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2013/06/14

■節子への挽歌2112:思いつきで生きている

節子
最近、ユカからお父さんは思いつきで生きているから迷惑を受けるとよく言われます。
たしかにそう言われれば、その通りです。
おそらく節子も、そうした私の生き方で迷惑を受けていたことでしょう。
しかし、節子がいなくなってから、ますますその傾向は強くなっています。
節子がいた頃は、それでも計画を立てる文化が残っていましたから、その計画が「思いつき」を押さえてくれていたのかもしれません。
しかし、節子がいなくなってから、私の時間は流れなくなってしまいました。
時間が流れなければ、計画は無意味です。
ですから、計画は一切やめてしまいました。
そのため、ますます思いつきの人生になってしまっているのです。

私が思いつきで生きていると思っている人は少ないでしょう。
多くの人は、人を先入観や世間の尺度で理解しがちです。
節子が知っているように、私はそうした世間の常識からはかなり逸脱しています。
そもそも「言語体系」や「価値基準」がまったくと言っていいほど違うのです。
私自身が、それに気づいたのは、節子を見送った後ですが、自分でもなかなか気づかなかったほどですから、世間の第三者にはなかなか伝わらないでしょう。
最近、私の話していることや行動は、たぶんほとんどが伝わっていないなと思うことがよくあります。
それは実にやりきれないことなのですが、最近はまあそれでいいかと思えるようになってきました。
まあ完全とはいわないまでも、私のことをわかっていた節子がいなくなったことは、私には大打撃でした。
家族とはいえ、娘たちにもあんまりわかってもらえていないようです。
娘たちにとっては、頼りにならないだめな父親でしかないのでしょう。
まあ、それはそれで正しい理解なのですが、少しさびしい気もします。

この挽歌も、思いつきから始まっていますが、思いつきも悪いものではありません。
ただ周りの人は迷惑を受けるようです。
しかし一言弁解すれば、思いつきとは天の啓示に従うということでもあるのです。
正しく生きていれば、思いつきもまた、正しいのです。
その結果が大変なことになったとしても、それはそれできっと正しいのです。

娘には悪いですが、これからも思いつきで生きていこうと思います。

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