した誤りを繰返さないように私たちは充分学んだであろうか。私自身についてさえ確信はない。絶対的平和主義者ではない私は、前と同じような状況になった時、前と同じように振舞うことはない、とは保証しかねる。私たちの道徳観念は、一度軍事行動が始まれば、ポイと投げ捨てられるように思われる。だから、最も重要なことは、そうした状況になることを許さないようにすることである」
原爆と原発は違うという人が多いですが、ロートブラットの疑問は、まさに今の私たちが自らに問うべき問題ではないかと思います。
私たちは、ほんとうに、福島の惨状からきちんと学んだのでしょうか。

飯舘村のかーちゃんの力プロジェクトの渡邉さんが、ここに来てもらえば、考えが変わるよ、と言っていたことを思い出します。

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■「苦しみはそれを見た者に責任を負わせる」

昨日の記事で、オッペンハイマーのことを書きましたが、私がオッペンハイマーに誠実さを感じたのは、原爆を開発しておきながら、広島や長崎の惨状を知った途端に生き方を変えたことです。
それを予想しなかった愚かしさや軽薄さ、あるいはそこからくる不誠実さを指摘することもできますが、私はやはりそこにオッペンハイマーの純粋さを感じます。
人は人である以上、過ちから自由ではありません。
しかし、過ちに気づいたときに、それをただすかどうかの自由さはすべての人が持っています。
そこが、オッペンハイマーと現在原発事故にかかわる科学者や技術者の違いです。
もちろん反原発で動いている科学者や技術者は少なくありません。
オッペンハイマーは、原爆開発のど真ん中に存在し、大統領にさえ会える立場の人でした。
ですから、在野の科学者が遠吠えしているのとは全く違うのです。
そこに誠実さを感ずるわけです。

フランスの哲学者P・リクールは、「苦しみもまた義務を生み出す。苦しみはそれを見た者に責任を負わせるのだ」と言ったそうです、
そして、その責任を人生をかけて果たした人は少なくありません。
たとえば水俣病に出会ってしまった医師の原田正純さんは、間違いなく、その一人です。作家の石牟礼道子さんもそうでしょう。
古い話では、宮沢賢治がそうだったに違いありません。
この人たちは、歴史にも名を残しましたが、名前を残すことなく、誠実に生きた人も少なくないでしょう。
いやむしろそうした人たちが多いに違いありません。
そのことのすごさに、私はいつも身が小さくなります。

原発事故の現場に接した人は決して少なくないはずです。
私の知人が、今回の原発事故での直接的な死者が2人いる。なぜそれを公表しないのか、というような記事をフェイスブックで書いていました。
元国会議員だった知人です。
もし彼が本当にその事実を知っているのだとしたら、彼こそが発言すべきです。
こういう形での批判は、何も生み出しません。

原発事故の事実は、まだ「藪の中」です。
「それを見た者」が、責任を果たしてくれることを期待します。

CIA元職員のエドワード・スノーデンさんの勇気と誠実さに敬意を表します。

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2013/06/27

■「従容と死を受け入れる森」再掲

昨日の「イワシの群れ」の記事に、「たとえ行き先が地獄であろうと、私は従容とそれを受け容れるつもりです」などと見栄を切ってしまいましたが、前にもこの言葉を使ったなと思い、バックナンバーを検索してみました。
時評編ではなく、挽歌編に書いていました。
3.11の前の記事です。
読み直してみて、3・11の後、いささかうろうろした後の、これが私の落ち着き先だったことに気がつきました。
それで、今度は時評編にほぼ同じ記事を再掲させてもらいました。

昨日、テレビの「地球の目撃者SP風の大地へ南米チリ縦断3700キロ」を観ました。
写真家の桃井和馬さんの撮影紀行です。
世界最南端の町の話が出てきました。
ぶなの原生林が、人間が連れ込んだビーバーにかじられて大量に倒れている光景がありました。
それをみて、桃井さんが「従容と死を受け入れる森」というような表現をしました。
「従容と死を受け入れる」
その言葉が心に響きました。

先日、沖縄に行きました。
沖縄でも琉球松が松食い虫にやられて枯れていました。
その時にふと思ったのです。
松食い虫が松を枯らすと騒いでいるが、松に代わる植生が、それに代わるだけではないのか。
そのどこが悪いのだろうか、と。
地球温暖化に関して先日暴論を書きましたが、最近私は、環境対策こそが環境問題の真因ではないかと思い出したています。
昨今のエコブームにはやりきれなさを感じます。
どこかに「近代の落とし穴」を感じます。
これは環境問題に限った話ではなく、福祉も教育も、すべてに言えることですが。

さて、「従容と死を受け入れる森」に戻ります。
生命はつながっているという発想からすれば、一部の樹が枯れることは森が生きている証なのかもしれませんし、生きるための方策かもしれません。
最近、そんな気が強まっています。

妻は従容として死を受け入れたのだと思うようになってきました。
もちろん「生」を目指して、全力で抗うのと並行してです。
全力で生きようとすることと従容として死を受け容れることとは対極の姿勢ではないか、と私は最近まで考えていました。
しかし、桃井さんの発言を聞いて、それは決して矛盾しないことに気づきました。
誠実に、真摯に、全力で生きていれば、どんなことでも受け容れられる、そう思ったのです。

それは自らの生命の永遠性を確信したからかもしれません。
自らが愛されていること、いやそれ以上に、自らが愛していることを確信できたら、生死を超えられるのかもしれないとも思えるようになってきたのです。
書いていて、どこかに無理があるのは承知なのですが、にもかかわらず、妻も私も従容として死を受け止めていた一面があったと思い出したのです。
もちろん一方では、受け容れ難いという事実はあるのですが。
妻との出会いと別れは、私に多くのことを考えさせてくれます。
今年もきっと、妻との思いは私の生きる指針になるでしょう。
そして私も時期が来たら、抗いながらも従容と死を迎えたい。

そう思えるようになってきました。

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■節子への挽歌2122:そうだ、湯島をきれいにしよう

昨日とはうってかわった初夏のような日です。
久しぶりの青空が気持ちいいです。
私も、久しぶりに湯島に出てきました。

3.11の地震で壁から落ちて、ガラスが粉々になっていた藤田さんの版画を壁に掛け直しました。
まあ節子がいたら、もっと早く修復していたのでしょうが、ガラスをやめて透明なアクリル板にしてもらうところまではできていたのですが、どうも壁に掛ける気にならなかったのです。
ソファーの上に置きっぱなしになっていた版画を壁に掛けました。
今まで何もなかった白壁に緑が戻ってきて、やはり安堵します。

湯島のオフィスは改装し、雰囲気も変える予定でした。
節子儀出だし、手配をし始めました。
しかし、床のカーペットを替えたところで、節子はダウンしてしまいました。
その後、付け替えたクーラーは私のミスで違った場所に付けてしまい、応急処置で穴の開いた壁を厚紙で覆っていますが、それもまだそのままです。
節子なら気に入らずに、何らかの方策を講ずるでしょうが、私の場合は、「まあいいか」とそのままです。

今日は予定よりも少し早めに湯島に来ましたので、ちょっとのんびりしています。
しかし、また朝に飲むはずの降圧剤を飲まずに来てしまったせいか、なにやら頭の後ろがうっとうしいです。
先日のめまいも、高血圧が影響しているのかもしれません。
まあ、そんなこんなで、節子がいなくなってからは、自らも、また周辺の環境も、手入れ不足で荒れがちです。
困ったものですが、仕方ありません。

湯島のメダカは全滅してしまっていますが、明日は自宅から白めだかを3匹湯島に転居させようと思います。
ベランダのランタナは、冬を越しましたが、まだ花が咲きません。
なにが気に入らないのでしょうか。
たぶん私の声のかけ方が不満なのでしょう。
私も、気持ちを入れ直して、少しまた真面目に生きようかと思います。

そう思ったのは、先ほど、地下鉄の駅を降りて、外に出たら、青空が見えてからです。
青空は、人を元気にしてくれます。
節子と一緒に見たエジプトの青空や千畳敷カールの青空が、生き生きとよみがえります。
彼岸には、青空はあるのでしょうか。

みなさんも、湯島にお越しください。
節子がいたころほどではないですが、また快適な空間にするように心がけますので。

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■「物理学者は罪を知った」

昨日の電力各社の株式総会では、原発再稼動の動きが急速に加速されていること、また原発の見直しへの株主への提案は一顧だにされないことが明らかになりました。
予想はしていたことですが、もう少し誠実な話し合いがあってもよかったのに、とさびしい気持ちになりました。
この不条理な流れが、このままで終わるとは、私には思えませんが、いずれにしろ悲しい顛末が予感されてなりません。

藤永茂さんの『ロバート・オッペンハイマー』(朝日選書)を読みました。
1996年に出版された本です。
副題が「愚者としての科学者」となっています。

オッペンハイマーは、アメリカの原爆開発の立役者ですが、戦後の冷戦時代の赤狩りの波に襲われ、公職を剥奪されて、不遇の晩年をすごしました。
スパイ容疑を問われた法廷で、オッペンハイマーは「物理学者は罪を知った」と繰り返し述べたそうです。
この言葉の意味の深さは、哲学者ホーキンスが「彼は既存の道徳の言葉で語っていたのではなく、宗教の言葉、あるいは哲学倫理の、エデンの園の、失われた純潔性の言葉で語っていたのである」と述べているそうですが、物理学者のみならず、私たち生活者にもするどい指摘になっているように思います。
そのくらいの想像力は、持ちたいものです。

藤永さんの本には、唐木順三さんが残した言葉も引用されています。

「科学者たちは〈核兵器は絶対悪なり〉という判断、価値判断を、社会一般に対して下しながら、科学者自身に対しての、或いはその研究対象、研究目的に対しての善悪の価値判断を表白することは稀である。物理学者が己が社会的、時代的責任を表白する場合、単に善悪の客観的判断ばかりでなく、自己責任の問題、〈罪)の問題にまで触れるべきであるということが、現在のむしろ当然であり、そこから新しい視野が開かれるのではないか」。
私がずっと不思議に思っていることは、原発事故の後、科学者も技術者も組織的な発現や活動をしていないことです。
個人的に意見を言う人はいますが、組織として動こうとしたり、組織的な呼びかけをしたりしている科学者や技術者が見えてきません。
同じことは、テレビのキャスターやコメンテーターにも感じます。
報道ステーションの古館さんは、昨日もかなり批判的な発言をしていましたが、だからといって、行動を起こすわけではありません。
まさか報道の中立性などという絵空事を信じているわけではないでしょう。
私には、今の原発問題は、人生を賭けてもいいテーマではないかと思います。
社会的に影響力ある人たちは、ぜひとも旗幟鮮明にし、信念を形にして欲しいと思いますが、やはり社会的な地位を得てしまうと、それが難しくなるのでしょうか。
改めて、オッペンハイマーの誠実さに敬意を感じます。

「原爆を生んだ母体は私たちである」という藤永さんの言葉は前にも引用しました。
狂気の時代の到来としか思えません。
狂気に立ち向かえるのは、愚者しかいません。

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2013/06/26

■節子への挽歌2121:此岸で供養か、節子に会いに彼岸行きか

節子
大宰府の加野さんから、またイオン水が届きました。
私が最近少し元気がないのを心配して送ってくれたのです。
節子の元気な時に、この水のことを知っていたらと思うと残念です。
節子に、奇跡が起こりかけたのも、加野さんが送ってくれた薬水でした。
水は不思議な力を持っています。

加野さんには節子も会っていますが、大宰府には節子は行っていません。
節子が元気だったら、大宰府の加野さんのお店にも行けました。
節子が好きそうな久留米絣のお店です。
私も加野さんから久留米絣のドレスシャツをもらいましたが、腕を通したことがありません。
節子は暖簾をもらって、寝室のドア代わりに使っていたような気がします。
あの暖簾はどこにいったのでしょうか。

わが家のインテリアは、節子好みでいろいろと季節ごとに変わっていました。
そういえば、寝室の壁の飾りなどは、節子がいなくなってから何も変わっていません。
寝室だけでなく、廊下や階段の装飾品もほぼ節子時代のままです。
それぞれにささやかな思い出があるのですが、その思い出も私がいなくなれば、消えてなくなるでしょう。
虚しいといえば、虚しいことです。

加野さんは、娘さんに先立たれました。
娘さんは、節子も私もよく知っています。
娘さんは大きな夢を持ちながら、実現できないまま母親よりも先に逝ってしまいました。
加野さんの悲しみはどれほどだったでしょうか。

私が、加野さんの娘さんの死を知ったのは、節子を見送った後でした。
大宰府のご自宅にお花を持ってうかがったら、加野さんはこう言いました。
娘の供養をしなければいけないので、死ねないのです、と。
それから加野さんは、健康に留意し、イオン水も飲んで、今は以前よりも元気です。
とても80代とは思えません。
娘の供養をすることが、加野さんの生きる意味であり、元気の源なのです。

私はまだそこまでいけていません。
此岸で供養するよりも、彼岸で節子と一緒にいたいと思ったりしています。
覚悟ができていないのです。
さていただいた水を飲むべきかどうか。
飲むと、彼岸が遠のきます。
正直、迷います。

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■節子への挽歌2120:「私はほんとうの私になっていく」

節子
昨日からのめまいはとまりましたが、まだ気分がすっきりしません。
少し頭痛も残っています。
大事をとって、今日の予定もすべてキャンセルさせてもらいました。
天気がよくなったら病院に行こうと思っていましたが、今日は雨でしたので、止めました。
あんまり論理的ではありませんが、気分は大事にしなければいけません。

時間があったので、だいぶ前から机に積んでいた「認知症のスピリチュアルケア」を読みました。
自らの認知症をカミングアウトした、オーストラリアのクリステイーン・ブライデンさんのケアパートナーのエリザベス・マッキンレーさんたちがまとめたスピリチュアルケアの本です。
そこに、クリステイーンさんの心の変化が紹介されていました。

認知症であることを告げられたクリステイーンさんは、自分が自分でなくなっていくことを一番不安に思っていましたが(彼女の最初の本の題名は「私は誰になっていくの?」)、次第に変わっていったそうです。
10年後の書かれた2冊目の本には、「私はほんとうの私になっていく」という表現がでてきます。
クリステイーンさんはこう書いています。

私は自分を理解する旅について何年間もふり返って考えてきました。今ではよりはっきりと,私は誰で,誰になっていき,死ぬとき誰になっていくのかがわかります。思い返せば,それは驚くべき自己発見,変化,成長の旅でした。私にとって認知症は,スピリチェアルな自己への旅でした。私は認知症とダンスを踊るようにつきあいながら,病気の変化に対応し,自分の欲求を表現し,しだいにゆっくりになっていく認知症のダンスの音楽に合わせる方法を学びました。
「スピリチュアルな自己への旅」。これは実に興味深いことです。

スピリチュアリティの捉え方はさまざまでしょうが、エリザベス・マッキンレーさんは、「スピリチュアリティとは,一人ひとりの存在の核となる部分に位置し,生きることに意味を与える,極めて重要な領域である。それは宗教を信仰することによってのみつくられるものではなく,もっと広い,たとえば神との関係性のようなものとして理解されるもの」と定義しています。
つまり、自らを取り巻く世界との関係性の中で見えてくる自分と言ってもいいでしょう。
魂を覆っている衣装を脱ぎ捨てた時に、それは見えてくる。
クリステイーンさんは、それに出会ったのかもしれません。

めまいと関係のない話を書いてしまいましたが、私にはどこかつながっているのです。
昨日は、目の焦点があわない不快さを体験していましたが、その時に見える風景はいつもと違います。
認知症というのも、見える日常の風景が変わってくるのかもしれません。
そして、その時に、もしかしたら「スピリチュアルな自己」が垣間見えるかも知れない。
たかだか1日程度のめまいでは無理でしょうが、節子は認知症ではなかったけれど、たぶん8月には「スピリチュアルな自己」が見えていたのだろうなとも思いました。
少なくとも、節子は「私はほんとうの私になっていく」ことを体験したはずです。
人は「ほんとうの自分」になって、彼岸に旅立つのではないか。
そんな気がして、なぜか少し安堵しました。

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■イワシの群のように(2013年6月26日)

ブログを読んでくれた「草庵」さんから質問が届きました。
日本では政権与党の対抗勢力となる野党が育たないという事についてです。
草庵さんはこう書いてきました。

これは『長いものには巻かれろ』『右へならえ』的な、日本人の国民性ゆえでしょうか?
『強い野党』が居てこそ、政権与党による政治の暴走を防ぎ、国会に適度な緊張感と程よいバランスをもたらすと私は思っているのですが、残念ながら日本にはそういった土壌が根付かない様子なのです。
これは、かつて戦中国民が『鬼畜米英』『アメリカに擦り寄るのは非国民』『一億火の玉だ』と連呼しておきながら、敗戦の際にはダグラスマッカーサーを救世主であるかのように手のひら返しで歓迎し、戦中の考えを都合よく綺麗さっぱり忘れ去った事とも無関係ではないように思うのです。
野党、反対意見、少数派を許さない国民性が日本人にあるように私は感じます。
今の与党による、がむしゃらな原発推進・弱者切捨て・少数派否定の政策が強引に推し進められていく様は、非常に怖いものがあります。
草庵さんのお考えにも、また今の与党独走への怖さにも、共感します。
日本に多様性が育たないのは、自然条件が大きな影響を与えているような気がします。
地理的な分離性と自然の豊穣性のなかで、自給自足性の高い環境だったということです。
また集団生活が基本になっている農耕社会、さらには近代工業化社会というのが、その風潮を高めてきたようにも思います。
日本においては、近代化は個人の主体性を育てるよりは、集団主義的な生き方を強めたといっていいでしょう。

もうひとつは、私たちの精神世界を支える、人のつながりを大事にする日本型仏教思想も影響しているかもしれません。
長年、緩和ケアに取り組まれていた医師の岡部健さんは、一昨年の東日本大震災で多くの人がみんなを助けようとして自らを犠牲にしたことを目の当たりにして、みんな、「イワシの群」の一匹なのだと話しています。

イワシの群れは、一匹一匹が意思を持って群れの動きを決めてるわけではない。群れ全体はどこかへ向かっているのだが、一匹→匹はどこへ向かっているかを知らない。でも、イワシの群れは、意思を持って動いているように見える。人間も同じようなものではないか。所詮、私もイワシの群れの一匹なのだ、と。
岡部さんの指摘は、私の人生体験からもとても納得できます。
いろいろな魚がいますが、日本人はイワシ的なのかもしれません。

問題は、草庵さんも書いている「どこに向かっていくかわからない怖さ」です。
行き先が見えてきた時には、もう遅いのかもしれません。
そこにクジラが大きな口を開けて待っていたとしても、勢いづいたイワシは、そこに飛び込んでいくのでしょうか。
そういえば、ある水族館で、イワシの群が一瞬にして大きな魚の餌食になったこともあります。

どうすればいいか。
私が25年前に選んだ選択は、社会、つまりは「イワシの群」から離脱することでした。
生き方を変えたのですが、結局は、離脱は出来ず、今もって中途半端な生き方をしています。
ただひとつだけ言えることは、自分としては納得できる生き方をしていると言うことです。
社会のためや、他者のためではなく、自らが納得できる生き方を心がけています。
それこそが、社会のためや他者のためになると確信しているからです。

草庵さんは、オッペンハイマーのことに言及されていますが、愚者としてのオッペンハイマーの生き方は、私にはとても共感できます。
残念ながら、オッペンハイマーの場合は、自らにも、社会にも、悲劇的だったように思いますが、すべてがうまくいくわけではありません。

草庵さんの質問にはあまり答えていませんが、たとえ行き先が地獄であろうと、私は従容とそれを受け容れるつもりです。
悲しいことに、私もまた、イワシの一匹であることは間違いありません。

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2013/06/25

■節子への挽歌2119:視野が乱れます

節子
前の挽歌を書いていたら、急にまた視野がおかしくなってきました。
時々起こる現象ですが、無理をせずに、休んでいました。
飲み忘れていた降圧剤も飲みました。
だいぶ直りましたが、本調子ではありません。
これももしかしたら、パソコンはまだ止めておけという、節子からのメッセージでしょうか。

今回で7回目くらいですね。
明日、調子が戻らなかったら、病院に行こうと思います。

節子がいると、こういう症状になっても、なにかと心強いのですが、
節子がいないといささか心配です。
最近の生活のリズムが乱れていることのせいでしょうか。

今日は早く寝ましょう。
ところが最近は、なぜか夢ばかり見るのです。
しかもかなりのサスペンスアクションものなのです。
ハードな役が多いので疲れます。
節子はいつも私を救ったり導いたりする役で登場します。
もしかしたら節子のプロデュースでしょうか。
昨日は断崖からロープで降りる途中でロープが切れてしまったりして、大変でした。
明日からまた、朝の般若心経は手抜きせずにお勤めします。

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■節子への挽歌2118:生きているものとの付き合いは疲れます

節子
わが家の畑から、収穫がありました。
ナスときゅうりとピーマンとトマトです。
もっとも最近は梅雨のため、あまり畑に行かなかったため、周辺の草が生い茂り、ナスもトマトもひどい状況になっています。
畑を維持するのは、やはり大変です。
なにしろ、野菜はもちろんですが、畑そのものが生きているからです。
生きているものと付き合いのは、手を抜くとすぐに跳ね返ってきます。

生きるということは、いうまでもなく、無数の生命と付き合うことです。
わずかとはいえ、野菜を育てているとそれが実感できます。
私たちの社会がおかしくなっているのは、やはりいのちある多くのものとの関係をおろそかにしているからかもしれません。

さて、今の節子は「いのちあるもの」でしょうか。
節子とのつながりを、最近、いささか手を抜いているためか、先日の法要で真言を唱えるところで間違ってしまいました。
隣で聞いていた娘から指摘されてしまいました。
困ったものです。
手を抜くとそのとがを受ける。
やはり節子は「生きているもの」なのかもしれません。

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■責任を取る社会から責任を押し付ける社会へ

全柔連の上村会長の記者会見を聞いていて、当事者主権という言葉を思い出しました。
福祉の世界で使われだした、当事者が主役になるという考えです。
私にはとても共感できる考えですが、しかしそこには大きな落し穴があるのではないかと、ちょっと思ったのです。

それは、当事者をどう捉えるかということです。
言い換えれば、問題をどう設定するかということです。
途中で投げ出すのは無責任だから、問題を解決してから辞任すると上村会長は言っています。
要するに、当事者として最後まで自分でやるということでしょうか。
私には、「当事者」の捉え方が違っているように感じました。
彼にとっては、自分の問題なのであって、みんなの問題ではないようです。
もしかしたら、福祉の世界の「当事者主権」にも、そうした落し穴がないかと、ふと気になったのです。

窃盗事件の当事者は、犯人でしょうか、被害者でしょうか、あるいはそれを取り締まる警察でしょうか、さらにはそれによって生活の平安を脅かされる社会でしょうか。
当事者をどう規定するかで、対応も解決策も全く違ったものになります。
上村会長が考えている「問題解決」とは、いうまでもなく自らにとって都合のいい解決です。
上村会長は、辞任して別の人に解決を委ねれば、おそらく自らの都合の良いようには事は進まないと感じているでしょう。
自分が加害者である意識が皆無のように感じます。
最近の相撲や野球で発生した不祥事の時のトップの対応と同じです。
スポーツ界だけではありません。
これは最近よく見る風景です。
原発事故を起こした(「事故が起きた」のではありません)東電の対応もそうでした。
被害者としての当事者意識さえ感じたほどでした。

そこで発生するお金の流れを見ると、そうしたことはさらによく見えてきます。
全柔連のトップたちが不正使用したお金は政府に返済するそうですが、ソーシャル・キャピタルの返済金は自分たちで負担するようにはなっていないようです。
それは東電が原発事故による被災者に払う賠償金を電気料金で賄うのと同じです。

それにしても、どこもかしこも、おかしくなってしまったのはなぜでしょうか。
ちなみに、第三者委員会なるものがよく登場しますが、これもわけのわからない仕組みです。
ともかく、誰も責任を取らない時代になってきました。
自己責任ブームが示したように、責任を取る社会から責任を押し付ける社会へと変わってしまったのでしょうか。
せめて自分で取れる責任はきちんと取りたいともいます。

上村会長の話を見ながら、自分の生き方を改めて問い質しました。

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2013/06/24

■節子への挽歌2117:8年ぶりの三浦さん

節子
一昨日、湯島でフォワードカフェを開催しました。
ちょっとつまづいたけど、前を向いて生きようとしている人たちが、気楽に心を開けるカフェサロンです。
上から目線ではなく、みんな同じ目線で話し合うサロンです。
こうしたカフェサロンをやっていると、人の目線がよくわかります。
節子と一緒に長年。サロンの場をつくってきたおかげかもしれません。

そのサロンに、節子もよく知っている三浦さんが来てくれました。
三浦さんは、かつてのオープンサロンの常連でした。
三浦さんの話によれば、お会いするのは8年ぶりだそうです。
以来の記憶は、私には全く残っていません。

8年前と言うと、私は社会との接点をほとんど切った時期です。
ですから記憶にないのですが、その後、三浦さんは持病の難病が悪化し、入院し、一度は危うかったようです。
それが奇跡的に3回にわたる大手術が成功し、いまはもうこうして湯島まで来られるようになったわけです。

三浦さんがどういう症状で、今はどうされているのかも、正直に言えば、今日、お会いするまでわからなかったのです。
お見舞いにも行かず、いまもどういう状況か訊くのも気が引けていました。
三浦さんには大変失礼なことをしてしまったわけで、ずっと気になっていたのです。
その三浦さんから、湯島のサロンに行くという連絡があった時は、少しホッとしました。

久しぶりの三浦さんは、お元気そうでした。
いろいろとお話もお聞きできました。
思っていた以上に大変だったようです。
人生観も大きく変わったと三浦さんご自身も話されました。
生命を危うくするような体験をしてから、志に生きるとか、何かを残したいというような肩に力が入った生き方ではなく、自然に生きることの大切さが良くわかったと話されました。
しかし、三浦さんの誠実さや謙虚さは、以前からのことです。

久しぶりに三浦さんにお会いできて、とても元気をもらいました。
誠実な人からは、いつも元気をもらえます。
節子にも報告しました。
別れ際に、いつも笑顔の奥さんがいましたね、と話してくれました。
三浦さんは、これからも湯島に来てくれるそうです。

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■富士山が世界遺産になって、なぜうれしいのか

どうも私は性格が歪んでいるのかもしれません。
最近のテレビを書けると、富士山が世界遺産になって、みんな大喜びしています。
その気持ちが全く理解できないのです。
観光客が増えて喜ぶ人もいるでしょうが、迷惑する人も多いでしょう。
遺産になって保全活動が増えるかもしれませんが、破壊も加速されるかもしれません。
なによりも、世界遺産に認定される経過を見ていると、また巨額なお金が動いたのだろうと思います。
テレビ映像を見ていて、とても違和感があります。
そんなにしてまで富士山を金儲けの手段にしたいのかと、実に嫌な気持ちです。
オリンピックと同じで、こうした活動に税金が使われるのは不愉快です。
そんなお金があれば、福島の人たちに提供してほしいです。

富士山は大好きですが、とても汚されたような気がします。
古都鎌倉は、世界遺産になろうがなるまいが、私は好きです。

これは富士山に限りませんが、何でもかでもが経済につなげられるご時世には嫌気が差す一方です。
しかもそれを支えているのは、私たちです。

いま25年ほど前に出版された。藤永茂さんの「ロバート・オッペンハイマー」(朝日新書)を読んでいます。
オリバー・ストーンの「もうひとつのアメリカ史」のテレビドキュメントに思い出して、何冊かの本を読み出していますが、その1冊です。
その序文に、こんな文章が出てきます。

「私たちは、オッペンハイマーに、私たちが犯した、そして犯しつづけている犯罪をそっくり押しつけることで、アリバイを、無罪証明を手に入れようとするのである。オッペンハイマーは「原爆の父」と呼ばれる。これは女性物理学者リーゼ・マイトナーを「原爆の母」と呼ぶのと同じく愚にもつかぬ事だが、あえてこの比喩に乗りつづけるとしたら、オッペンハイマーは腕のたしかな産婆の役を果たした人物にすぎない。原爆を生んだ母体は私たちである。人間である」。
みんなと共に、浮かれることだけはやめたいと思っています。

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■節子への挽歌2116:両親の法要

節子
昨日、私の両親の17回忌と27回忌の法要でした。
節子は今、私の両親と同じお墓には言っていますが、おそらく両親にとっては、実に2人の息子たちよりも、節子のほうがお気に入りだったでしょう。
節子は途中からの同居でしたが、私の両親にはとてもよくしてくれました。
私が果たした唯一の親孝行は、節子だったかもしれません。

節子も私も、固定した墓はつくらないでいようと話していました。
しかし、節子は死を実感したと思われる、ある日、突然に私の両親の墓に入ると言い出したのです。
意外でしたが、あまり深く考えずに行動するのが、私たち夫婦で、私もそれに合意し、いまは墓を守ってくれている兄に話して、了解を得ました。
しかし、いま考えると、私もその墓に入るということです。
私は、できれば大地にまいてほしかったのですが、それができなくなりました。
いささか軽薄だったとも思いますが、人はその時に考えることが正しいのだと言う、あんまり根拠のない信条を持っている私としては、まあ仕方がありません。

法要はお寺でやりました。
父の葬儀の時には、まだ子どもだったご住職の息子さんが、いまは後を継がれて法要をしてくださいます。
毎回、読経も説法も上達しているのが、よくわかります。
今回は、塔婆とお焼香の説明をみんなにわかりやすくしてくれました。

法要後、兄の家族たちと一緒に、食事をしました。
ここに節子がいないのが、やはり大きな違和感です。
とても奇妙な感覚なのです。
やはりまだ私も正常化していないのかもしれません。

8月には節子の7回忌です。
供花にはバラも入れましょう。

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■節子への挽歌2115:パソコンよりも節子と付き合うべきでした

節子
またしばらく挽歌を書かずにしました。
欠かしたことのなかったホームページの更新も先週は忘れてしまっていました。
あいかわらずこの間、いろんなことがありましたが、どうも最近、パソコンに向かう気が薄れてきていました。
節子がいる時に、こうなれば節子には喜んでもらえたでしょう。
節子は、私がパソコンに向かうのが好きではありませんでした。
パソコンで手紙を書くのも嘆いていました。
旅行にまでパソコンを持参していることも気にいらないでいました。
まあ諦めてもいましたが。

パソコンなどとは向き合わずに、もっと節子と向き合う時間を増やすべきでした。
いまにして思えば、悔いが残りますが、当時はせつことはまだまだたくさんの時間があるからと思っていました。
しかし、その時間はある日、突然になくなってしまうのです。

発病後、節子は一日一日を大事に生きることに専念しました。
私も、そうするように、それなりに努力しましたが、それはそう簡単なことではありません。
その生き方は、残念ながら私の身にはつきませんでした。
節子がいなくなったいま、「一日一日を大事に生きること」を忘れたわけではありませんが、それと真逆な生き方をしているかもしれません。
いまここで人生が終わっても良い、と思ってはいますが、それは単に人生観が変わっただけであって、生き方が変わったのではありません。
節子からの学びは習得できずにいます。
節子は彼岸で諦めているかもしれません。

この2日。節子の夢を見ました。
なぜか節子は私よりも颯爽としていました。
内容は思い出せませんが、私を諭していたような気がします。
いまの私は頼りないのでしょうか。
それも少し納得できます。

なにやらまた厭世観が高まっています。
困ったものです。

溜まってしまった挽歌を少しまとめて書くようにします。
時評も書けずにいますので、それも書きましょう。
今日はなにやら陰鬱な天気です。

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2013/06/19

■「沈黙の抗議」からサッティヤーグラハが伝わってきます)

トルコでの市民のデモ活動に対する政府の強制排除はとても残念なニュースでしたが、それに対して、一昨日からイスタンブールのタクシム広場で、市民たちが静かに立ち並んで、政府に対する「沈黙の抗議」が自然発生的に広がっているようです。
グーグルで調べたら、「集まった人々は、ただじっと立っているだけ。警官隊は、広場へのデモ隊の立ち入りは規制していたが、一般歩行者の通行は自由となっており、仕事帰りの市民らが続々と加わった」と書いてありました。
1000人ほどの人が参加したそうです。
その記事によれば、「強い日差しの中、丸1日広場に立ち続けた大学生のイート・ユルマズさん(18)は「叫んだり暴力を使ったりしなくても、政権に圧力をかけられることが分かった」と満足そうな表情だった」とありました。
テレビで、その映像を見ましたが、若者たちが、カジュアルな服装で、ただただ立っている風景は、実に感動的でした。
ガンディーのサッティヤーグラハを思い出しました。

ガンディーは非暴力市民的不服従運動で有名ですが、その基本にあるのは、真実と愛だといわれています。
愛や真実を意味する「サッティヤ」とぶれないとか説得とかを意味する「アーグラハ」と言う、2つのサンスクリット語を合わせた言葉が「サッティヤーグラハ」です。
ガンディーは、非暴力不服従運動に関して、次のように言っています。

サッティヤーグラハは、真実と愛すなわち非暴力から生まれた力である。
私たちがサッティヤーグラハの人々であるならば、私たちは強くなるだろう。
私たちは毎日だんだん強くなって生きている。
力が強くなっていく中で、私たちのサッティヤーグラハもより効果的になる。
シリアでは、暴力に対して暴力で抗っていますが、アメリカやロシアに利用されてしまい、事態は悪化の一方です。
トルコでは、それとは違う動きが出てきました。

暴力に対して暴力を行使するには、さほどの勇気は要りません。
もちろん、愛も真実も要りません。
ただ止むにやまれず身体的に反応するだけです。
その先には展望は開きにくいでしょうし、外部に利用されるだけかもしれません。

しかし、暴力の前に立って「沈黙の抗議」をすることは、勇気だけではなく、愛と真実が不可欠です。
その先には展望があります。
だから感動したのですが、さて振り返って、私たちがいま向き合っている原発再稼動という暴力にも、やはりこうした行為が必要ですね。
なかなか動けないでいる自分がいますが、やはりこのままでは悔いを残しそうです。

サッティヤーグラハな人に、もう一歩、近づこうと思います。

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■「悲しいね」

今朝のNHKテレビの「あさイチ」は、福島の飯舘村をテーマにしていました。
飯舘村は「までいらいふ」を掲げ、美しい農村風景と豊かな暮らしで有名でした。
その飯舘村は、一昨年の原発事故で全村避難を余儀なくされてしまいました。
美しかった農村風景はもうそこにはありません。

事故前の飯舘村の写真展が各地で開催されていますが、それを見た人が、こんな美しい村の暮らしが失われてしまったことに対して、「悲しいね」と話していました。
本当に「悲しい話」です。
しかし、私が思った「悲しいね」というのは、最近の原発再稼動への動きです。
写真を見た人たちが感じる「悲しさ」が、そうした動きにはつながっていません。
一昨年の原発事故は、いったいなんだったのか。
情緒的な悲しさだけで完結してしまっているのです。
悲しさが胸をふさぎます。

また政府は原発再稼動の動きを加速させてきています。
多くの人も、マスコミも、それにあまり違和感を持っていないように思います。
それがとても「悲しい」です。
「原発事故で死者がでていない」と高市議員は発言しましたが、もう少し現実をしっかりと見て、真実を語ってほしいと思います。
マスコミもきちんと報道すべきですし、知っている人はもっと発言していくべきでしょう。
しかし、そうした情報は闇の中に紛れてしまいます。
その結果、相変わらず「原発」とは何かをきちんと知ろうとする人は多くはありません。
情緒的な情報を流す前に、テレビは原発とは何かをきちんと解説すべきだと思いますが、多くの人は「核の平和利用」などというわけのわからない言葉の呪縛から抜け出せずにいます。

私は昨年の夏に飯舘村に行きました。
Iitate_2

テレビに出ていた、かーちゃんの力プロジェクトの渡邉さんのお話もお伺いし、かーちゃんたちが作ったお弁当や料理も食べてきました。
テレビでも話していましたが、渡邉さんはともかく現場を見てほしいとその時も話されていました。
政府関係者が現場に行けば、そしてそこで住民たちと話をしたら、原発再稼動という気持ちには、そう簡単にはならないでしょう。
生活の安定のために原発再稼動を望むと、福島以外の原発が立地する自治体の首長たちが語っていますが、その論理のおかしさにも気づくでしょう。

こんな「悲しさ」が福島周辺には充満しているのに、なぜそれが全国に広がらないのか。
やはり放射線汚染が広がらないと、みんな自分の問題として受け止められないのでしょうが。
それが、悲しくてなりません。
テレビでできることはもっとあるのではないかと、あさイチを見ながら思いました。
司会の井ノ原さん以外の人の発言には、どこかに違和感がありました。

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2013/06/17

■節子への挽歌2114:別れの食事

節子
電話での突然の訃報ほど、頭が混乱することはありません。

電話に出ると、佐藤修さんのお宅ですかと女性からでした。
セールスかなと一瞬思ったのですが、「ご無沙汰しています。野原の家内です」という言葉に、心が凍りました。
そういえば、最近、野原さんから連絡がないのが少し気になっていたのです。
すぐに、訃報だと感じました。
残念ながら、その予感通りでした。
4年前にがんを患い、抗がん治療などしながら仕事を続けていたのだそうです。
まったく知りませんでした。
この4年間、会っていなかったのでしょうか。
いやそんなことはないような気がします。
それで私のホームページで調べてみました。
私のホームページには、私の活動記録が載っていますので、この10年の私の活動記録はほとんどわかるのです。

調べてみたら、3年前の5月に会っています。
はっきりとは覚えていませんが、たしか、急に野原さんから電話があり、会いたいといって湯島に来たのです。
しかし、がんの話は全くなく、いつものように、これから取り組む話を語っていきました。
ホームページには、こう書いてありました。

野原さんは相変わらず関心を飛ばしていますので、
各地の地域整備に関わったり環境問題に関わったりしているようです。
この文章から、野原さんがもしかしたら、急いでいたのかもしれないと思いました。さらに、その記録によれば、私がお昼をご馳走になっています。
これは普通はありえないことです。
湯島での食事の場合、ある事情のある2人を除いて、基本的には私がご馳走することにしています。
にもかかわらず、野原さんがご馳走してくれています。
もしかしたら、野原さんはこれが最後だったと知っていたのでしょうか。
あるいは、その日は、私にがんのことを話しに来たのでしょうか。
今となっては、確かめようがありません。

野原さんは私が東レにいた頃からの付き合いですが、異色のマーケターでした。
私が東レを辞めてしばらくして、野原さんも勤めていた会社をやめて起業したのです。
常人にはなかなか理解し難いところがありましたが、いつも、突然湯島にやってきて、話をして帰っていったのです。
考えは同じようで違っていて、よく論争もしました。

節子が発病した時、野原さんはとても気にかけてくれました。
その野原さんが、がんになり、しかし私には何も話してくれなかったのはなぜでしょうか。
3年前に湯島で話した時に、もしかしたら注意して聞いていたら、何かのシグナルを出していたのかもしれません。

電話でお話を聞きながら、頭が白くなってしまい、何を話したか覚えていません。
もう一度、野原さんには会っておきたかった。
とても残念です。

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2013/06/16

■節子への挽歌2113:小綬鶏(コジュケイ)

節子
節子に何回か献花にも来てくれた坂谷さんが、誘ってくれたので、近くの船戸の森の中にある小綬鶏(コジュケイ)で珈琲をいただいてきました。
節子が好きだったカフェですが、ついに2人で行く機会はありませんでした。
節子が元気だった頃に一度だけ行きましたが、あいにくお休みで入れませんでした。
このカフェの隣には、旧武者小路実篤邸があります。
手賀沼を見下ろす台地の端という絶好の場所です。
それに隣接するカフェ小綬鶏は、まさに隠れ家カフェで、この時期は新緑に包まれて、まるで軽井沢か箱根のような雰囲気です。

節子が好きで、一緒に行こうといっていた理由がよくわかりました。
なぜ節子の誘いをしっかりと受けなかったのだろうかと後悔しました。

私たちよりも高齢な老夫婦がお店をやっています。
日曜の午後だったせいか、お客様も多かったです。
ちょうど雨上がりの後で、しかも太陽が少し顔を出してきたこともあって、心がやすまりました。

坂谷さんも、この近くに住んでいます。
いつも私のことを気にしてくれていて、この挽歌も、読んでくれているかもしれません。
あまりに居心地がよかったので、2時間も過ごさせてもらいました。

最近、なにかと心乱れることが多いのですが、久しぶりにゆっくりしました。
半年前よりも元気そうですね、と坂谷さんに言われました。
坂谷さんも元気そうで、いつものように、いろいろな話をしてくれました。

美味しい珈琲でした。

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2013/06/15

■みんなで汗をかいて働く豊かさ

昨日、栃木県の足利にある、こころみ学園に行ってきました。
重い知的障害を持つ人たちが共同生活しながら、ぶどうを育て、今では有名になったココファームをやっているところです。
50年以上の歴史があるところです。
事務局長の佐井さんからお話をお伺いし、施設を見せてもらい、最後にレストランで食事をしてきました。
前から気になっていたところですが、やはり現地に行って、知りえたことがたくさんありました。

一番驚いたのは、ブドウ畑が急勾配な山腹にあることでした。
前から写真でも見ていましたし、話にも聞いていました。
急なところは38度だとも知っていました。
しかし、いざそこに行ってみると、やはり驚きました。
上まで登るだけでも私には無理そうです。
Coco
どうしてこんな急勾配な斜面にしたのかと質問したら、佐井さんは、厳しさの中で汗をかいて働くことも大事なことですからと言われてしまいました。
こころみ学園の方針は、汗をかいて働く、そして、みんな家族のように一緒に暮らすということなのです。
創立者の川田さんは、貧乏でもいいから、昔のようにみんなで汗を流していこうと言っていたそうです。

もうひとつ印象的だったのは、みんなそれぞれに自分でできることを見つけて、自分のできる範囲でがんばっている。そのできることを繰り返し繰り返しやっていると、それに関しては誰にも負けないプロになる、という佐井さんのお話でした。
たとえば、草むしりのプロ、石ころ探しのプロ。
石ころ探しのプロとい捉え方に、豊かさを感じました。

ほかにも学ばせてもらったことはたくさんあります。
食事の後、ぶどう畑を見ながら30分ほど、いろいろと考えました。

みんなで汗をかいて働く。
それこそが働くことの原点です。
畑や瓶詰めなどを手作業でしているみなさんを見ながら、今の私たちの社会は逆転しているような気がしてきました。

そういえば、瓶詰めのところに外国人が一人混じっていました。
技術指導ですか、と佐井さんに質問したら、あの人は世界各地のワイナリーを勉強で回っているフランス人なのだが、2年ほど前にやってきて、ここに定着してしまったと教えてくれました。
障害をもつ人たちと一緒に、ゆっくりしたリズムで、違和感なくなじんでいました。
豊かな時間を過ごしているのだろうなと思いました。
私ももっと、人生を豊かにしなければいけません。
そうしないと社会そのものが貧しくなっていくような気がします。

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2013/06/14

■節子への挽歌2112:思いつきで生きている

節子
最近、ユカからお父さんは思いつきで生きているから迷惑を受けるとよく言われます。
たしかにそう言われれば、その通りです。
おそらく節子も、そうした私の生き方で迷惑を受けていたことでしょう。
しかし、節子がいなくなってから、ますますその傾向は強くなっています。
節子がいた頃は、それでも計画を立てる文化が残っていましたから、その計画が「思いつき」を押さえてくれていたのかもしれません。
しかし、節子がいなくなってから、私の時間は流れなくなってしまいました。
時間が流れなければ、計画は無意味です。
ですから、計画は一切やめてしまいました。
そのため、ますます思いつきの人生になってしまっているのです。

私が思いつきで生きていると思っている人は少ないでしょう。
多くの人は、人を先入観や世間の尺度で理解しがちです。
節子が知っているように、私はそうした世間の常識からはかなり逸脱しています。
そもそも「言語体系」や「価値基準」がまったくと言っていいほど違うのです。
私自身が、それに気づいたのは、節子を見送った後ですが、自分でもなかなか気づかなかったほどですから、世間の第三者にはなかなか伝わらないでしょう。
最近、私の話していることや行動は、たぶんほとんどが伝わっていないなと思うことがよくあります。
それは実にやりきれないことなのですが、最近はまあそれでいいかと思えるようになってきました。
まあ完全とはいわないまでも、私のことをわかっていた節子がいなくなったことは、私には大打撃でした。
家族とはいえ、娘たちにもあんまりわかってもらえていないようです。
娘たちにとっては、頼りにならないだめな父親でしかないのでしょう。
まあ、それはそれで正しい理解なのですが、少しさびしい気もします。

この挽歌も、思いつきから始まっていますが、思いつきも悪いものではありません。
ただ周りの人は迷惑を受けるようです。
しかし一言弁解すれば、思いつきとは天の啓示に従うということでもあるのです。
正しく生きていれば、思いつきもまた、正しいのです。
その結果が大変なことになったとしても、それはそれできっと正しいのです。

娘には悪いですが、これからも思いつきで生きていこうと思います。

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2013/06/13

■節子への挽歌2111:「でも、それでいいんだよ」

節子
昨日の朝日新聞に、「がん患者学」を残した柳原和子さんの闘病を間近で献身的に支え続けた工藤玲子さんのインタビュー記事が乗っていました。
「がん」という文字があるだけで、拒否反応が出てくるのですが、柳原さんという名前に魅かれて読んでしまいました。
いや読むことができたというべきでしょうか。

柳原和子さんに関しては、節子の闘病中と見送った後に少しだけ接点がありました。
柳原さんの生き方は、大きな支えにもなっていました。


工藤さんが語っていることは、すべて素直に心に入ってきました。
「がん」と言う文字があるのに、こんなに心穏やかに読めたのは初めてです。

最後に工藤さんはこう語っています。

柳原さんには人を丸ごと大きく巻き込んでしまう不思議な吸引力があり、最期までお付き合いしました。泣いたり、わめいたり、はしゃいだり、喜んだり、引きこもったり。人間は強くないし、病を抱えるとさらに弱さが出てしまう。でも、それでいいんだよ、と、柳原さんに教えてもらった気がします。
私が節子から学んだことが、すべて語られていました。
節子もきっと、私の不十分な看病と見送った後の無残な生き方に対して、「でも、それでいいんだよ」と言ってくれているような気がしました。
駆動さんの言葉を読んで、少し心が安堵した気がします。

「でも、それでいいんだよ」
そうだよね、節子。

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2013/06/12

■原子力規制委員会は原子力寄生委員会?

朝日新聞の夕刊を見て驚きました。
1面トップの大見出しが「原発40年超なら特別点検」なのです。
やはり原子力規制委員会は、原子力寄生委員会だったのかと、愕然としました。
「運転延長に新規制」とサブの見出しに書かれていますが、要は運転機関が40年と定められている現実を厳しくするどころか甘くしたわけです。
福島の事故は、むしろ原発推進を加速させているのかもしれません。
参議院選挙で自民党が勝てば、もう好き勝手ですよ、とその分野の人から聞いたことがありますが、まさにもう流れは戻っているようです。

このブログではもう何回も書いていますが、そもそも原発はその存在において、安全ではないのです。
しかし、あの大江健三郎さんでさえ、原子力の平和利用などという言葉にごまかされたように、多くの人は問題を「運転の安全性」だと受け止めているようです。
大江さんも、一度でも原発施設の現場に行き、きちんと説明を聞いていたら、そんな間違いは犯さなかったと思いますが、大江さんから平和利用などと言われてしまえば、多くの人はそこに希望を感ずるでしょう。
それに、ほとんどの人は電力会社が用意した見学コースでしか原発を見ていません。
それに、科学技術神話がまだ生きている日本においては、科学技術性善説がまだまだ常識なのでしょう。

いま必要なのは、原子力発電が必要かどうかではありません。
ましてや、原発の安全性の問題ではありません。
福島の事故で明らかになった現実をしっかりと見て、原子力とは何かを改めて考えるべき時期だろうと思います。
原爆は国と国、あるいは人と人の間の暴力行為の手段ですが、原発はすべての生命と非生命との間の暴力行為の手段ではないかと思います。
いかに被曝されたところでも、非生命のコンピュータは作動し続けるでしょう。
原発に依存した世界の先は、非生命の不気味な、しかしおそらく平和な世界なのでしょう。

今日のトップ記事を読みながら、そんな未来を感じてしまいました。

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■他者に守られている安全

アメリカ政府によるネット上の個人情報の極秘調査活動を国家安全保障局の職員(29歳のエドワード・スノーデンさん)が内部告発したことが大きな話題になっています。
「テロ対策を名目に、メールなどのネット上の個人情報を収集していた」と朝日新聞に書かれていました。
私が驚いたのは、こうしたことが政府によって行われていたことではありません。
そんなことは当然行われていると思っていました。
私が驚いたのは、まだこういうことが問題にされる程度に、アメリカ社会にも健全性が残っていたということです。

しかし、ほんとうにそうだろうかとと思っていたら、案の定、不安材料がでていました。
事実が報道された後の世論調査によれば、「テロ捜査の方がプライバシーの保護より重要」とする意見が62%にのぼったと、同じ新聞記事に書かれていました。
テロ対策のためなら、メールなどのネット上の個人情報を収集することも認めようと言う人が過半を占めているのです。
スノーデンさんの行為は、決してエシュロン(映画にもよくでてくるアメリカの国家安全保障局の情報収集システム)の牙城は崩すことにはならないでしょう。
そういうシステムは、政府を信頼できる限りにおいては、国民を守る方向で働きますが、政府次第では牙をむき出して国民を襲ってきますから、そのマネジメントやガバナンスは民主的でなければ危険です。

今回告発された極秘調査は、テロ防止策の一環としてブッシュ前政権下で始まったそうです。
オバマ政権は、それを継承し、拡張したといわれています。
私自身は、前にも書いたようにオバマ政権が人権重視しているなどとはどうしても思えませんが、せめてこういう活動はもっと開かれた管理下で行われるべきだろうと思います。

私たちの「安全」を守るために、管理社会化はますます進展するでしょう。
管理されるとは守ってもらうことだと考える人も少なくないでしょう。
しかし、他者に守られている安全は、私には違和感があります。
私が望みたい「安全」とは、どうも違っているような気がします。
個人情報の極秘調査に取り組む政府には不気味さを感じます。
同時に、個人情報を隠そうとする人たちにも、私は不気味さを感じます。
あっけらかんと自らを開いていく生き方を、みんながするような社会を目指したいものです。

東北の被災地の沿岸で、高い防波堤が築かれ、生態が変わり、シラウオが取れなくなるかもしれないという報道をテレビでやっていました。
高い防波堤に守られてまで、海沿いに住んで、漁業をやるという感覚が私には全く理解できません。
個人情報とは違う話ですが、ここにも同じような違和感を持ちます。
私には繋がっているように思えます。

生活には常に危険はつきものです。
危険がない世界での、守られた安全な生活は、とんでもなく安全でない世界のように思えてなりません。

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■節子への挽歌2110:タイミングがよすぎる2回の電話

節子
新潟のKさんは1か月ほど前に13年間、看病されていたご母様を亡くされました。
105歳ですから、大往生だったのですが、看病期間が長かったせいか、Kさんの落ち込みは大きかったようです。
亡くなった直後にお電話をいただきましたが、その話しぶりから悲しみの大きさが伝わってきました。

それから3週間ほど経ってから、Kさんに手紙を書いていました。
Kさんは達筆な方で、いつもていねいなお手紙をくれるので、私もパソコンをやめて慣れない手書きの手紙を書いていたのです。
その時、Kさんから電話がかかってきました。
あまりのタイミングの良さに驚いたものでした。

そして今日。
1か月ほど経ってKさんはどうしているかなという思いが浮かびました。
節子を見送った後のことを思い出しました。
電話はとても微妙で、うれしいと同時にわずらわしいものでした。
Kさんはどちらだろうと思いながら、結局、電話しました。
あいにくご不在。元気な証拠かなと安堵しました。
そうしたら、先ほど、Kさんから電話がありました。
やはりまだ抜け出せていないようです。
いろいろと話した後で、私が電話したので電話したのですかと質問したところ、私が電話した事は知りませんでした。
またまた偶然の一致です。
悲しさはどこかでつながっているのかもしれません。

Kさんがポツンと言いました。
母親でもこんなだから、奥さんを見送った佐藤さんはもっと大変だったのでしょうね、と。
大きな違いは、悲しさを分かち合える人がいるかどうかです。
Kさんの悲しさや辛さに耳を傾けるだけでも、少しはKさんの支えになっているのかもしれません。

関東は梅雨らしい日です。
雨の合間の鳥たちの鳴き声がうるさいほです。

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2013/06/11

■節子への挽歌2109:重い荷物を背負う先にあるもの

節子
この数日、いろんな人からメールをもらいます。
それぞれに自らが重い荷物を背負った人たちです。
その人たちからのメールを読みながら、みんなそれぞれに問題を抱えているのだということがよくわかります。

伴侶を亡くされた人は、こう書いてきました。

人は何かあるごとに間口を開き許容量は増して行くのかも知れませんが、動物的な感(勘?)で危険を察知しながら進んで行くのかも知れません。
どんなに忙しくても私は自分がおちている時は奥多摩の方へ出かけます。
それは、私が子どもの頃山の中腹にある寺院で育ったため、山の中の自然と同化できるのだと思います。
またある人は、こう言います。
立ち止まらないといけないと思っていますが、立ち止まるともう動けなくなるような気がして、それがこわいのです。
体調を悪くして、2か月ほどダウンしている人からは、なんと逆になぐさめのメールが来ました。
ご様子いかがですか。
どうぞ、心身を休まれるときは、ゆっくりと休養されますように。
問題を抱えている人ほど、他者の問題も見えるのでしょう。
私も、最近、周辺の人たちの問題がよく見えるような気がします。
それだけ私自身が問題を抱えているということかもしれません。

韓国の法頂さんが、その著書の中で、無所有になれば、すべてのものが自分のものになるというようなことを書いていましたが、他者の問題をシェアすれば、自分の問題もシェアしてもらえるのかもしれません。
重い荷物を背負う先には、きっと開けた世界があるのでしょう。
重い荷物は、やはりしっかりと背負っていかねばいけません。
最近ちょっと疲れだしていますが、私だけではなく、みんなそれぞれに重い荷物を背負っているのですから。

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■株価の乱高下するのは株式には価値がないからです

株価の乱高下が話題になっています。
しかし、生活にとって、そんなことは全く無関係の話です。
第一、ちょっとした情報で価値が乱高下するようなものは、もともと価値がないからです。
価値がないからこそ、それによって、損得が発生するわけです。
なにもせず株式を持っているだけで、短期的に損をしたり得をしたりすることが、そもそもおかしいと思うべきでしょう。
株価の乱高下が、もし景気につながっているとしたら、そもそもそういう景気観が、生活とは違う次元の話なのです。
にもかかわらずマスコミは、まるでそれが生活につながっているように報道します。

アベノミクスなどとマスコミは持ち上げていますが、生活がじわじわと壊れだしているような不安が拭えません。
作られた好況によって、消費税も上がるでしょうが、円安効果と誘導されたインフレで、生活はますます苦しくなりかねません。
生活が苦しくなれば、さらに金銭への依存を高めていくことになるでしょう。
アベノミクスが、そうしたマイナススパイラルを加速しなければいいのですが。

これを機会に、お金に依存しない生き方へと、それぞれが少しだけ生活姿勢をシフトできないものでしょうか。
もしそれができれば、禍転じて福となすです。
お金に依存しないとしたら、何を頼りにしたらいいでしょうか。
いま必要なのは、自分の生活にとって、何が大切かを考えることではないかと思います。
私には、少なくとも、それはお金ではありません。

自分にとって、何が一番大切か。
そんなテーマで、カフェサロンを開きたくなりました。
一人でも賛同者が出てきたら、開催したいと思います。
どなたか「よし、やろう」と言ってくれる方はいないでしょうか。

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2013/06/10

■節子への挽歌2108:覚悟

節子
昨日、薬師寺の大谷さんの話を書きましたが、もう一つ印象的だったのが、「覚悟」ということです。
人に説法する時には、覚悟がなければいけないということです。
私の勝手な解釈では、相手と共にあることを覚悟するということです。

最近読んだ本に、「魂の脱植民地化とは何か」という、とても共感できた本があります。
そのなかに、「憑依」の危険性を書いている部分がありました。
この本で言う「憑依」とは、「魂が他者の魂の動きをなぞって、わかったつもりになること」というような意味です。
平たく言えば、相手の立場になって考えるということです。
著者の深尾さんは、それはとても危険なことだというのです。
他者の魂になって言動するなどできるはずがありません。
そもそも人は、自らの魂とさえ断絶していると、深尾さんは書いています。
これに関しては、また別に書きたいですが、ともかく他者の魂と共にあろうと思うことは危険であり、覚悟が必要なのです。

覚悟は、観自在の結果、自ら、つまり「われ(吾)」を悟ることです。
問題は、その「吾」とはなにか、です。
私の思いでは、それは「大きないのち」の吾です。
そこには、小さな自分は消え去り、相手と共にある自分がいる。
自分と相手とは、不二の関係にある。
それが覚悟ではないかと思います。
それは簡単なことではありません。
しかし、愛する人を亡くした人は、自然とそれができるようになるのかもしれません。
特に、一人だけではなく、今回の大震災の津波に被災された人たちのように、たくさんの人たちが一緒に、そういう体験をした場合、自然と覚悟が生まれてくる。
そんな気がします。

私に覚悟が芽生えたのは、5年も経ってからです。
でもまだ、節子と共にあることだけで、精一杯の気がします。
どこかで、節子をえこひいきしている自分が覚悟をゆるがせているのです。

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2013/06/09

■節子への挽歌2107:「観自在」、「自らのあり方を観よ」

節子
奈良の薬師寺の僧侶たちが、東北の被災地での写経活動に取り組んでいます。
その活動をテレビで観ました。
被災者たちを前にして、何を語るべきか、それぞれが悩みながら、自らを問い質しながら、言動を深めている様子が感動的でした。
いろいろと考えることが多かったのですが、特に2つのも自我心に残りました。
「覚悟」と「観自在」です。
ずれも、「自ら」ということが含まれている言葉です。

説法師の大谷さんという僧侶が、写経の前に「観自在」の意味を話しました。
「観自在」、つまり「自らのあり方を観よ」。
写経行為は、自らと向き合うことだというわけです。

昨年から少しずつ広がりだしている、「魂の脱植民地化」という言葉(概念)があります。
私の目指す生き方につながっているので、以前から関心を持っていました。
概念そのものの内容は、決して目新しいものではありませんが、「魂の脱植民地化」と言われるとなにやら事の本質が暴かれるようで説得力があります。
それはそれとして、その概念を言い出した深尾葉子さんの本に、次のような文章があります。

自分が何を感じているのか、心の中が、どんなつくりになっているのか、自分の心の中を覗き込むことは、ひょっとすると他人の心の中を知るよりも難しいのかもしれない。(「「魂の脱植民地化とは何か」」。
昨日、テレビで大谷さんの話を聞いて、なぜかこの文章を思い出しました。
深尾さんの本を探し出し、その文章を探しました。
そのままにしておくと、どうも気分がすっきりしないのです。
しかし、本の中から文章を探すのは結構大変です。
気になりながら、今もって見つけられていない文章が2つあります。
一つは20年以上、探していますが。
幸いに今回はすぐ見つかりました。

深尾さんは、こうも書いていました。

自分自身が頭で考える「自己像」と、自分の身体反応がつくりあげる自己は必ずしも一致するものではなく、頭でつくりあげた「思い込み」が、身体に著しい負荷をかけたり、逆に身体は必ずしも思い通りに動くわけではない、という当たり前のことに直面する。自分の中で常に沸き起こる不調和のような感覚は、自分自身の魂と身体、心と体、あるいは身体のそれぞれの部位の乖離によるものではないかと感じ始めていた。それは、アイデンティティといったレベルの不一致ではなく、一種の特異な統合失調とでもいえる状態である。
最近の私の状況がとても納得できる気がしてきました。
同時に、まだまだ自らの見詰め方が不足しているとも思いました。
呪縛から自由でいるつもりでも、まだまだ私の魂は呪縛されているようです。
もっと自らの生き方や在り方を見詰め、魂を解き放ちたいと思います。

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2013/06/08

■節子への挽歌2106:場違いなパーティに参加してしまいました

節子
小宮山さんの会社のコミー40周年記念の集まりに参加してきました。
仕事の面では全くと言って良いほど、無縁なので、私は場違いではないかと辞退しましたが(それにそういう場が最近どうも苦手なのです)、小宮山さんがともかく来てほしがっている感じだったので、参加させてもらいました。
ほとんど私の知らない人たちでしたが、参加者名簿を見たら、もう30年以上会ったことがないのに毎年年賀状をくれる弁護士の青木さんの名前が出ていました。
いつも気になっていたのですが、こんなところでお会いできるとは思いませんでした。
しかし、もうお会いしたのが大昔なので、お互いに顔さえ思い出せません。

前半は会社の過去と未来を紹介する正式なイベントでした。
小宮山さんから会社の話を断片的には聞いていましたが、改めてコミーという会社の良さを実感しました。
ビジネスに関わっている人たちがいろいろと思い出話を披露していました。
しかし、私はコミーのビジネスとは無縁なので、やはり場違いだったなと思いながら聞いていました。

後半は立食形式の交流会でした。
知り合いがいないなあと思っていたら、佐藤さんですか、と声をかけられました。
たぶん15年ほど前に一度お会いした溝井さんでした。
知り合いのいないパーティで声をかけられるとホッとします。
青木さんにもお会いできました。

知り合いがいないと書きましたが、コミーの社員のみなさんは、ビジネスでの接点がないにもかかわらず、私のことを知っていてくれました。
小宮山さんが「しゅうさん」の話をよくするのですよ、と専務の小山さんが教えてくれました。
どんな話がなされているのか少し心配ですが、そうこうしていたら、司会の人が突然、私を指名して話をしろというのです。
最も相応しくない話し手だと思ったのですが、敬愛する小宮山さんのご指名とあれば、話さないわけにはいきません。

話の最後に、小宮山さんとの付き合いは楽しいのだけれど、迷惑していることが一つあると言って、「箸ピーゲーム」の話をしました。
ピーナツを箸で移動させるゲームが箸ピーゲームで、小宮山さんは私に会うたびに、その普及に尽力してほしいというのです。

話を終わって降壇したら、国際箸学会の理事の2人が跳んできました。
怒られるかなと思ったら、反対で、よくぞ言ってくれたというのです。
どうも箸ピーゲームで迷惑を受けているのは私だけではないようです。
それを知ったら、なぜか逆に応援しようと言う気になりました。
みんなに反対されている人には協力しなければいけません。

こういう集まりに出ると、必ず何か宿題を背負い込んでしまいます。
だから嫌いなのです。

でも小宮山さんは幸せな人です。
素直な人は、みんな幸せなのです。
節子が元気だったら、2人でやってきた会社のコンセプトワークショップも25周年交流会を開きたいと思っていました。
もしやるとしたら、今年がその年だったのです。
そんなこともちょっと思い出しました。

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■節子への挽歌2105:「スパイ大作戦」

先日、何もやる気が起きずに、ぼんやりとテレビを見ていたら、衛星放送で昔の「スパイ大作戦」を放映していました。
節子はテレビドラマがあまり好きではありませんでしたが、なぜかこの番組だけは、2人で見ていた記憶があります。
そのことを思い出して、ついつい見てしまいましたが、全く面白くありません。
なぜ当時は、面白いと感じたのでしょうか。

それにしても、あまりにテンポが遅く、仕掛けもお粗末で、迫力もありません。
おそらく昨今の作品に私の目や感覚がならされてしまっているのでしょう。
このドラマを映画化したトム・クルーズの「ミッション・インポッシブル」は4作も出来ていますが、こちらはあまりに馬鹿げていて、リアリティがないのですが、どうも私の感覚はむしろ最近の作品がデフォルトになっているのでしょう。
見ていて物足りなく、早送りしたい気分でした。

しかし、ちょっと視点を変えると、昔のほうが人間らしさや気分のよさを感じます。
節子は、西部劇や戦争映画は嫌いでした。
人をむやみやたらに殺傷する場面が、節子の好みではなかったのです。
たしかにそういう視点で見ると、ドラマ「スパイ大作戦」は人を殺傷する場面はありません。
それに比べて、最近のドラマや映画は、人が物のように殺傷されます。
節子なら拒否反応を示すでしょう。
節子は人の殺傷はもちろん、物を粗末にする場面さえも嫌っていました。
「スパイ大作戦」を何となく見ながら、そんなことも思い出しました。

節子は、ある意味では「良い時代」を生きたのです。
その前も、そしてこれからも、たぶん節子が生きた時代に比べれば、人間が粗末に扱われる時代かもしれません。
それを体験しないですんだことは、せめてもの慰めです。

それにしても「スパイ大作戦」は退屈です。
昔あんなに好きだったことが今となっては理解できません。
人の感覚は変わるものです。

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2013/06/07

■節子への挽歌2104:久しぶりのお弁当

節子
風早さんが湯島に来てくれました。
風早さんはある研究所の役員ですが、節子の病気のとき、毎朝、回復祈願してくれた人です。
そして、節子を見送った後、ご自身もがんが発見されました。
風早さんは私より少しだけ若いのですが、思いの深い方なのです。

話がいろいろ広がり、お昼を過ぎたので、食事に行きましょうかと誘ったら、実はお弁当を作って持ってきたと言うのです。
ご自身の手づくり弁当です。
風早さんは毎朝、5時に置き、朝食を作りながら、ご自分と奥様のお弁当を作るのだそうです。
今日は、それを一つ、余分に作ってきてくださったのです。
佐藤さんは、最近手づくりお弁当は食べていないでしょうから、と言って、心のこもったお弁当を出してくれました。
実に見事なお弁当です。
さまざまな食材を使った、カラフルで美味しいお弁当でした。
風早さんが言うように、久しぶりのお弁当でした。

話をしているうちに、風早さんはいま、私たちが昔住んでいた保谷に住んでいることがわかりました。
しかも私たちが住んでいたところを時々通っているほどの近さだそうです。
それでまた一挙に話が弾んでしまいました。

さらに話は広がりました。
風早さんは岡山のご出身ですが、ご実家が数年前に不審火で焼失してしまったのだそうです。250年ほど前に建てられた由緒ある建物だったようですが、聞き漏らしましたが、当時は誰も住んでいなかったのかもしれません。
風早さんの夢は、仕事を得たら、そこに隠居し、晴耕雨読しながら、その建物をみんなに開放していくことだったと言います。
その夢が無残にも消えてしまったわけです。
風早さんの人生は変わってしまったわけです。

人生は何があるかわかりません。
節子がいなくなって、私の夢も消えました。
風早さんは、思い出がつまった家をなくしてしまい、夢も失ってしまった。
話しながら、そうか人はみんなそれぞれに大切なものをなくしながら生きているのだと思いました。
その大切さは、比べようもありません。

しかし、風早さんの夢は回復可能です。
岡山は遠いですが、風早さんにはその夢をぜひ実現して欲しいと思いました。
なにか出来ることがあればいいのですが。

でも私の夢は回復しようがありません。
そんなことを考えながら、ちょっとうれしく、ちょっと悲しさもある、久しぶりにお弁当をご馳走になったわけです。

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2013/06/06

■節子への挽歌2103:佐世保からの電話

今日は湯島に行きました。
行けば、それなりの面白いことが起こります。
後半はまあいささか深刻な話だったのですが、来客の合間に少し魅力的なことが起こりました。
佐世保の三浦さんという方から電話があったのです。
いまからもう15年以上前になりますが、佐世保の三川内(みかわち)の焼き物の若手窯元たちと一緒に、2年ほどプロジェクトを組んだのです。
その時の報告書が見たいというのです。

三浦さんは、当時、どこかで私と会ったことがあるそうです。
一度お会いした人のことは、基本的には何らかの形で記憶にとどめているのですが、どうしても思い出せません。
まあそれはそれとして、三浦さんは今度また三川内を元気にするプロジェクトを起こすようです。
これは応援しなければいけません。
電話だったので詳しいお話はまだ聞けていませんが、何かできることがあればと思います。
もしかしたら久しぶりに佐世保に行けるかもしれません。
三川内もまた、節子といつか行こうとして、行けなかったところのひとつです。
佐世保に行った時には、三川内よりもハウステンボスを選んでしまったからです。
選択を間違ってしまいました。
節子の好みは、間違いなく三川内だったでしょう。
当時の若手窯元たちも、いまでは大作家になっています。

明日もまた、新しい出会いが予定されています。
明後日も、です。
少しずつ、また前に進めそうです。
重いものを引きずりながらではありますが。

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■節子への挽歌2102:世界は意識が創り出すもの

節子
今日から気分を変えようと思います。
世界は意識が創り出すものでもありますから。
これまでもそういう体験は何回もしてきています。

早朝に起きて、庭の花に水をやってきました。
さすがに畑にまでは行く気にはなれませんでしたが、後で行こうと思います。
まずは自分から。
節子が元気だった頃、よくそう話し合っていたものです。

意識が萎えると身体まで不調になります。
それを跳ね返さないといけません。

昨日、テレビで80歳の平幹二郎さんが、舞台を休みたいと思うことがあるが、1階休むとたぶんずっと休みたくなるのだろう、と話していました。
全くその通りで、最近、私は舞台を降りることを覚えだしてしまっています。
今日から、もう少し前向きに。

今日も暑くなりそうです。

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2013/06/05

■節子への挽歌2101:さらにふさがる一方です

節子
昨日、八方ふさがりの厄払いに大杉神社に行ってきましたが、なぜかさらに事態は悪化し、八方どころか16方ふさがりになってきてしまいました。
一体どうなっているのでしょうか。
もしかして、節子が悪さをしているのではないでしょうか。
そういえば、最近、お墓参りも月に1回になってしまったし、朝の般若心経も時々、中抜きになっているし、それを怒っているのかもしれませんね。
このままいくと、さらにふさがってしまい、窒息死しかねませんから、まあ節子には早く会えるかもしれません。
しかし、もう少し此岸に用事があるのです。

昨日に続き、今日もまた、何もせずに在宅でした。
畑に1時間ほど行ってきましたが、まさにシジフォスのように、野草を刈っても後からどんどんでてきてしまい、また昨年の二の舞になりそうです。
先日植えた野菜はまあ元気なのですが、花の種子は完全に野草に負けてしまっているのです。
また熱中症になるといけないので早々に引き上げてきましたが、がんばりが持続できません。
畑までうまくいかないのです。

実は調子が悪いのは、私だけではないのです。
娘たちも、さらに挙句の果てにジュンの連れ合いまで、体調がよくないのです。
しかも、先月入院した節子の姉もリハビリが遅れていて、退院できずにいます。
私の周辺は、もうめちゃめちゃってわけです。
これってどう考えても、意味がありそうです。
厄払いではなく、もっと自らの生き方を正さないとだめそうです。
でも何をどう正せばよいかわからないので困ります。

しかしめげていても仕方がありません。
流れを反転させなければいけません。
明日は、予定通りの行動をしようと思います。
ともかくこんな状況だと、挽歌も書けなくなりそうです。
少しは内容のあるものを書きたいと思いますが、パソコンに向かっても、書くことが出てこないのです。
いったいどうなっているのでしょうか。
困ったものです。

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2013/06/04

■節子への挽歌2100:八方ふさがりは打開できるでしょうか

節子
茨城県の大杉神社に行ってきました。
前に書きましたが、その神社の厄払い表を見たら、私も娘のユカも今年は「八方ふさがり」の年なのです。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2013/02/post-2270.html
たしかに、これまでの数か月を見ると、まさに「八方ふさがり」です。
それで、ユカが付き合うよと言ってくれたので、2人でその大杉神社に行くことにしました。
車で1時間ほどです。

Oosugi_2

なんとなく商業主義の神社を予想していましたが、思ったよりも由緒ある神社でした。
それに儒教や韓国を思わせるものも多く、あまりこれまで体験したことのない神社でした。
もちろん商業主義ににおいもありました。
とりわけ違和感があったのは、本殿前に厄年を表示している2本の柱上の大看板でした。
写真の左側に見えるものです。
節子だったら顔を背けるでしょう。
しかしまあ、八方ふさがりを打開したいと思っている私たちは、素直に作法通りのお参りをしました。
お払いはしてもらわずに、お守りで済ませてしまいました。
さてその結果はどうなるでしょうか。

前の記事に書きましたが、今日は予定を変えての1日でした。
帰路にどこかに寄ろうかと思いましたが、その途中には見事になにもないのです。
唯一あったのは、阿見のアウトレットです。
私にはまったく無縁の施設ですが、シャツでも買ったらと寄ってくれました。
しかし、やはり私にはこうしたところは不得手です。

娘が、そういえば、お母さんも買い物が好きではなかったねと言いました。
お洒落にも美容にも、お母さんはあんまり関心がなかったねと言うのです。
ああ、そうだったのかと思いました。
私は、それさえも気づかないほどに、お洒落や美容には無関心でした。
それでもか、あるいは、そのせいか、はわかりませんが、私には節子が魅力的でした。
節子がよく、「どうして私がいいの」と言っていたのを思い出します。
まあ、私にはだれでもよかったのかもしれません。
伴侶とは、そんなものなのだろうと思います。

ところで、帰宅した途端に、2人ともダウンしてしまいました。
熱中症かもしれません。アウトレットは、ともかく暑かったですから。
八方ふさがりの厄払いに行って、ダウンしてしまうとは、先行き不安ですね。
やはり神社でのお払いをしてもらわなかったのが災いしたのかもしれません。
神様にはケチってはいけません。

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■節子への挽歌2099:今日は予定をすべてキャンセルしました

中国の宋代の儒学者、朱子は、気という物質的な次元で人間と世界とを連続的に説明しようとする発想に基づき、環境と身体の相関のうちに人間存在の根幹をみると考えました。
これは、私には「大きないのち」の発想に繋がる考えのように思います。
これに関しては、以前も書いたような気がします。

最近、どうも気が滅入る状況が続いています。
環境を変えないといけません。
しかし、気が滅入っている時には、なかなか環境を変えようという気も起きてきません。
流れに流されて、ますます気が滅入っていきかねません。

幸いにこの3日間、梅雨の合間の良い天気が続いています。
いろいろと環境を変える段取りをしていますが、今日は思い切って、日常を離れて、まったく別の1日にすることにしました。
幸いに、先月末の誕生日に体調を崩していた上の娘が、誕生日プレゼントに1日、好きなところに自動車で連れてってやるという提案がありました。
私は自動車免許を持ってはいるのですが、あまり運転適性がないため、運転をやめてから10年を超えてしまいました。
最近は全く運転をしていないのです。

気というのは不思議なもので、それだけで少し気が動きます。
予定をすべてキャンセルし、今日は気ままに過ごすことにしました。
朝にはまず畑に水やりに行ってきました。
ナスは少し水やりをさぼると元気をなくします。
実に正直で、親近感を持ちます。

昨日も、畑で生い茂りだした野草と奮闘しました。
ちゃんとした農地ではないところですので、ともかく野草が元気なのです。
もう少し農地らしくなると、たぶん野草も遠慮してくれるのでしょうが、いまはまだ自分たちがこの土地の主役だと思っています。
まさに朱子が言うように、生命は環境と一体です。
そうした中で、身をこごめて鎌で草刈りをしていると、もろに土ほこりがのどに入ってきます。
この辺りは放射線汚染がかなり高いので、おそらく私も内部被曝しているでしょう。
畑作業をやった後は、必ずのどがおかしくなります。
そしていまや恒常化しています。
しかし、環境と共に生きるのは生命の必然です。
それを防ごうとなどは思いません。

ところで、最近私が滅入らせている環境は、いろいろあります。
しかし、一番大きいのは、やはり節子の不在です。
6年近くたってと思われそうですが、それを実感できてきたのは、実は半年程前なのです。
それまでは現実として受け容れられないところもあり、したがって逆にその意味が理解できなかったのです。

愛する人の死への悲しみは、時が癒してくれると、よくいわれますが、たしかに癒してくれる面もありますが、逆に時と共に真実味を増してくることもあるのです。
もしみなさんの周りに、そういう人がいたら、ぜひこのこともちょっと思い出してください。

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2013/06/03

■節子への挽歌2098:ネクタイ

節子
ジュン夫婦が誕生日祝いを持ってきてくれました。
私が、最近は2本のネクタイを交互に使っているといっていたのを、聞いていたようです。
それで、それぞれが1本ずつネクタイを選んだのだそうです。
うれしいことです。

しかし、最近はネクタイをする機会は極度に少なくなっています。
それでついつい、「ありがとう」と言った後、でもする時がないよ、と言ってしまいました。
せっかくの好意に対して、実に失礼な話です。
こういうところが、私の欠点です。
よく言えば素直すぎ、悪く言えば、不躾なのです。

ところでネクタイですが、クローゼットにたくさんのネクタイが眠っています。
いろんな人たちからもらったネクタイも少なくありませんが、どうもそうしたネクタイは使う気になりません。
なにか、贈ってくれた人に首根っこを押さえられるような気がするからです。
そんなわけで今は2本のネクタイを交互に使っているのです。
以前どこかに書きましたが、1本は500円、1本は5000円です。
5000円は節子と一緒に買ったネクタイですが、500円も節子につながっています。

節子が家族みんなを誘って、東京ミレナリオに行った時だったと思いますから、いまからもう10年ほど前です。
すごい混雑で、歩くのが大変な状況でした。
なぜか私だけ先に進んでしまい、出口から出たところで、家族を待っている状況になりました。
いつになっても家族が来ません。
ふと前を見ると、お店の店頭で2本1000円のネクタイが売っていました。
やることがなかったので、それを買ってしまいました。
私が一人でネクタイを買ったのは、もしかしたら、それが初めて最後かもしれません。
そんなわけで、2本のネクタイの1本に選んだのです。
どこかに節子の記憶もあるからです。

あの頃は、節子は元気でした。
その年に完成した丸の内オアゾで家族の忘年会の食事をしようと言い出したのも節子でした。
東京の再開発は、節子は好きだったのです。
私は逆に嫌いでした。
どんどん居心地の悪い人工空間になっていくことに抵抗がありました。
節子がいなくなってから、そうしたところには行く機会は減りました。
どうして節子は、そういうところが好きだったのでしょうか。

ちなみに、節子からネクタイのプレゼントをもらったことはなかったような気がします。

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■冬のトマトと原発輸出

阿部首相がテレビのインタビューで、「各国より、わが国の原子力技術への高い期待が示されている」から原発を輸出する責任があるというようなことを話していました。
それを聞いていて、むかし書いた「冬のトマト」のことを思い出しました。
冬にもトマトを食べたいと思っている消費者に、冬に温室でトマトを育てて販売することは好ましいことか、という話です。
むかし書いた小論を引用します。

冬にトマトを食べたいという消費者に対して、エネルギーを多消費する温室栽培でトマトを生産するべきかどうかという問題を考えてみよう。工業化技術の成果を駆使すれば、冬にトマトを作ることは難しいことではない。それが工業化の成果だと考えられてきた。だが、地球環境に与える影響は決して小さくない。消費者に我慢してもらうのが地球環境保全の見地からは望ましい。しかし、その結果、その企業は消費者ニーズを満たしてくれない企業として厳しい競争から脱落してしまうかもしれない。少なくとも事業機会を失うことは否定できない。こうした問題はどの事業にも存在する。事業本体を地球環境保全の見地から一挙に設計変更することは容易なことではない。
これを書いたのはもう20年以上前のことですが、残念ながら状況は未だに当時と変わっていないような気がします。
別の小論で書いたのですが、冬にトマトを提供するのは「小さな消費者満足」、冬のトマトを拒否するのが「大きな生活者満足」だと私は思っています。
もし持続可能性を主張するのであれば、企業は「大きな満足」を目指すべきでしょう。

言葉としては、持続可能性とか環境意識はあふれてきていますが、企業も消費者も意識を反転はさせませんでした。
その象徴が原発ですが、まさにその原発で、同じようなことが繰り返されています。

ほしがる国があれば、原発を売るのです。
欲しがる人がいれば、トマトを売ればいい、と同じ発想です。
この発想は、欲しがる人がいれば、脱法ハーブを売ればいいという発想にもつながります。

日本は原子力に関しては先端的な体験をし、先駆的な知見を獲得しました。
阿部首相は、同じ新聞報道で、こうも言ったと伝えられています。

「事故の経験と教訓を世界と共有し、世界の原発の安全に貢献することが、わが国の責務だ」
「安全」を「廃棄」に置き換える発想は出てこないものでしょうか。
まあ冬のトマトを食べ続ける国民が選んだ首相であれば、期待するのが無理なのかもしれません。

ところで、庭のトマトが実を付けだしました。
旬の野菜こそが、美味しいです。

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2013/06/02

■節子への挽歌2097:ヤマホロシもナツメもまた芽を出しました

節子
庭の物置の掃除をしました。
節子が保管していたものが山のように出てきました。
節子がいたら、有効に活用されるかもしれませんが、残った家族にはあんまり必要とは思えないものがほとんどで、思い切り処分しました。
まあこうやって、人の痕跡は消えていくわけです。
それにしても、節子はいろんなものを溜め込んでいました。

いま迷っているのが、桜の樹です。
河津桜は残しますが、もう一本、桜の鉢があり、これが大きくなってきてしまいました。
さてさてどうするか。
そういえば、これも鉢植えのレバノン杉も対応に困っています。

ところで、先日、全滅したと書いたヤマホロシは、新しい若木を買ってきたので、植えようと思ったら、なんと小さな芽が復活してきていました。
さすが山を滅ぼすほど強いといわれるヤマホロシだけのことはあります。
生命は、こうやって痕跡ではなく、生命を残していくわけです。

そういえば、重きって根本から伐採したナツメも、切り株から芽が出てきています。
節子も、どこから芽を出さないものでしょうか。

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2013/06/01

■災害に備えて備蓄すべきものは何か

昨日、「作られたショック・ドクトリン」のなかで、「私は災害に対しては、ほぼ無防備な生き方をしてきています」と書いてしまいました。
それは事実なのですが、舌足らずでした。
舌足らずだけではなく、視野の狭さもありました。
その点は反省しました。
いつの間にか少し忘れていたようです。

読者の草庵さんから
『イザ』という時に、国や政治家や地方自治体は全く助けの役に立ちません。
その時に、佐藤様と佐藤様のご友人を守る為には、自助や互助がやはり重要になってくるかとも思います。
私もそのつもりで備えをしております。
自分のみならず、友人や近所の方を助ける為でもあります。
とコメントをいただきました。
「自分のみならず、友人や近所の方を助ける為」というところは、まったく同感です。
しかし、最近、私自身、その視点が薄れていました。
もちろん、そうしたことが起これば、わが家の在庫はすべて提供することになるでしょう。
それも踏まえて、舌足らずの点を少し書こうと思います。

私が目指している社会は「無防備でも快適に暮らせる社会」です。
だから、少なくとも自分自身はできるだけ無防備な生き方を実践しようと思っているのです。
それで昨日のような表現になってしまいました。

ところで、家庭用備蓄を否定しましたが、非常時用に備蓄するまでもなく、普段からそうした生き方をしています。
一方で、コンビニがわが家の備蓄場所などというような考えを呼びかけているマスコミや経済界が、ことさらに家庭用備蓄は1週間などと、しゃあしゃあと言うのが許せないのです。
あるいは、そういう生活をしている人が、私には不安なのです。
わが家は基本的に1週間ほどは買い物をせずとも生活できる体制はいつも出来ています。
それは昔からの生き方だったはずです。
そういう生き方を壊してきたのは、企業行や経済界、政府やマスコミ、評論家や生活アドバイザーたちだったのではないでしょうか。
私は、そういう生き方には違和感があります。
隣の人がお醤油がないと言ってくれば、お裾分け可能な生き方をしています。
そういう近隣との付き合いを目指していますので、いつでも歓迎です。

水道や電気が止まったらどうするか。
電気は1週間くらいはどうとでもなりますが(ロウソクや電池は常備されています)、水はかなり困るかもしれませんが、飲料用はどうにかなります。
それくらいの自然知識は私たちの世代にはあるでしょう。
ペットボトルの水を飲む文化は、私にはありませんので、自然界から水をもらうようにします。
問題は水洗トイレとお風呂です。
しかし、これも解決策はいくらでもあります。

長々書きましたが、要は生き方の問題なのです・
大震災を予定しての家庭ごとの過剰なストックは、消費至上社会を守るためのものであり、自分だけの生活を守ろうとする生き方につながり、むしろ好ましくないと思っています。
それよりも、近隣の人たちとの関係を育てておくことこそが、最大の備えになると思います。
備蓄すべきは、物質ではなく、支え合う人の関係です。
そのためには、日頃から挨拶し、日頃から何かできることをやっておくことです。
草庵さんがいうように、「友人や近所の方」、さらには「困っている方」への心遣いや支え合いが大切ですが、それはいざとなろうがなるまいが、いつでも大切なのです。
草庵さんは、そういう生き方をされているから、こういうコメントを下さったのでしょう。
その発想や関係性が育っていれば、いざとなっても乗り越えられるでしょう。
いざとなったら、トイレットペーパーを買い締めするような生き方こそ、見直さなければいけません。

大災害に備えて、備蓄よりも大事なものがあることを、むしろ広げていきたいものです。
それは「作られたショック・ドクトリン」とは正反対の、「作られた災害ユートピア」の発想です。

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■節子への挽歌2096:人生は、ともかくいろいろとあるものです

節子
6月になってしまいました。
梅雨入りしたのに、この2日間はとても良い天気でした。
ただ私自身は、いろいろあって、その快適さを味わうことはできませんでした。
人生は、ともかくいろいろとあるものです。
いろいろとあることを、何でも話せる人がいると、またその意味合いは変わってくるのでしょうが、今の私には、ありすぎるのは辛いものです。
時につぶされそうになります。

最近、読んだ2冊の本に同じようなことが書かれていました。
差異から価値が生まれる。
異質の混在から発展が生まれる。
いずれも、やや異端の経済学者の本です。

私の人生は、私とは全く異質の要素を持った節子と共にすることで、面白く、また価値のあるものになったと思います。
価値とは何かというと難しいですが、少なくとも金銭的なものや社会的なものではなく、ただ私には価値あるものとしかいえませんが。
しかし、それが娘たちにとっては、あまり価値があるとも面白いとも思われずに、ただ迷惑だったのかもしれないと、今日もまた思い知らされました。
節子は、どうだったのでしょうか。
節子だけは私と全く同じ思いを持っていると確信していますが、時にいささか不安になることもあります。

私と結婚していなければ、今も元気で、楽しく生きているかもしれません。
そう思う時が、私には一番辛い時です。

人生、いろいろないと退屈ですが、いろいろとありすぎると辛くもあります。

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