■節子への挽歌2100:八方ふさがりは打開できるでしょうか
節子
茨城県の大杉神社に行ってきました。
前に書きましたが、その神社の厄払い表を見たら、私も娘のユカも今年は「八方ふさがり」の年なのです。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2013/02/post-2270.html
たしかに、これまでの数か月を見ると、まさに「八方ふさがり」です。
それで、ユカが付き合うよと言ってくれたので、2人でその大杉神社に行くことにしました。
車で1時間ほどです。
なんとなく商業主義の神社を予想していましたが、思ったよりも由緒ある神社でした。
それに儒教や韓国を思わせるものも多く、あまりこれまで体験したことのない神社でした。
もちろん商業主義ににおいもありました。
とりわけ違和感があったのは、本殿前に厄年を表示している2本の柱上の大看板でした。
写真の左側に見えるものです。
節子だったら顔を背けるでしょう。
しかしまあ、八方ふさがりを打開したいと思っている私たちは、素直に作法通りのお参りをしました。
お払いはしてもらわずに、お守りで済ませてしまいました。
さてその結果はどうなるでしょうか。
前の記事に書きましたが、今日は予定を変えての1日でした。
帰路にどこかに寄ろうかと思いましたが、その途中には見事になにもないのです。
唯一あったのは、阿見のアウトレットです。
私にはまったく無縁の施設ですが、シャツでも買ったらと寄ってくれました。
しかし、やはり私にはこうしたところは不得手です。
娘が、そういえば、お母さんも買い物が好きではなかったねと言いました。
お洒落にも美容にも、お母さんはあんまり関心がなかったねと言うのです。
ああ、そうだったのかと思いました。
私は、それさえも気づかないほどに、お洒落や美容には無関心でした。
それでもか、あるいは、そのせいか、はわかりませんが、私には節子が魅力的でした。
節子がよく、「どうして私がいいの」と言っていたのを思い出します。
まあ、私にはだれでもよかったのかもしれません。
伴侶とは、そんなものなのだろうと思います。
ところで、帰宅した途端に、2人ともダウンしてしまいました。
熱中症かもしれません。アウトレットは、ともかく暑かったですから。
八方ふさがりの厄払いに行って、ダウンしてしまうとは、先行き不安ですね。
やはり神社でのお払いをしてもらわなかったのが災いしたのかもしれません。
神様にはケチってはいけません。
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